十九話 無邪気な少女
「平和を破壊する軍国主義者め……!」
そう呪詛のように吐き捨てたのは、枷をはめられたまま引きずられていく男だ。
先ほどまで刃物で危害を加えようとしていた人物が、平和を議題にあげるなど、滑稽という他ない。
しかし、言葉の全てが的外れというわけでもない。
私は、軍備の必要性を理解している。
それを彼らが持つ独自の世界観のもとで言い表すなら『軍国主義者』ということになるのだろう。
軍事的均衡が崩れた時、あるいは崩れる危険性が増した時、戦争が始まる。
それは、前世で身をもって体験したことだ。
彼らも本心では、武力の効果を理解している。
だからこそ、年端もいかない小娘市長に恐怖を植え付ければ、開発を止められると考えたはずだ。
平和を口実に、暴力という手段を使う者。
平和には、武力という抑止力が必要だと考える者。
我々の主張は、コインの表裏のようなものだ。
外部から見れば、一枚の硬貨でしかない。
だが、両者は決して同じ方向を向くことはない。
片方が天を仰ぎ見る時、もう片方は地を見下ろしている。
私の忠誠心は、常に祖国であるこの国へと向けられている。
彼らの忠誠心は、己自身か、所属する他国か、あるいは理想という名の幻想に向けられているのだろう。
とはいえ、彼らを私の敵と定義するには、いささか能力に差がありすぎる。
私にとって彼らは、道の反対を行く虫のようなものだ。
足元にいるならまだしも、踏み潰すために、わざわざ歩み寄ろうとは思わない。
だが、群れをなして道をふさぐというのなら、話は変わる。
毒をまいて悶え殺すか、水を使って溺死させるか、あるいは炎で焼き払うだろう。
「市長さんは、すごいですよね! 私と同い年なのに、市長に選ばれるなんて!」
そう明るく言ったイルマに、私がどんな手段を使って市長に選ばれたか聞かせたら、気を失うかもしれない。
「私自身の実力ではありません。沢山の方々に支えていただいた結果です」
「支えてくれる人が沢山いるのがすごいですよー! 私なんて従士から全然昇格出来ません……」
従士というのは、騎士団に所属してはいるものの、正騎士としての身分を得ていない者を指す。
いわば仮採用の訓練生のようなものだ。
この場は、そんな新人にすらなっていない者に任せるべき状況とは思えない。
実際に、彼女がいなければ、市長への傷害事件が発生していたはずだ。
騎士団は、イルマを問題が発生した際の生贄にするつもりだったのか。
あるいは、問題が発生すること自体を望んでいたのか。
いずれにせよ、騎士団が信の置けぬ連中であることは間違いない。
「さきほど助けていただいた際の身のこなしからは、正騎士の資格が十分あるように感じましたけれど」
「実技は得意なんです! 筆記は、ちょっとギリギリだけど合格して、でも、いっつも面接で落ちちゃうんです」
騎士団にとって扱いづらい人間性ということだろうか。
「面接、ですか」
「どうやったら合格出来るんですかね? うちのお兄ちゃん……兄も正騎士なんですけど、面接のコツとか全然教えてくれないんです」
「ご兄妹で騎士とはご立派ですね」
「えへへ、そんなことは! あ、でもお兄ちゃんはすごい騎士です! 強いし! でも、面接は『正直に答えれば受かる』とか全然役に立たないんです!」
推測するに、イルマが面接で不合格になる原因は、おそらく彼女の兄だろう。
腐敗にまみれた騎士団で、身内を採用させることなど容易いはずだ。
それが不可能なほど、騎士団内での立場が弱いなら、その原因となった何かがあるはずだ。
その何かが、彼女の合格を阻んでいる可能性がある。
あるいは、採用させることが出来るとしても、不正を嫌って行わない人物かもしれない。
もしそうであるなら、それこそが立場が弱い原因だろう。
腐敗した組織では、清廉な人物が、排除すべき異物になり得る。
「昇格の件も含めて、何かお困りのことがありましたら、いつでも役所にお越しくださいね。イルマさん」
はみ出し者の兄ともども、この娘は利用価値がある。
「それって、私たちもう、お友達ってことですか!? やったー!」
「……そうですね。そういうことになるかもしれません」
そんなことを言ったつもりはないが、まあ良いだろう。
人を簡単に信用するのも、友人だと考えるのも、本人の自由だ。
「私、市長のお友達出来るの初めてです! 今度お菓子持って遊びに行きますね!」
「……はい。お待ちしております」
「あ! それと、あとでサインもらえますか!? お兄ちゃんに自慢するので!」
利用されるとも知らずに、能天気な娘だ。
とはいえ、この年頃の少女としては、このくらいが正常なのかもしれない。
私は今世で、必要最低限の人間関係しか構築してこなかった。
厄介事が増えるだけだからだ。
ルジェナ・ヴァレーエフという人格を演じるのに必要な時間以外の全てを、復讐と祖国のために費やしてきた。
現代の少女の中で、人格をある程度把握しているのは、フリーデくらいのものだ。
しかし彼女は、年齢の割に多少大人びている方だろう。
「手続きや行政上の処理以外で、サインを求められたのは、イルマさんが初めてです」
「ほんとですか!? 記念すべき一枚目のサイン!? 嬉しー!」
この無邪気な少女を、殺す結果にならなければ良いが。




