十八話 失われた光
「ルジェナさん、まもなく到着します」
「承知しました。悪路での運転、ありがとうございます。アルノルドさん」
『旧王都跡地保全条例を廃止する条例』の施行後、私はただちに行政上の手続きを終えた。
現在は、終戦時の傷跡を残したまま放置されてきた土地の整備を行っている。
本格的な再開発は、審議中の来年度予算によって、進める予定だ。
「現地では、再開発反対派の市民が、過激な抗議活動を行っているそうです。ご注意を」
「反対派の『市民』ですか」
「これは失礼。この市に住む市民は、おそらく一割もいないでしょう」
「いえ、ご忠告ありがとうございます」
アルノルドの認識は正しい。
反対派と市民の住民登録のリストを突き合わせた結果、実際の市民は一割にも満たなかった。
それどころか、実に三割が、この国の国籍すら有していないのだから、馬鹿げた話だ。
国外勢力は、戦後六十年を経たわが国と国民に、いまだ敗戦国としての役割を求めている。
そして、そんな者たちに扇動され、あるいは利益を目的に、反対運動に加担する国民がいるのも事実だ。
前者の思考に関しては、まだ理解できる。
捏造された歴史を信じ込み、必要以上に罪の意識を感じているのだろう。
そして、その罪悪感から解放されるために、祖国を攻撃する側に回る。
一方的に悪を断罪している間は、自分が正義でいられるからだ。
一見、自国に対して自己批判を行える冷静かつ聡明な人物に見えるが、実際は違う。
不当な非難を受け止めることも、それに対し反論することも出来ず、ただ逃げ出した小市民だ。
後者に関しては、もはや救いようがない。
国外勢力から与えられる金銭や利権に群がる卑しい者たち。
六十年前に祖国を裏切ったエゴール・ヴァレーエフらと本質的に同じだ。
『売国奴』という言葉が、これほど当てはまる者はいない。
「フリーデ、もし何かが起きても、私の指示があるまで、魔法は使わないでください」
「ルジェナ様の身に危険が迫っても、でしょうか?」
「ええ。『市長の秘書官が反対派住民を魔法で攻撃』なんて記事を書かれて、利用される危険性がありますから」
「……なるほど。承知しました」
むしろ、こちらが負傷でもすれば、政治的に大いに利用できる。
開戦後の戦場において有効であった先制攻撃は、現代社会では愚策でしかない。
少なくとも、明るみに出る場合に限っては、だが。
「それでは、私はこのまま、少し先の現場にいる建設会社社長のところに、ご挨拶に行ってまいります」
「はい、よろしくお願いいたします」
有能で勤勉な男だ。
私に背きさえしなければ、長く使えるだろう。
彼が見てはいけないものを見ず、聞いてはならない話を耳にしないよう、今は願おう。
その願いが叶わなければ、残念ながら消えて貰うことになる。
馬車を降りると、反対派の群衆が見えた。
彼らは私を見つけた直後に、こちらに向け走り始める。
私が視察する予定を、事前に知っていたかのような迅速さだ。
実際、おそらく知らされていたのだろう。
市長という立場上、私が掌握しているはずの市役所には、裏切り者が多数いる。
あるいは、裏切り者の方が多いかもしれない。
それも当然だ。
前市長エゴール・ヴァレーエフの体制のもと、出世を重ねてきた者たちに、期待など出来ない。
彼らにしてみれば、私は『余計な仕事を増やす厄介者』だろう。
先頭を駆ける者の手に、光るものが見えた。
頭部ほどの長さのナイフだ。
魔法は付加されていない。
あの凶刃を、どこで受けるべきだろうか。
まず、顔は避けた方がいいだろう。
男の軍人なら凄みが増すだろうが、女の政治家としてはマイナスになりかねない。
記者会見で同情を誘うなら、見せられる部分が良いだろう。
そうなると、やはり手か腕だろうか。
浅い傷なら、治癒魔法で跡を残さず回復出来るが、指を飛ばされるのはまずい。
技量のある剣士の太刀筋であれば、簡単に繋がるだろうが、相手の実力を知らない。
ここは、やはり腕を斬りつけられることにしよう。
待ち構えたナイフは、しかし宙を舞った。
それを握っていた男が、横から現れた人物の突進によって、倒れ込んだからだ。
男の後ろに続いていた者たちも、多数の正騎士が作った盾の壁によって、歩みを止められている。
私の足元で、男を取り押さえているのは、女性の騎士だ。
外見的な年頃からすると、少女と言った方が適切かもしれない。
彼女は男の手足を枷で拘束し、立ち上がる。
後ろで縛った水色の髪が揺れていた。
「えっと、市長さん? ですよね? お怪我はありませんか?」
「はい。おかげさまで助かりました」
「そんな! むしろここまで近づけてしまったのは、失敗と言いますか……」
こちらからすると、政治的なチャンスを失ったことの方が痛手だが、それを伝えるわけにはいかない。
さらに、痛手と言っても、ほんの些細な、取るに足らぬ問題だ。
反対派を叩き潰す方法など、他にいくらでもある。
「そんなことはないと思います。救っていただいたことは間違いございませんし。とにかく、お礼を申し上げます」
「そ、そうでしょうか!? 私、クビになったりしませんかね!?」
戦時中であれば、免職以上の処罰が下ったことだろう。
ただし、現代の正騎士が、それほど身内に厳しいとも思えないが。
いずれにせよ、初対面の市長に尋ねる事柄ではない。
「……正騎士の方々の規則に詳しくないもので、なんとも言えませんが……。ところで、お名前をお聞きしても?」
「はい! イルマ・クラツィーク従士でありますっ!」
騎士団流の敬礼を行うイルマに向けて、微笑んで見せる。
「もし、あなたに処分が下るようなら『市長が事情の説明に出向く』とお伝えください」
「あ、あ、ありがとうございます! 市長さんは、私の命の恩人ですっ!」
「いえ、状況的に『命の恩人』はあなたの方です」
「あっ! 確かに!」
そう言って笑うイルマに、助け舟を出したのは、単なる気まぐれではない。
彼女の黄色の瞳に、前世で信頼していた正騎士たちと同じ輝きを見つけたからだ。
腐りきった現代の騎士団に染まる前に、うまく手懐けておけば、いつの日か利用出来るだろう。




