表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/49

十五話 呪われた馬車

 市議会は現在『ねじれ状態』にある。

 現職の市長であるエゴール・ヴァレーエフと敵対する勢力が、議会の過半数を占めているからだ。


 一人の候補に票を集中させれば良い市長選挙と違い、複数の議員を選出する市議会議員選挙は、組織票を活かしきれない。

 当落ラインの票数を正確に予想することが難しい上に、同じ陣営の議員同士も席を奪い合うライバルになりうる。

 自分の議席を危険に晒してまで、仲間に票を分ける候補などいない。


 その結果、市長と議会が対立する状況が生まれた。

 しかし、現市長は今期、推進した政策の全てを可決させてきた。

 その一因たる男が、このドアの向こう側にいる。


「お元気そうで何よりです。市議」

「ようこそと言いたいところだが、今、君に会うのはまずい。早めに切り上げてくれ」

 当選回数六回のベテランでありながら、現在無役の市議は、苛立ちを隠そうともせずに言った。


「やはり、疑われていらっしゃいますか?」

「……今期は、君の父上にのせられて、やり過ぎた。市連の財務局長も先月付けで辞任するはめになった」


 この男は、所属する政党を裏切ってきた。

 ある時は敵対する市長に情報を漏らし、ある時は党の方針と真逆の票を投じることによって。

 そうした裏切りが、仲間に悟られたわけだ。


 同情の余地のない見下げ果てた裏切り者だが、利用価値はある。

 理想的な敵と言っても良い。


「父が大変ご迷惑をおかけしました」

「形式的な謝罪は不要だ。今日の用件は?」


「では、単刀直入に申し上げます。市長選挙に出馬していただきたいのです」

「市長選挙だと? 君が出るんじゃないのか?」


「はい。私も出馬いたします」

「ふっ。お嬢さん、選挙は女学生のショッピングとは違う。仲良く連れ立って立候補するものじゃない」


「承知しております」

「では、私の出馬が、君にとって何の得になる?」


「対立候補は三期目の中堅市議です。彼は私の経験不足を攻撃するでしょう」

「そこに当選六回の私が加われば、君の経験不足がより際立つのではないかね?」


「それで構いません。私の持つ基礎票は、強固な組織票ですから」

「普段投票に行かない浮動票は、そもそもあてにしていないということか」


「はい。対立候補は逆に、浮動票を総取りするしか、勝機がありません」

「なるほど。奴と私で浮動票を割れば、君が有利になると」


「その通りです」

「君にとってのメリットは分かった。こちらのメリットを聞かせてくれ」


 市議が首長など他の選挙に出馬する場合、辞任が必要な国もあるが、この国は必要ない。

 当選した場合に限り、自動的に失職する制度になっている。


「選挙費用はこちらで負担いたします」


 明確なデメリットは費用だけだ。

 厳密には、市長選に落選した市議という評価がついてしまうが、この男がそれを気にするとは思えない。


「それは当然だろう。他には?」

「居場所のなくなった政党から、移籍したいとお考えではありませんか?」

「与えられる役職によるな」


「市議会対策委員長でいかがでしょうか?」

「よかろう」


「ありがとうございます。のちほど、後援会の者がこちらに伺います。詳しい話は彼とお願いします」

「分かった。しかし、さすがはヴァレーエフ市長の娘といったところか。未経験でもすっかり政治家だ」

「当選六回の大先輩にそう言っていただけるとは、大変恐縮です」


 七期目は、おそらくないだろうが。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 ベテラン市議と密約を結んでから、一ヶ月半が経った。

 今日から市長選挙が始まる。

 立候補の手続きを済ませ、今は最初の選挙演説地に向かっている。


「例のベテラン市議も、立候補手続きを終えたようです」

 そう言ったのは、正面の席に座るアルノルドだ。


「そうですか。幸先の良いスタートですね」

「はい。それと、私の父である後援会長が、先ほど事故死したそうです」


「フリーデ、馬車を止めてください」

「いえ、お気遣いなら不要です」


「お父上のところに向かわれた方が良いのでは?」

「今日の予定を全て終えてから行きます。死体は、たとえ日付が変わっても死体のままですから」


「分かりました。あなたのお考えを尊重しましょう。また、お悔やみを申し上げます」

「ありがとうございます」


 この馬車は呪われている。


 父親の危険を黙認し、実際に訃報(ふほう)を受けても顔色一つ変えない者。

 家族の仇を取るためなら、無関係の他人も躊躇(ためら)いなく殺そうとする者。

 宿敵の娘として生まれ、その命と地位を奪おうとする者。


 その三者が、一つの馬車に乗り、同じ場所を目指している。

 負の感情とは、これほどまでに残酷で、強力なものだったか。


 このことを前世で悟っていたなら、あるいは祖国と愛する者たちを救えただろうか。

 少なくとも、私はそうするべきだった。

 その責任があったはずだ。


 まだ政治家ではなく、野心家の部下であったエゴール・ヴァレーエフに渾身(こんしん)の魔法を打ち込み、消し炭すら残さず粉砕して、後顧(こうこ)の憂いを断つべきだった。

 たとえ、そのことで、愛する者たちから見限られ、裁かれることになったとしても。


「ルジェナ様、到着いたしました」

「ありがとう。フリーデ」


 大通りの一角に、選挙スタッフが簡素な演説台を用意して待っている。

 その台に上がって、魔力式の拡声器を受け取った。


「エゴール・ヴァレーエフの娘、ルジェナ・ヴァレーエフでございます。本日は、市長選挙立候補のご挨拶に参りました」

 こちらを見ているのは、フリーデとアルノルド、さらに選挙スタッフが三人に、記者一人だけだ。


「長年停滞を続ける市政は、今こそ変わるべきです。そのためには、全く新しい視点が必要だと考えます」

 通りを行く大勢の人々は、こちらに目を向けることもなく歩み続けている。


「長く市長を務めた父も、市議会で活動されてきた方々も、その視点を持つことは難しいでしょう」

 やはり足を止める者などいない。


 当然だ。

 身の程知らずにも市長を目指す十代半ばの小娘の話になど、誰も期待しないだろう。

 勝つにせよ、負けるにせよ、茶番でしかない。


「ですから(わたくし)は立候補を……(わたし)は、お()びしなければなりません」

 うわずった声に引き寄せられるように、数人の足が止まる。


「後援会長を引き受けてくださった方が、さきほど事故で亡くなったと連絡がありました」

 さらに数人が立ち止まる。


「父だけでなく、私自身も本当にお世話になって……お優しい方で……」

 十単位の人々が演説台を囲んでいる。


「私のことを全て分かってくれる、もう一人の父のような存在でした」

 百に届きそうな人数が、こちらをじっと見ている。


「きっと『泣いてないで責任を果たせ』と叱られてしまうと思います。でも、どうしても、今すぐお会いしてきたいのです……」

 瞳からこぼれ落ちる極小の水魔法は、群衆にしっかりと見えているだろうか。


「今日必ず、この場所に戻ってくるとお約束します。ですから、お時間をいただくことを、どうかお許しください」

 いまや大通りのほとんど人々が、私を見ていた。


 その視線に向けて深々と一礼したあと、振り返る。

 背中を押すような拍手と、声援が上がった。


 馬車に乗り込む直前になっても、演説台を囲み続ける人々を見て、確信した。

 私は、この選挙に勝つだろう。


 それも、対立候補に大差をつけて。

 同時に疑問が浮かぶ。


 あの演説で私に一票を投じる人々もまた、呪われてしまうのだろうかと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ