十四話 見殺しの親殺し
選挙事務所は、以前訪れた場所とは思えないほど、静まり返っている。
全員が、まるで時が止まったように、こちらを見ているからだ。
「ルジェナさん! これは一体どういうことですか!?」
そう言って近づいて来る中年の男は、後援会長だ。
「父さん、ここではまずい。私の部屋で話しましょう」
割って入ったのは事務局長のアルノルド。
こうして見比べると、本当に実の親子なのか疑わしいほど、容姿に差がある。
通された事務局長室は、前回入った時との違いが見つからない。
「説明してください、ルジェナさん。市長の出馬断念も、あなたの立候補も、私には寝耳に水だった。にも関わらず、市長は『お前の策略だろう』とおっしゃる」
「実に簡単なことです、後援会長。これは、お家騒動です」
「お家……騒動?」
「ええ。三代仕える諸代の臣下が、領主の負傷につけ入り、反乱を企てた。担いだ御輿は、領主の実の娘」
「その逆臣が、私だと!?」
「はい」
「違う! そんな大それたこと、考えたこともない!」
「今、あなたにとって大切なのは、ことの真偽ではありません。父である市長が『誰の企てだと信じたか』です」
「あなたが、市長に嘘を吹き込んだのか!?」
「事ここに至っては、その嘘を真実にするしか、選択肢はないはずです」
「いや、ある。市長に直接お会いして、誤解を解く!」
「それはおすすめしませんね」
「ご自分の嘘がバレるからか!?」
「いいえ。あなたが、ここに戻って来られないからです」
「……脅すつもりか?」
「これは脅迫ではなく、忠告です。父が裏切り者にどう対処するか、よくご存知でしょう?」
「……市長が、数十年に渡って忠義を尽くした、この私を殺すと……?」
「いえ。『数十年に渡る信頼を裏切った、逆臣を殺す』のです」
後援会長の怒りの表情が、怯えへと変わっていく。
「……たしかに、あの方なら、きっとそうするだろう……」
「お分かりいただけましたか。我々はもはや、一蓮托生。あなたは私の乗った御輿を、担ぐしかない」
後援会長は力なく立ち上がる。
「……ルジェナちゃん、君に一体、何があった……? 小さい頃からよく知っている君は、こんなことをする子ではなかった……」
部屋を出て行く小さな背中に、言葉を返す。
「その頃から、あなたは私のことを、何一つ知らなかったということです」
ドアが閉まると同時に、手を叩く音が響く。
「お見事です、ルジェナさん。同席して良かった」
アルノルドは満面の笑みでそう言った。
「あなたは、ご自身のお父上が、あまりお好きではないのですか?」
「はい、もちろん大嫌いです」
「そうですか。私と同じですね」
「二重の意味で、その通りだと思います」
二重の意味とは、おそらく『後援会長が嫌い』という意味と『自分の父が嫌い』という、二つの意味だろう。
「そうだとしても、後援会長に護衛をつけるべきでしょうね。この後援会の運営費から計上出来ますか?」
「ご厚意には感謝しますが、必要ありません」
「何故ですか?」
「どんなに腕の立つ護衛を雇ったとしても、市長がその気になれば、私の父は死にますから」
「……なるほど。本当にお嫌いなのですね」
「はい。それに私は、無駄も嫌います。その費用は、ルジェナさんの今後の活動に使うべきでしょう」
父の生死に関することを『無駄』と切り捨てる非情な男だ。
前世の私なら、軽蔑しただろう。
だが、現世の私は、この合理性を評価する。
「分かりました。では、議題を選挙に変えましょう。情勢はいかがですか?」
「支援者には、候補者があなたに変わったことに、一部動揺があります。しかし、支援先を変えるほどのものではありません」
「順調ですね」
「しかし、投票率の上昇が懸念されます」
「それは、私たちとっては、良くない傾向ですね」
「はい。あなたが受け継いだ組織票は、この市の有権者の二割ほどです。そして、市長選の投票率は毎回三割から四割台でした」
これが、地方首長選挙の現実だ。
市民の過半数以上は、通常、選挙に関心などない。
そして、関心のある少数派も、組織票に対抗するすべを持たない。
「今回の投票率は、どの程度になりそうですか?」
「五割を超えるかもしれません。ルジェナさんの出馬で、良くも悪くも注目が集まり過ぎました」
「増えた票の大半は、対立候補に流れるでしょうね」
「残念ながら、その可能性が高い」
当然だ。
悪評のある現職の代理で、十六の小娘が出馬する。
なんのしがらみもない人間が、支持する方がおかしい。
「アルノルドさん、選挙資金に、余裕はありますか?」
「はい。十回は市長選に臨めます」
「では、今回の選挙資金を、例年の倍にしてください」
「もちろん可能ですが、広告費などを倍にしても、劇的に票が増えるとは限りません。むしろ露出が増えることで、投票率を上げてしまう可能性すらある」
「存じております」
「では、何に使うおつもりですか?」
「敵に使います」




