十三話 表明
エゴール・ヴァレーエフが大広間に現れたのは、昼を過ぎた頃だった。
「お父様、お心は決まりましたか?」
「ルジェナ、何故こんなことをした?」
「昨日、申し上げた通りです。お父様にとっては、これが最善ですから」
「……分からん。そんな説明で、支援者たちが納得したとも思えん。一体、何をしたんだ?」
「お話をしただけです」
「もし仮に、これが私にとって最善だとして、たとえ私に疎まれようと、奴らが善意で動いたと? ありえん。そんな情の通った関係ではない。利害が一致してきただけだ」
「そんなことはありません。皆様、お父様をとても心配しておいででしたよ」
「……信じられん。いや、それにもまして、なぜ後援会長と連絡がつかんのだ? まさか、あの男まで、この件に関与しているのか?」
処理しきれない疑問を抱えているのなら、答えを与えてやろう。
それがたとえ偽りであっても、満足するはずだ。
「ええ、もちろん。今回の件は、後援会長のご発案ですもの」
宿敵は、全ての疑問の答えを見つけたように、目を見開いた。
しかし、すぐに首を横へと振る。
「……そんなことは……。親子二代、いや今は三代か。五十年にも渡って、私に仕えてきた後援会長が、こんなことをするはずがない……!」
「だからこそ、お父様を『救いたい』と。『この窮地を脱するには、これしかない』とおっしゃっていました」
「確かに、これほどのスキャンダルは五十年で初めてだ。だが、窮地というほどではない。あの音声が偽物である以上、致命傷になるはずが……」
宿敵は、何かに気がついたように顔をあげると、頷きながら続ける。
「いや、それこそが奴の狙いか。致命傷でないからこそ、あとを継ぐ者にも痛手にはならない。まさか、音声自体、奴が……!?」
「私は、お父様がたとえ出馬されるとしても、立候補するつもりです。もしそうなれば、共倒れは避けられないでしょう」
「奴に、そう言えと言われたのか!?」
この問いには、あえて直接答えない。
「スキャンダル後、娘に背かれて落選。その経歴は、政治家として致命的です」
宿敵は全てを理解したように天を仰ぎ見て、それから長机に拳を打ち付けた。
「あの狸め! ……ルジェナ、聞いてくれ。お前は騙されている」
騙されているのは、貴様の方だ。
後援会長は、私ですら引き剥がす方法が見つからなかったほどの忠臣。
悪事を全て知った上で、貴様に絶対の忠誠を誓っている。
ようやく、その関係に楔を打ち込めた。
己の背後を守る者を、自ら斬り捨てたに等しい。
「私はそうは思いません。全ては、お父様のためです」
「違う。それこそが、奴の罠なのだ……!」
「私の心は決まっています。そして、そろそろ会見のお時間です。お父様」
「待て、もう一度、よく考えてくれ! 冷静に考えれば、分かるはずだ!」
「私は、たとえ一人でも会見に臨みます。お立場を考えるなら、同席される方が良いはずです」
「……分かった。だが、少しだけ、時間をくれ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
屋敷の正門に集まった記者は、二十人ほどだ。
録音用の魔石や、撮影用の魔法道具を持つ者も多い。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます」
記者全員が、疑問の表情を浮かべる。
現職の市長ではなく、その娘が最初に口を開いた理由が、見つからないのだろう。
「本日、私ルジェナ・ヴァレーエフは、二ヶ月後に行われる市長選挙への、立候補を表明いたします」
周囲が一斉にざわつく。
「し、失礼ですが、ヴァレーエフ市長ではなく、お嬢さんが出馬されると?」
「はい、その通りです」
「それはつまり、ヴァレーエフ市長は出馬を断念されるということでしょうか?」
「はい。その理由については、父の方から、お話いたします」
エゴール・ヴァレーエフは、覚悟を決めたように深く頷く。
「皆さんご存知の通り、私は現在、スキャンダルを抱えております。ですが、この場で改めて、すべて事実無根であることを、宣言いたします」
「事実無根であるなら、出馬を断念される必要はないのでは?」
「事実無根であるからこそ『市長の権限で、もみ消した』などと言われたくない。そのために、この件が解決するまで、一時的に市長職を降りることにしました」
「一時的に、ということは、いずれ復帰されるお考えということでしょうか?」
「もちろんです。この件が片付き次第、復帰いたします」
「一時的な代役とは言え、娘さんはかなりお若いですよね? 本当に市長職が務まるとお考えですか?」
「娘は十六ですが、親の贔屓目ではなく、非常に優秀です。十四で大学に主席入学したほどですから」
「お勉強ができるのと、政治は違うんじゃないですか? それに、そんな交代前提の代理市長に、有権者が納得すると思いますか?」
「娘が私を信じてくれたように、私も娘を信じております。市民の方々には、これから二ヶ月かけて、そのことをご説明していきます」
全ては計画通りに進んだ。
あらゆる状況が、この男の破滅を告げている。
貴様は今日、唯一身を守る権力という名の武器を投げ捨てた。
それが、そう遠くない未来、貴様を貫くだろう。




