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十話 始動する政治戦争

 巨大な鉄の扉が、ゆっくりと開いてゆく。

 中からむせ返るような異臭がもれ出て、鼻をついた。


 隣に立つフリーデが、鼻と口を手でおおいながら、せき込む。

「大丈夫ですか? フリーデ?」

「は、はい。申し訳っ、ございません……」


「気に病むことはありません。あなたは、外で待っていてください」

「いえ、この程度のことで、ルジェナ様のお側を離れるわけには……」


「いやいや、この複数のポーションが混ざりあった臭いを最初に嗅いで、むせない人の方が珍しいですよ」

 そう言ったのは、このポーション生成工場を運営する企業の社長だ。


 若い社員も大きく(うなず)く。

「この臭いがどうしても無理で、辞めていく人もいますからね」

「その点、平然としているルジェナさんは素晴らしい! 大学を卒業したら、うちの会社に就職してくれませんか?」


 戦場の悪臭に比べれば、この程度大したことはない。

 人が腐っていく臭いは、人工的な刺激臭より、本能的な拒絶感をもたらす。


「お褒めいただき、ありがとうございます。検討させていただきます」

「ぜひ前向きに考えてください。さあ、中へどうぞ」

 社長の後について中へと入ると、人が何人も泳げそうなほど巨大な丸底フラスコが、数十並んでいる。


 かつてポーション生成は、魔法使いだけに許された特殊技術だった。

 高度かつ貴重であれば、小瓶一つで将校の一生分の俸給(ほうきゅう)ほどの価値があるものもあった。

 これほど大量に生成されるのであれば、魔法使いの地位が下がり、人材の質が低下するのも当然だろう。


 十個ほどのフラスコの横を通過すると、ガラス製の扉がある。

 先んじてその部屋へと入った社長は、白い椅子に座る。

「このラボで『分析したいもの』というのは?」


「フリーデ、お渡ししてください」

 社長はフリーデから受け取った試験管を、光にかざしている。

「これは?」


「すぐ近くの川で採取した水です」

 社長の表情が曇る。


「ここはもういいから、君は業務に戻ってくれ!」

 突然怒鳴るように言われた若い社員は、恐る恐るといった風に口を開いた。

「し、しかし、何か分析するなら、私がいた方が……」


「私も元は研究者だ。良いから早く出て行け!」

「は、はい! 失礼しました」


 若い社員が出ていった扉が閉まるのを待って、社長は重々しく口を開いた。

「……それで、この水から、何か出ましたか?」

「ええ、魔法残留物が五種類ほど。いずれも、法で定められた基準値の百倍以上の濃度です」


「それは、民間レベルの分析でしょう。業務用の機材なら、結果も変わる」

「私の通う大学では、国から依頼を受けて、分析を行うことがあります。つまり、国が採用するだけの分析精度ということです」

「……なるほど。この件は、あなたのお父上とご相談ください。きっと、納得のいく説明をしてくださるでしょう」


「そうでしょうね。たとえば『多額の迂回献金(うかいけんきん)と引き換えに、違法な操業を黙認している』とか」

「……そこまでご存知なら、もう良いでしょう。これ以上深入りすれば、お父上にもご迷惑が掛かりますよ」


「私の目的は、まさにそれです。汚職にまみれた現市長を失脚させる。市政は、変わらなければなりません」

「実の父親を失脚させて、どなたを立てようというのですか?」

「私自身です。市長職の被選挙権には、年齢の条件がありませんから」


「選挙に出るのと、実際に市長に選ばれるのは違う。失礼ですが、あなたほど若い候補に、投票する人は少ないでしょう」

「存じております。ですから、この会社のご支援が必要なのです。関係者のご家族などを含めれば、人口の一割ほどを占めますもの」


「支援するとは、一言も言っていませんが」

「それでも構いませんよ。ただし、二ヶ月後に私が市長の席に座っていなければ、汚染された川についての記事が、紙面の一面に掲載されます。騒ぎが大きくなれば、国も動くでしょう」


「……脅すつもりですか?」

「そう取っていただいても結構です」


 社長は黙って、考え込むようにした。

 この男の思考は、おそらくこうだ。

 『現市長を裏切れば、黙認されてきた汚染の事実を、暴露されるのではないか』と。


 だが、これは杞憂(きゆう)に過ぎない。

 社長側が追い詰められれば、これまでの迂回献金と癒着を公表するだろう。


 そうなれば、現市長側の政治生命も絶たれる。

 これまでの違法行為が、この局面に至っては、この企業の命綱にもなり得るというわけだ。


 とはいえ、現市長エゴール・ヴァレーエフであれば、口止めも兼ねて、社長の命そのものを狙ってくるだろう。

 あの男の業の深さを、この社長はおそらく知らない。


「……分かりました。社員を路頭に迷わせるわけにはいかない。たとえ負け戦だとしても、支援をお約束します」

「ありがとうございます。それと、私の大学の『魔法反応研究室』から、毎年五名の新卒を採用されていますね?」

「はい。先ほどいた若い社員もそうです」


「その推薦枠を、今年から『魔法水質地質学研究室』に変更していただけますか」

「……これが脅迫なら、それについても従うほかないでしょう」


「重ね重ねありがとうございます。それでは私はこれにて失礼します」

「はい。お父上によろしくお伝え下さい。会話を交わす程度に、良好なご関係ならですが」


「社長、お一つ言い忘れておりました。二ヶ月以内に、水質を基準値内まで改善してください。私は、現市長ほど甘くはありません」

「……っく! 勘違いするなよ! 箱入りの小娘が渡り合えるほど、政治闘争は甘くはないぞ!」


 苦々しく言った社長に、歩み寄る。

 目と目を合わせたまま見下ろすと、社長の表情が怯えへと変わっていった。


「勘違いしているのは、あなたの方だ。これは、政治闘争ではなく、政治戦争なのですよ」

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