09話「何か隠している──いや、話していないことがあるだろう」
意識を取り戻した私が初めて見た光景は、見慣れぬ天井と、ややキツめの顔立ちをした美しい少女の顔だった。
「やっと……意識を取り戻されたのですわね」
「あなたは……」
「ベアトリーチェですわ。今回、貴女の治療を担当いたしました」
柔らかく言ったかと思うと、彼女の顔が瞬時にして厳しいものへと変わる。
「一人の祈祷師として言わせていただきます。今回、貴女が五体満足で要られたのはある種の奇跡ですわ。……最悪、四肢切断と幾つかの内蔵摘出もありえました」
それは、そうだろう。そんなことにならないよう十分注意はしたけれど、万一そうなっても構わないように重要では無い部位から優先して魔力を搾り取ったのだから。
「平然とした顔をしていらっしゃいますけれど、事実ですわ。もっと深刻に受け止めてくださる?」
そうは言われても、誰よりも私自身はっきりと分かっているし、分かった上でやったのだから当然だ。
そんなことを思っていると、やがてベアトリーチェさんが諦めたように小さくため息をついた。
「…………わかりました。死ぬつもりでやったわけでは無いようですし、これ以上は言いませんわ」
ベアトリーチェさんは一転表情を優しくすると、私に介助をして上体を起こさせた。
そのまま私の手を包むように握り、じっと目を見つめる。
「そして、ここからはクリフォトの巫女ベアトリーチェとしての言葉です。────感謝を。貴女が居なければ、この街は致命的な大打撃を受けていたことでしょう」
深々と頭を下げる。さらりとした金髪が流れ、上品な香水の匂いがふわりと薫った。
私は私のやるべきことをしただけですから。そんな言葉が口にしそうになるが、思いとどまる。
人類の苦境を救い、規格外の一撃を以って異形の奇襲攻撃を防いでみせたのだ。
ここで変に謙遜したようなことを言うのは、それこそ失礼というものだろう。
「事情は貴女の人工妖精より伺っておりますわ。近い内に学者のウェルギリウスが話を聞きに来るでしょう」
それまでくれぐれも安静に、とベアトリーチェさんが続けたところでガチャリとドアの開く音が聞こえた。
首を向けると、よれた服を着たいかにも学者然とした男の人が入り口付近に立っている。
「そろそろ意識の戻る頃だと思ったが、丁度だったようだな。よし来いすぐに来い。詳しい話を聞かせろ」
「──ウェルギリウス! 患者はまだ絶対安静ですわ! 日を置いて出直してくださいませ」
「そんなわけがないだろう。そこな人造少女の回復力ははっきり言って異常だ。もう歩き回るくらい平気のはずだ」
言って、ウェルギリウスなる男の人はこちらを見る。
四肢に力を入れ、動かしてみる。
……まだ少し違和感はあるが、確かに歩くくらいならもう問題ないだろう。
大丈夫だという旨をベアトリーチェさんに伝え、寝かされていたベッドから下り出口へと向かう。
「お待ちなさい! それならわたくしもついていきますわ。……それから、わたくしのことはベアトリーチェ、で結構でしてよ。わたくしも貴女をアルファ、と呼びます」
「うん。ありがとう、ベアトリーチェ」
そう感謝の言葉を述べ、並んでウェルギリウスさんの後ろについて歩いた。
まだ少しふらつく私をさりげなく支えてくれたベアトリーチェの心遣いが、とても嬉しかった。
*
『一言で言います。なんでまだ生きてる人類』
ミュゼスちゃんによると、そう評したくなるくらいに現状は厳しいらしい。
「戦力差は絶望的。武器も貧弱で、矢玉も魔石も足りていない。……なるほど確かに。まだ全てがあった頃の叡智の結晶である人工妖精からすると、疑問だろうな」
現状の再確認。およびこれからの展望。
持ちうる情報交換を終わらせたミュゼスちゃんとウェルギリウスさんは、そんな話をしていた。
「それは勿論、心が折れていないからですわ。根性論に聞こえるかもしれませんけれど、感情というものはときに奇蹟を起こすものです」
聞けば、ベアトリーチェさんはクリフォトの制御を行う巫女でもあるらしい。
沢山の人に未来を託され、それを操る立場だ。だからこそ余計に、人の心や感情といったものには感じ入るものがあるのだろう。
『奇蹟頼りというのも戦略としてどうかと思いますけど。同じ状況をミュゼスちゃんが指揮したとして、今日までこの街を存続させられたかは怪しいものなので納得せざるを得ませんねえ』
「その上──」
ウェルギリウスさんが私を見る。
釣られてベアトリーチェもこちらを見た。
ミュゼスちゃんもなんとなくだけど見ている気がする。
「ここにこうして、特大の奇蹟が現れただろう? 神の奇蹟。神託どころではない、直接神が介入して作り出した奴らを殲滅できる可能性だ」
ウェルギリウスさんには女神さまのことも話した。
信じてもらえないかと思ったけれど、あっさりと信じられたというか、神の存在自体既に証明済みらしい。
曰く、人に心があり、自然に精霊という意思があるように、惑星の精神こそが神であるとか。
なるほど確かに、女神さまと初めて逢ったときに感じた印象は、正に星そのものだった。
「遥か昔、滅びを視た神はその力の全てを使い奇跡を起こし、この世界に魔法をもたらしたとされておりますわ。ですので彼女──アルファは、神にとっても本当に最後の賭けなのでしょう。無限とも錯覚するほどの魔力、驚異的な回復力。どれを取っても奇跡と呼ぶに相応しいかと」
『そうでしょうそうでしょう』
自分のことのように自慢げに宝玉を光らせるミュゼスちゃん。
……私としては、私自身よりもミュゼスちゃんの方が凄いと思うのだけれど。
端的に言うと私って魔力が凄く多いってだけだし。
そんなことを小さく呟く。
『いえいえ。私を扱うとか普通の人間には無理ですから。無理無理。追い詰められてトチ狂って火力を追求して、理論上異界を破壊する事もできるミュゼスちゃんを作ったのはいいものの、使い手のことは当初より度外視でしたし?』
根本の理論が違うので単純比較はできないものの、ミュゼスちゃんの一撃はクリフォトの一撃に匹敵するほどの消費があるらしい。
いまいちピンとは来ないが、数百数千の人間が命を賭してやることと同じだけのことが独力で出来ると思えば、それは確かに凄いことなのかもしれない。
『そこで、なら使える人間を作ればいいや! とばかりにすぐさまアルファちゃんに着手したのは凄まじい執念でしたけど。人間のバイタリティは凄まじいものがあります』
「ふむ。そこなんだが──彼女ならば、お前を十全に扱えるというのは、本当か?」
眼鏡をクイと上げ、厳しい目でウェルギリウスさんがミュゼスちゃんを見た。
その目は学者らしく、真理を探求する強い意志が宿っている。
『…………それは、どうしてです?』
「仮にアルファが十全だったとして、先程言ったような異界を破壊するようなことが出来るとは思えん。それは神を、惑星を、欠片も残さず消滅させると言っているのと同じだからだ。どれほどの魔力を注いだとて、精々地表を焼き払うくらいのことしか出来まい」
くらい、というには十分スケールが大きい気もするけれど、確かに地表を余さず灼いたところでそれは星にとって些細な傷でしかないだろう。
直径何千キロもあるような鉄と岩の塊を砕くどころか消滅させるというのは、決して簡単なことではない。
「カリオペ直射砲。クレイオ誘導砲。エウテルペ高速砲。タレイア速射砲。メルポメネ徹甲砲。テルプシコラ迫撃砲。エラト狙撃砲。ポリュムニア榴弾砲。ウラニア対空砲。お前の語った九柱の神話の神の名を冠したどの砲を用いたとて、それを為すことは出来んだろう」
『………………』
「何か隠している──いや、話していないことがあるだろう」
問い詰められたミュゼスちゃんは黙り込んでしまった。チカチカと、何かを思案するように宝玉が瞬いている。
それの意味する所は、即ち。
『……沈黙したところで肯定したようなものですね。いいでしょう。認めます。ミュゼスちゃんにはまだ隠し形態が存在します』
それは、つまり。私でも扱いきれないような、あるいは代償として私に死を強いるような──そういうものなのだろう。
思えば女神さまも、私の魔力が十分に使えないことが分かる前から、まるで私の死が確定しているかのようなことを言っていた。
『──ハルモニア収束砲。使用者の全ての魔力を絞りきり、魂さえも魔力に変換して撃つ一撃必殺の砲撃。異界を破壊するというのは流石に理論値にすぎませんが、この世界の神を殺したり、異界との接合点を断ち切ったりする程度のことなら造作もありません』
その言葉を聞いた、ウェルギリウスさんの口が釣り上がる。
ククク、ハハハ、と高らかな笑い声。
「なるほどそういうことか! ようやく合点がいった! 接合点か! 道理で! 神の最後の賭けにしては実現性が乏しいと思っていた! これならいけるぞ……! ならばアレが──」
心底おかしそうに笑いながら、ウェルギリウスさんは紙に何かをガリガリと書き込むと、思い立ったように立ち上がりそのまま小走りで部屋の奥へと消えていった。
残された私は、ベアトリーチェさんと一緒にポカンである。
なにやら現状の突破口が見えたらしき様子ではあったが……。
「……コホン。ところでミュゼスさん。その話をアルファに隠していたのはどうしてなんですの?」
微妙になった空気を切り替えるように、ベアトリーチェが訊く。
ベアトリーチェが訊いていなければ私が訊いていただろう話。正直私からはなんとなく訊きにくかっただけに、ありがたい。
『これまでのデータより推定しているアルファちゃんの性格より判断して、この情報はアルファちゃんの精神を予想不能な不安定状態に変えうると判断したからです』
「確かに……自らの死が前提の攻撃だと聞けば良い気はしないでしょうけれど……」
『アルファちゃんの場合はそんなものではありません。彼女自身気がついていないのかもしれませんが、彼女の生存欲求ははっきり言って異常です。恐らくは誕生前に魂がほぼ死んでいたことが原因なのでしょうが──』
そう言って、ミュゼスちゃんはこれまでの私のことを話し始める。
女神に啖呵を切って生まれてきたこと。収容室で壁を殴り始めたこと。一度死に瀕しながらも明日を生きるために平気で死に踏み込んで訓練をし続けたこと。
『矛盾しています。理解不能です。彼女は生きたいと強く願っていながら、死の目前にまで近づくことを恐れない』
本人の目の前で酷い言いようだ。
内容も甚だ遺憾である。
私はただちょっと生きたがりなだけの普通の女の子だと何度言えば分かるのだろうか。
そりゃあ勿論今の話には驚いてはいるけれど、精神が予想不能な不安定状態になんてなってはいない。
『ですから私は──そんな彼女に、最後には死を前提とした攻撃が必要だと教えたくはなかった。だってそうでしょう? 明日を生きたい少女の世界が明日を迎えるには、その少女自身が死ななければいけないなんて、論理異常にも程が有ります』
誰かこの人工妖精にデリカシーというものを教えなかったのか。
その方が私にとってよほど論理異常だ。
私は平気だけれど、心配しているというのならそういったことはもう少し伏せておくべきだろう。
いや、まあ、大丈夫ということを読みきった上で開き直っているだけなのかもしれないけれど。
「…………アルファ、顔色が悪いですわ」
ベアトリーチェが心配そうな表情で私を覗き込む。
──そんなに、深刻な顔をしていただろうか。
「大丈夫だよ。全然平気。確かにびっくりはしたけど、それだけだから」
『元凶の私が言うのも何ですが、とてもそうは見えませんよ。一度お休みすることを提案いたします』
自覚はまるでないのだけれど。
ミュゼスちゃんもそう発言するからにはやはり休んだほうがいいのだろうか。
一度そう思うと、それに呼応したかのように全身のだるさが強くなる。
……実際がどうであれ、私の身体はまだ全快してはいない。それを自覚した途端に眠気も出てきた。
「ウェルギリウスはしばらく戻らないでしょうし、部屋に行きましょう。わたくしが案内いたしますわ」
ベアトリーチェが私を支えて立ち上がる。
……目を落とすと、私の脚が震えていた。うまく力が入らない。平気なつもりではあったが、戦闘の後遺症は予想以上に大きかったらしい。
ミュゼスちゃんを杖代わりに、ゆっくりと歩き部屋へと向かう。
杖の先端の宝玉は、意味深にぼんやりと光を放つだけだった。