04話『彼ら彼女らと同じことができますか?』
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
暗闇の中。海の泣く声を聞いた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
すすり泣きは弱々しく、まるで病床に伏す死病患者のよう。
……女神さま?
「ああ……ああ、あなたですね。……ごめんなさい。わたしの力が及ばなかったから……最後の奇跡も、失敗したから……」
闇の中にかつて見た女神さまの姿が浮かび上がる。
心なしかやつれ、その身の放つ神々しさも弱くなっているような気がする。
「何だかわからないけれど、女神さまが泣いているのは私も悲しいよ」
だって私は、生まれる前に消えるはずだった私に形を与えて助けてくれた女神さまに、感謝しているんだから。
「ね。ほら、泣かないで。世界のことは私がなんとかするから」
微笑みかける私に、女神さまはほんのちょっとだけ悲しみを深くしてから、微笑みを返す。
「……申し訳ありません。神が泣いてばかりでは、あなたは不安を覚えるだけですよね」
そう言いながらもまた謝る女神さま。
「ひょっとしてだけど……私が上手く戦えなかったこと──こうして気を失ったことに関係ある?」
熱くなる身体。抜けていく力。無くなりゆく感覚。
どこまでも。どこまでも。ずっと。ずぅーっと。水底に沈んでいく感覚。
あれは────。
「私、死んだ?」
目に見えて驚愕し怯えるような表情を出す女神さま。
悪い顔色が更に悪くなり、もはや死人のようだ。
……正直、こっちがいじめているみたいになるから、その過剰反応は止めて欲しい。内容が内容なだけに、心臓にも悪いし。
「あなたは、まだ、死んでいません」
震える声で、女神さまが言う。
「魔力のある限り、あなたは死にません」
含みのある言い方。
魔力があるのならば私は死なない。ならば、逆説的に。
「魔力を使ったから。……だから、私は死にかけている?」
異形のホログラムと戦い、ミュゼスちゃんを槍として扱い魔力を消費したから?
────それだけで?
まだ実戦経験もない私が言うのも何だが、あの戦闘は戦闘とも呼べないような至って簡単なものだったはず。
魔法の砲撃をしたわけでもなく、ただ予備の近接装備を使用しただけ。
勿論、ミュゼスちゃんの消費魔力がその予備機能においてさえ莫大だったと考えられなくもないが……。
「……わたしの力が及ばなかったのです。あり得ざる命のあなたを目覚めさせるという無理は、やはりわたしの分を越えていた」
神でさえ及ばぬ奇跡。
私という命が誕生することは、そこまでの無茶だったのだろうか。
「世界を殺すことさえ可能なあなた。異界を滅ぼすことすら可能なあなた。そんなあなたは今──自らを生かすことだけに全ての魔力を使っている」
比類する者のなき無尽蔵の魔力全て。
それだけの対価が、私がただ生き続けるということだけのために必要だと言うのか。
それだと……それだと、何の意味もない。
私は生きていたいのに。その為に、明日を手に入れるために戦おうとしているのに。
底の無い沼で、あがくことも許されず、ただ黙って沈んでいくこしかできないなんて、そんな。
「────時間です。愛しい子。不甲斐ない女神を、どうか、恨んでください」
*
目が覚めた。
天井がひどく遠い。
どうやら私は、倒れた場所のままベッドで寝かされているようだ。傍目にはややシュールな光景かもしれないけれど、ミュゼスちゃんに手は無いし、たぶん触れる立体映像の応用みたいな感じでどうにかしたのだろう。
『おはよーです、アルファちゃん』
「……おはよう、ミュゼスちゃん。私、どれくらい倒れてた?」
『ほんの10分か15分ほどですねえ。それで、寝ている間に簡易な検査を済ましたのですけど──』
ミュゼスちゃんの声がやや固く無機質に聞こえる。
見捨てられる、かもしれない。彼女の目的はあくまで異形を倒すこと、人類を守ること。人工知性体として合理的な判断を下せば、戦えない私は不必要だ。
「わかってる。夢で女神さまに聞いた」
『夢で、ですか。神託というやつですかね。アルファちゃんにそういう機能は無かったかと思いますが……まあ、これだけ例外が起きればそういうこともあるでしょう』
例外。
そう。例外だ。
そもそも私が生まれたということ。それ自体が異常だったのだ。
そして、最初にして最大の異常に対するカウンターが、私の魔力を間接的に封じるというものだったのだろう。
神でさえ抗えなかった、普遍の摂理。
世界を破壊する熱量には、それだけの根拠が要求される。それでも無理を通すのならば、通した分だけ何処かにしわ寄せが及ぶ。それだけのこと。
「──あはは。なんだ、そういうことか」
神の奇跡で世界が救われるなんて。
最強の武器を振りかざす勇者が現れるなんて。
「そんなの、最初からありえなかったんだ」
生きたい、という気持ちは変わらない。
だけれども、それを成し遂げる力が無ければ、それは戯言だ。
終末の世界で。ただ生きることしかできない少女。終わりを待つだけの、哀れな存在。それが私。
『ミュゼスちゃんにはそのあたりの細かい機微は推測することしか出来ませんが────それは、投了宣言と受け取ってよろしいですね?』
長杖の宝玉が、機械的に問う。
声は固く、もはや人工物であることを隠そうともしていない。
「死にたくない。生きていたい。…………そう思ってるのは嘘じゃない。そのために人類を救いたいとも思ってるし、外で戦ってる人みたいに最後まで抗いたいとは思う。でも──そのための力が無いと、何を言っても虚しいだけだよ」
『最強魔砲という強大な力が無ければ戦いたくはないと。魔力が使えない、身体能力も高くない最弱少女は戦えないと。そう仰るのですね?』
まるで責めるかのようにミュゼスちゃんは問う。
実際にはそんなことはない、ただの確認作業なのだろう。
それでもそう聞こえたのは……あるいは、私がどこかで後ろめたく思っているからか。
『……これは余談なんですけれど。異形どもを焼き尽くしたあの塔が、対価に何を要求するか知っていますか? あ、いえ、知らないのは存じております。独り言のようなものなのでお気になさらず』
そんなことを言って、一人でペラペラと話し出すミュゼスちゃん。
『クリフォトが作られたのはかなり古い時代でして、記録では第二紀の時代だそうです。神託により宣告された滅びの訪れに備えて建設されたと、そうあります』
ミュゼスちゃんの意図が読めない。確か犠牲を強いる欠陥兵器だとか言っていたけれど、そんな塔の話をなぜ始めたのだろう。
『古典魔法というのは、まあ所謂古いフィクションに出てくるおとぎ話のような魔法ですね。長々と呪文を唱えたり、妖精や精霊を使役したり、生贄を捧げたり、そういうやつです』
「生贄……」
わざわざ強調して言うということは、そういうことなのだろう。
目の眩むようなあの輝きは魂の輝きそのもので、異形の軍勢を消し飛ばした一撃は文字通り命を絞った一撃だったと。
『一人、二人という話ではありません。あの威力では、それこそ──何百、何千と』
途方もない話に、目眩がする。
『老人が。病人が。戦う力を失った戦士が。抗う術のない市民が。それでも何かができないかと、少しでも滅びを先延ばしにはできないかと、自ら進んで生贄となったのです』
それなのに、あなたは立ち止まるのですか?
そう、詰問されているような気がした。
「私は────」
喉がからからに乾く。
真の意味で、命を賭した戦いが私にできるのか。
『アルファちゃん。戦えないあなたは、それでも抗うために彼ら彼女らと同じことができますか?』
比喩でも何でもない命がけ。世界のために命を投げ打つ行為。未来のための自殺。クリフォトの矢玉となり敵を穿つこと。それを、私も……。
いや、違う。
この世界に生まれてくるとき、私は何と思った?
死ぬのは嫌だと女神さまに叫んだ私は、あの時何と言った?
「私は────辛くても、苦しくても、諦めない。死ぬような目に遭っても、命を削ってでも、それでも生きることを諦めない……!」
同じことができるか?
────できないに決まっている。
「私にできることはそうじゃない。私がやるべきは、命が終わる、そのギリギリにまで踏み込んで最強魔砲を使い続けること!」
ここにきてようやく、ミュゼスちゃんの意図を悟る。
彼女は試しているのだ。
私が自らの価値を正しく把握しているのかを。
『いいでしょう! ならば最弱少女は戦えます。魔力を使えば命が削れる? それが何ですか。何のための半神! 何のための膨大な魔力!』
私の覚悟に呼応するように、ミュゼスちゃんの声に力がこもる。
『人工妖精である私は冷徹にこう言います。死ぬのなら、世界のために限界まで魔力を使ってから死ね』
ともすればつき放つかのような勢いの宣言。けれどもそれは、ミュゼスちゃんから私への熱い激励。
望むところだ。
ならば私は、死ぬ寸前までこの身を捧げよう。
この世界を救うため。人類を守るため。私が明日を生きるため。
────ここに。最弱少女と最強魔砲の終末戦線が始まる。