◆ディートの追想◆
少年には好きな人がいた。
それは恋という意味で。
けれどその恋はどうにもうまくいかないものだった。
僕の手から弾き飛ばされた木刀が石畳を転がる。
痺れる手をかまわずに、それを弾き飛ばした兄弟子を睨んだ。
「まだまだだなあディート」
「……」
スティーグ=バルテルス、同じ師に剣を教わった青年。
青い短髪に鳶色の目、隙のない一番弟子。
「まだまだ背もちいせえし、手もこれじゃあな」
「すぐに追い越してやる」
少年、ディートハルトの言葉にスティーグは笑った。
「それは一生無理だ、おまえは俺よりでかくならない」
「そんなの、わからないじゃないか」
何かにつけて鼻につくのは、スティーグ自身が悪いわけではなくて。
「ディート、大丈夫ですか?」
近くで聞こえた鈴のような少女の声。
隣まできて、僕の小さな手に触れる。
桃色の長い髪が揺れ、金色の瞳がじっとこちらを見つめている。
「スティーグ、子供相手にあんまりですよ」
「子供は子供でも真剣勝負だ、手をぬいたほうが失礼ってものだぞ」
(子供、子供って……)
二人の会話に僕は嫌な感情を感じた。
たしかにまだ、子供ではある。
それが今、何より僕を悩ませていた。
「もうっ、手が真っ赤になってしまっているじゃありませんか、可哀想に」
「ミラ、平気だよ、僕はもう子供じゃない」
桃色の髪の少女、ミラ=ヴァリアーニにそう告げると、彼女は首を横に振った。
「いいえ、ディートはまだまだ子供ですよ。だから痛いときは痛いって言っていいんです」
心配してくれているのは僕にもわかる、けれど胸によどむ感情があった。
「いつまでもガキ扱いしてると、あとで噛みつかれるぞ?」
ミラはそれに呆れたような視線を向ける。
「スティーグではないのですから、ディートはそんな子じゃありませんよ」
「どうだかねえ? というか、おまえには意味が正しく伝わっていないとみた」
「はい?」
そんな問答をしながらも、僕の手を握る少しだけ大きなミラの手。
安心するのに、苛立つようにもなったのはいつからだっただろうか。
「まあいい、ミラ、おまえ暇ならこれから飲みにでも行かないか」
「……私は未成年です」
きっぱりそう答えるミラに、スティーグはにやにやと笑う、その視線は僕に向いていた。
「おごってやるから、つきあえ」
僕はそっと触れるように、ミラのドレスをつかむ。
「ミラ、おなかすいた」
とっさに出た言葉だったが、ミラは金色の瞳をまたたいて、すぐに微笑んだ。
「まあ。分かりました。何か作りましょう。ということでスティーグ、酒場ならお一人でどうぞ」
「しようがない、残念だ。しかしディート、おまえも本当にまだまだ子供だなあ」
「……うるさい」
心が痛む、よどむ。
どろどろした感情がわいてくる。
なぜだろうと考えたことはある。
結論からすれば自分が子供で、スティーグが大人だからだと考えた。
ミラにとって、いつまでも自分は弟のようなもので、そこから何も変わらないのに。
◇◇◇
普段、誰かの作った食事を食べることがない僕にとって、ミラの手料理は特別なものだった。
六男という立場がら、あまり必要ともされない僕には、ただ広い屋敷が与えられた。
最初のころは使用人もわずかに居たけれど、魔術の修練を積むうちに煩わしいので解雇した。
気味が悪いと辞めたがっていたのだし、ちょうどいいと考えた。
そのせいか、ミラはとても僕を気にかけてくれた、そんなつもりはなかったけれど、うれしいことではあった。
ミラの父は僕とスティーグの剣の師で。
だからミラとスティーグと僕と三人で昔からずっと一緒に居た。
だけど僕だけが、ずっと追いつけないままでいる。
「とてもおいしかった」
ミラが作ってくれた晩御飯を食べ終えてそう告げると、彼女は花が咲くように笑う。
「よかったです」
そう言いながら僕の分と彼女の分のティーカップをテーブルに置く。
「……ねえ、スティーグといっしょに行きたかった?」
僕の問いに、ミラは不思議そうな顔をして。
けれどすぐに困ったように笑った。
「彼のことですから、酒場で気のあうかたを見つけて飲んでいるでしょう」
「……よく知ってるんだ」
「何度か付きあわされていますからね」
「……」
ずっとミラといっしょに居たいのに。
心はどんどんよどんで濁っていくばかり。
「僕もはやく大人になりたいな」
「それは、少し寂しいものですね」
「どうして?」
不満に思って、少し強めに言ってしまった。
「だって、ディートが大人になったら、身分の高いかたと結婚することになるでしょう?」
「……僕は実家とはあんまり関係ないよ」
実際にはミラの言う通りそういう話がでることになるのだが、このときの僕はそう思わなかった。
実家は伯爵家だが、これだけ長い間ほうっておいて。
「ふふ、弟のように思っていられるのもあと少しばかりなのでしょうね」
「……僕はミラの弟じゃない」
「あら、寂しいことを言いますね」
「だって、ほんとうのことだから」
ミラは寂しそうに笑って、席を立って僕の頭を撫でた。
「そうですね、あなたは私の弟ではない」
「……うん」
これでいいはずなのに、何か虚しさがあった。
我ながらわがままだと思う。
それから少しして、僕は王都の学校へ通うことになり、ミラとスティーグと離れることになった。
急に決まったことで、ミラと話す時間もなく。
深夜の出立時、スティーグがやって来た。
「よぉディート、都会に行っても頑張れよ、おまえなら心配ないとは思うが」
「……抜け駆けしたら、許さないから」
僕の言葉にスティーグは右手をひらひらと振った。
「そりゃあ、俺がしなくともあいつがどうするかは知らんな」
「……いつか絶対、後悔させてやる」
「そうか、楽しみにしてるぜ」
にこにこ笑っていたスティーグの表情がゆがむのは、それから数年してからのこと。
◇◇◇
「戦争ねェ」
その日スティーグは青空を仰いで寝転がっていた。
そのとなりでミラも空を見上げている。
「悲しいことです」
「ま、しょーがねーだろうさ」
「というか、スティーグ、あなた今は騎士でしょう、この街に新しく来る指揮官に挨拶をしなくていいのですか」
「いいんだよ、俺みたいな下っ端なんかお上が知るはずもないだろう、いて」
ぐいぐいとミラがスティーグの頬を引っ張った。
「もうっ、ディートも頑張っているでしょうに、あなたも少しはしっかりなさってください」
「ミラ、貴族ってのは下々の者のことなんか考えてないんだと……」
「挨拶なら」
二人の背後からかかった声に、ミラもスティーグも同時に振り返る。
「必要ないよ、君が来るなんて思ってもいなかったからね、僕のほうから来てあげた」
「……は?」
スティーグがとぼけた声をあげ、ミラは見覚えがあるような、ずいぶんと変わってしまったようなその青年に首を傾げた。
「スティーグ=バルテルス、今日から僕が君の上官、ディートハルト=バルツァーだ、よろしく」
にこりとほほ笑んだのは、金色の髪に紫の目を持つ青年だった。
黒の軍服といい、ずいぶん伸びた背といい。
二人はそのまましばらく固まっていた。
◇◇◇
べつに戦争が起こるなんて思っていたわけじゃなかった。
ただあの憎たらしい兄弟子を叩き伏せてやりたい一心で努力した。
その結果でこうなっただけのこと。
◇◇◇
スティーグは相変わらず僕を子ども扱いするけれど。
ミラは前と同じようには接してこなかった。
弟でなくなったことはうれしい、だけど彼女との距離をもどかしくも思った。
深夜の河川敷にミラを見かけて、声をかけた。
「ミラ、こんな時間になにをしてるの?」
「あっ、ディート、その、ちょっと散歩をしていただけなんです」
「こんな時間に? 危ないよ」
彼女の視線が泳ぐ。
こちらに戻ってきてからというもの、あまり目をあわせてはくれない。
近づけば一歩離れるのを繰り返す。
それがなんとも、もどかしくてならない。
「大きくなりましたね、ディート」
「男だからね」
「ふふ」
彼女は小さく笑って、金色の目で僕を見る。
その色が昔からずっと大好きだった。
「きっとお嫁さんには困らないでしょうね」
「……」
月を背に、夜風の中でほほ笑むミラと間合いを詰める。
驚いている彼女の左手首をつかんだ。
そうしないと逃げるから。
「僕は君がいい」
「はいっ?」
素っ頓狂な声に思わず笑ってしまった。
「子供のころからずっとそう思ってた。君がいいって」
「……」
しばらく固まっていたミラはようやく理解したのか、双眸をまたたいて引きつった声で言う。
「み、身分が、つりあいませんよ」
「なんとかする」
「……っ」
真っ赤な顔がかわいいと思っていたら、ミラのほうから僕に近づいてくれた。
「……いいのですか、私で」
「うん、君がいい、君とずっと一緒にいたい」
幸せだった、とても、とても。
大切にすると、決めたんだ。
なのに。
それなのに……。




