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◆空白:壱◆

 物音がしたのは夕暮れ時だった。

「おかえりなさい」

 声をかけると、ディートは驚いていた。

「……どういうつもり?」

「どうって、こっちのせりふですよ」

 私の言葉に彼は眉を寄せた。

「君はひとを恨むとか憎むとかしないの?」

「勝ち目のない争いはさけたいものですから」

「……そう」

 ディートはまた目を細めた。

「ま、いいけど。おいで」

 手を引っ張られて、向かった先は食堂のようだった。

 誰もいないけれど食事が一人分長いテーブルに並んでいる。

「一人分ですね」

「僕はいらないから」

 そう言って、彼は部屋を出て行った。

(いただきましょうか。おなか、すきましたし)

 誰もいない大きな部屋での食事は寂しいものがあるけれど。



 ◇◇◇



 食事が終わると、またひとりでにお皿は消えていった。

(家事が楽になりますね)

 私は部屋を出て、最初に自分が居た部屋に戻った。

 部屋のクローゼットにはいくつか服が増えていた。

 そして浴室が備え付けられているのでありがたく使わせてもらう。

「うーん……」

 もともと平民の……たぶん、平民だったんでしょう。

 記憶が定かでないなら、本当はもっと貧乏だったかもしれないし、もっと裕福だったかもしれないけれど。

 身分不相応な環境にあらためて私は周囲を見回した。


 足に細工されたアンクレットがあることをのぞけば、私の待遇は捕虜のものではない。

(ディートは魔術師ですし、オルテンシアにも魔術師はいましたが、死霊を使う者なら私は今頃ゾンビでしょうし、四大元素を使う者なら私はいまごろ悲惨な目にあっているでしょうし……)

 肩口のあいた夜着に着替え、ベッドに横になってみるけれど、いまひとつ眠れない。


(枕が変わっても眠れますが、さすがにこうまで環境が変わると眠れないものですね)

 起き上がって部屋を出る。

 少し館の中を歩いていると、かすかに音が聞こえた。

「?」

 苦しそうな声だった。

 そっと音が聞こえた部屋のドアに近づきノックをするが返事はない。


 中に居るのはディートのようで、しばし迷ったあと私は扉を開いた。

 そこは執務室らしく、書類が机に積んである。

 ディートは奥のベッドで眠っているようだったが、悪夢でも見ているのか表情はひどくつらそうだ。

「だいじょうぶですか?」

 そっと肩をゆすると、うっすら紫の瞳がのぞく。

「……?」

「ディート、悪い夢を見たのですか?」

「……ミラ? どうしてきみがいるんだ?」

 目にはうっすら涙が滲んでいて、寝ぼけているのか私を見上げる目は切なげだった。

「どうしてって、あなたが――きゃあっ」

 上半身を起こした彼に腕をひっぱられてそのまま抱きしめられる。

 膝の上にのっかった状態で、彼は私の肩に顔をうずめた。

「……ほんとうだ」

「……」

 このひとと私の関係ってなんだったんでしょう。

 そんなことを考えていると、首筋に唇が触れた。

「っ、な、なにするんです!」

「……夜中に男の部屋に平気で入ってくるくせに、文句でもあるの?」

「それはあなたがうなされていたからです!」

「じゃあ、それが僕以外でもこうして起こしにくるわけだ」

 するすると腰を撫でる手に、私は離れようと思い切りディートの肩を押す。


「あなたはどうして私にこういうことをするんです、

 私とあなたはいったいなんだったのですか!」

 最初から分かっていたことだけれど、彼はたいへん見目がよろしい。

 つまるところ、私のような十人並みを選ぶ理由がない。


「……恋人だったよ」

 低い声だった。

 双眸は冷たく、憎しみさえ感じるものだった。

「子供のころから大切に想ってきた。

 だから攫われたあともずっと探してたよ、きっと生きていると信じていた、だけど君は僕を知らないと言った」

 長い指が頬をなぞる。

「今だってそうだ、君は何も知らない、僕のことも覚えていない」

「……っ」

「理解はできても、しようがないなんて割り切れないんだ。

 君が憎くてたまらない」

 首筋に噛みつかれて痛みが走る。



「まってください、いやです、だって、いまは……」

「……なにもしないよ。ただ、一緒に眠って」

 すがるような声だった。

 私の体をきつく抱きしめて、ディートはもう一度つぶやく。

「どこにも行かないで」

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