◆虚無の箱庭◆
私にとってその生活はただひたすらに苦痛であった。
忘れていられるのならどれほど幸せだっただろうか。
両親を殺した、親しかった人々を、その男にいいようにされていることが。
エルメルが愛してやまない自分の容姿を憎んだこともある。
けれどこの髪も瞳も肌も、ディートが好いてくれたものだ。
それでも。
心が軋んで気が狂ってしまいそうな日々だった。
自我を封じられたとしても、ミラという人格が消えてしまったわけではない。
私はここにいる。
ここにいるのに、何一つ私の思い通りにはならない。
指先さえも、まばたきの一つさえも。
あとどれほどの間、こんな生活が続くのだろう。
いっそ飽きて殺してくれればいい。
(会いたい)
ディートに会いたい。
(けれど、どんな顔をして、会えばいいのです……)
苦しい。
苦しくて。
もし自由が利くのなら、自ら命を絶ってしまいたいほどだった。
(もう、彼の隣にはいられないではありませんか)
これが自分の意思ではないとしても。
永久の誓いを破っていることに変わりはない。
それに、こんな不貞があってはもともと身分がつりあわないのに、もう彼の妻になる資格がない。
(わたしを、ころして)
泣くことも、笑うことも、起きるのも眠るのも、一つもミラの意思ではできない。
それなのにその日は深夜に目が覚めた。
「……?」
瞳を開けばほどなくぼろぼろと涙がこぼれてくる。
「え……?」
幻覚を疑った。
けれど頬にのばされた手が、涙をぬぐってくれる。
よく見知った青年、ずっと会いたいと思い続けてきた。
けれどもう会えない、どんな顔をして、どんなふうに接すればいいかもわからない。
帰る方法もない。
「ミラ、一緒に帰ろう」
そう思っていたのに。
「ディート?」
起き上がれば手を引かれ、私はよろめきながらも彼とともに部屋を出た。
「なぜ……?」
いまだに幻覚を疑う私に彼は「しっ」と唇に指を当てる。
暗がりを静かに走り、一階へ、窓から裏庭に出る。
「話は戻ってからいくらでもしよう、君の気がすむまで、いくらでも」
「……っ」
「どんな理由があろうと、僕は君を愛してる」
あとずさろうとした私を引き寄せて、抱きあげる。
その時だった。
「ソレは僕の物だ」
飛んできたナイフを、ディートは重力を操って叩き落した。
「エルメル、勘違いをしているようだけど、ミラは最初から君のものなんかじゃない。
たとえ、彼女の自我を封じて見せかけの愛を語らせようと、最初から君の手に入る女性じゃない」
暗く、暗く、濁ったような双眸でエルメルは私を睨んだ。
それが怖くて、私はディートの胸に顔を埋める。
「大丈夫だよ、ミラ」
髪にキスを落とされてすぐに浮遊感に包まれた。
驚いている間に景色は変わり、ディートではなくスティーグが私を受け止める。
「っと、おかえりお姫様」
「? ディート? ディートは……」
「あいつはあの根暗野郎の後始末があるんだよ、俺とおまえは先にここから離れるぞ、さすがにおまえを守りながらってのは難しいからな」
「そんなっ、無茶です、危険です! ディートが……」
「あいつを舐めるなよ、大丈夫だ、必ず戻ってくる。信じてやれ」
じたばた暴れてみても意味はなく。
強引に飛竜に乗せられる。
「ミラ、分かっていると思うが、今ここでおまえにできることはない、それだけは、おまえにも分かるよな」
「!」
「分かったらおとなしく安全圏まで離脱だ」
返す言葉がない。
今ここに私が残ったところで、余計に二人を危険にさらすだけだ。
◇◇◇
エルメルと、二十人近い警備の兵に囲まれてディートハルトは一人剣を構えた。
「まさか、敵うとでも思ってるの?」
エルメルの言葉にディートハルトは笑う。
「死にはしないよ、僕には帰る場所があるから」
「――忌々しい」




