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◆幸福な箱庭◆

 豪雨の中、屋敷に戻ったディートハルトは虚ろげに周囲を見回した。

 彼女が消えたことは分かっている。

 自らの意思で戻ったのか、それとも、そそのかされたのか。

 玄関近くに千切れたアンクレットが残っていた。

「……」

 ぼうっと立ち尽くしているディートハルトの肩をスティーグが叩いた。

「おい、ぼーっとしなさんな。まだどうにもならないと決まったわけじゃあない」

「……ミラは、あいつのほうが良かったんだろうか」

 無意識にこぼれた言葉だった。

 数秒の間を置いて、派手な打音が響き渡る。

 よろめくほどの勢いで殴られたディートハルトは、口の端から流れる血をぬぐって兄弟子であるスティーグを見る。

「もしもおまえが本当にそう思っているなら、あぁ、そうだろうとも、あいつはおまえに愛想をつかしちまったんだろうさ」

 鳶色の目を怒りに染めて、スティーグは拳を握りしめる。

「いいのか、ミラのことを道具のように扱うやつに渡しちまって。向こうであいつが幸せだったんなら俺はそれでもいいと思っていたさ、だが本当にそうか? あいつがおまえに刃を向けたなら、その時あいつはどんな顔をしていた。

 俺はその場に居なかったが、あいつがどんな様子だったかは容易に想像ができるぞ、もし思い出せないならおまえはさっさと別の女と結婚するんだな」

「……んとに、言いたい放題」


 大きく深呼吸をして、ディートハルトは顔を上げる。

「覚えているに決まってるだろ、死んでも忘れることのないくらい、強烈に覚えているよ」

「ならばよし、助けに行くだろう? 手伝うぞ」

「死んでも知らないよ」

「手ぶらで留守番してるよりかは心穏やかだ」



 ◇◇◇


 そこは幸福な箱庭だった。

 ただ笑顔だけがある。

 ミラは後ろからエルメルの首に腕をまわし優しく抱きしめる。

 エルメルはそんな彼女の腕に軽く触れて頬を寄せた。


 もしもこの箱庭におかしな点があるのなら、それはミラの瞳に自我も光も宿ってはいない、ただの少女の形をした人形であることだ。

 エルメルにとって、彼女の感情など些細なことだった。

 彼女があの男を想って泣くのなら、自分に罵声を浴びせるのなら、その体ごと支配してしまうまで。

 手に入らないものなんて無い。

 それが人の心であっても。

 心が手に入らずとも、体を支配してしまえばすべてを手に入れたのと変わらない。


「エルメル様」

 紫色の髪を撫でる細い手をとってキスをした。

「ミラ、あいつは馬鹿な男だね。君が本当に殺したい者が居るとすれば、それは僕だろうに」

 気の毒に、もはや、一番の憎しみさえ手に入らない。

「私があなたを? そんなこと決してありえません。

 なぜそんなつれないことをおっしゃるのです?」

 エルメルにとって「これ」は、一番お気に入りの品だった。

 珍しい姿をした人間、いや、現時点では人形かもしれないが、気に入っているからこそあいつに返してやるわけにはいかない。


 当然と言えば当然だが、彼女の両親を、親しい人々を殺したエルメルをミラは激しく憎んだ。

 とてもではないが、愛してくれる要素はなかった。

 そこまではまだエルメルも許してやることができたのだが。


 彼女がいつも決まって呼ぶ名前があった。

 それがディートハルト=バルツァー、ミラが口を割らないので調べてみれば彼女の婚約者だった。

 それだけが、どうしても許せなかった。

 ならばいっそ、すべてを支配してやろうと思ったのが始まり。


 ミラは自由だ、足枷も手錠もない。

 ただ、自我はない。

 エルメルの思い通りに動くだけの人形だ。


 そんな彼女の愛がほしいと、わずかながらに願ってはいた。

 だから今回、試したのだが。

 結果は思っていた通りだった。

 彼女は記憶を封じられてさえディートハルトを殺すことはない。

 傷つけることすらしない、それをするのなら自分が死ぬというほど。


「ミラ」

 名前を呼ぶと、ミラは首をかしげる。

 エルメルはそんな彼女に顔を寄せ、キスをした。

「どうなさったのです? エルメル様」

 ミラはくすぐったそうに笑い、自らエルメルの額に唇を寄せる。

「あいしているよ」

「まあ」

 微笑む彼女を見上げて彼は、にぶく燻る感情を自覚した。

 自分が与えるほどの愛を、彼女が自分に返すことはないだろうと。


 少なくとも、エルメルにとってこれは愛なのだ。

 彼女に自我以外の自由を与え、すべてを与えているのだから。


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