起章【転移編】 第一話「転移と‘‘奴ら‘‘」
目を覚ますと高い天井が見えた。
「・・・は?」
おもむろに身体を起こす。
カチャ・・・。
握りしめた右手に固い感触がある。
股間ではない。
ぎらりと輝きを放つ白銀色の柄と黒色の鞘に包まれたそれは、
漫画で良く目にするアレと酷似していた。
「・・・刀だ」
俺は右手に一本の刀を握りしめていた。
しかもこれは・・・。
薄暗い闇の中、ぎらぎらと白金の光がわずかに反射する。
日本刀だな、これ。
そしてざわざわとした喧騒の声に気付き、
巨大な空間を見渡した。
どういうことだ?
俺は家で寝ていたはずだ。
十数人の人間が周囲に立っていた。
だが皆同じように動揺している。
何が起きているのかさっぱり分からない。
ここはどこだ?
薄暗い空間に目をこらす。
ワックスの塗られた床に、天井の巨大な照明、バスケットゴール。
体育館だ。
というかここは俺の通ってる高校だ。
「扉が開かねぇ!!ちくしょう!!」
呆気に取られているとどこからか声が聞こえた。
ドォン!ドォン!と男たちが扉を叩いている。
「出せェ!! 出せよおおお!!」
おかしいな。
皆で誘拐でもされたってのか?
「どこだよここぉ!!」
大人たちが壁にすがりながら喚いている。
その状況を俺はどこか客観的に眺めていた。
「あ・・・」
そして少しの時間が経ち気付いた。
これは夢ではない
現実なのだと。
周りの人間達は皆完全にパニックに陥っていた。
出られない出られないと狼狽える者、
扉を叩き暴れる者、
頭を抱え泣きじゃくる者・・・。
あれじゃ駄目だ。
こういう時こそ冷静に状況を視なければいけない。
大人の癖にそんな事も分からないのか・・・。
とりあえず扉でも調べてみようか。
カサ・・・。
そう思い歩みだした時、脚元から音がした。
「ん?」
今度は紙だ。
何か書いてある。
読みづらいな。
薄暗い中、なんとか殴ったように書いてある文字を解読する。
【奴らが来ます すぐ助けに行きます 動かないでください】
奴ら?
なんだこれ?
わけがわからん。
「扉開かないってまずくね?」
「閉じ込められてるって事でしょ?ここはどこよ!」
「おいおいまじかよ!出れないってやべぇじゃねえか!」
血の気の多そうな若者が騒いでいる。
俺は隅にあった目立たない非常口を見つけてドアノブに手を当てた。
「ガチャン」
「あ・・・」
―――回る!
「おい今の音・・・!!」
その声にハッと全員が俺の手元を見つめた。
すぐさま先程の若者達が駆けつけてひったくるように強引にドアノブに手を掛けた。
「おい!とっとと出せよ!どけっ!」
「あ・・・でも」
「ガチャ」
「うおっ」
ヤンキーの一人がドアを開いた瞬間の事だった。
グワッと凄い勢いで開いた隙間から飛び出した何かが、
ヤンキー男を外に引きずり込んだ。
「バタン」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
がちゃ。
「・・・」
音を立てながらも静かにドアが閉まりドアノブが元に戻ると、
シーンと静寂が訪れた。
「なんだ、今の・・・」
いつの間にかここにいる全ての人間が集まりその様子を見守っていた。
「外から手が・・・?」
「手?俺には何も見えなかった」
「自分から外に出ただけでしょ?」
「いや、そっちからは見えなかっただけだろ」
今何が起きた?
俺も暗くて良く見えなかった。
何かが飛び出してきたように見えた。
少なくともヤンキーが自ら外に出た様には思えない。
「だから腕だよ、外から誰かがよ、引っ張り出したんだよ!」
誰かがそう声を上げた。
あれは腕か?
さっきの男はどうなった?
腕だとしたら、誰か外にいるのか?
未知に対する不安の中、
皆がそれを晴らす様に口々に互いの意見を口にした。
だが不気味なほどドアの向こうは静かだ。
「・・・」
「・・・」
一切誰も近づかない。
「・・・」
「・・・」
埒が明かない。
ゴクリ。
生唾を飲み込む音が聞こえた。
俺はドアノブをそっと握った。
ガチャリ。
「おっ、おい・・・」
皆が生唾を飲んで見守るのが分かる。
「・・・」
ドクン、ドクン。
鼓動が胸を激しく打っている。
ドアノブを握った手はびっしょりと濡れている。
手の平が熱い。
ガチャリ。
俺はゆっくりとドアを奥へと押した。
ドクン、ドクン。
すると開いた隙間から―――。
「・・・」
何も出てこない。
俺は恐る恐る外の様子を伺おうと
不用意にも顔を外に出した―――。
「・・・え?」
渡り廊下が見えた。
奥には暗い中佇む本校舎がある。
夜だが、普段通りの景色だ。
やっぱりここは学校・・・。
なんだ。
なら帰れるじゃないか。
よく分からないけどこれなら帰れる。
良かった。
俺は安堵感から、息をふぅっと吐いた。
帰ろう。
この時俺は完全に忘れていた―――
先程男性が外に引きずり出されたかもしれないという事実を。
だから―――
「ぴちゃ・・・ぴちゃ・・・」
―――外に押し開いたドアの死角から聞こえた音に何の疑問も持たず顔を向けた。
「ん?」
上半身が真っ赤に染まった女が立っていた。
「・・・」
右手に先程の男の千切れた上半身を持って。
「うわぁあああああああ!」
バタァアアアアアン!
俺は渾身の力を込め勢いよくドアを閉めた。
「おいおい、どうしたんだ?」
中にいた者達が訳が分からないと言った顔で伺う。
「ぁ・・・あ・・・。外に・・・」
腰が抜けてしまっている。
今のはなんだ?
血?
喰われてた?
人が?
「おいおい、何びびってんだよ、外に誰かいんだろ?早く出ようぜ」
そう言って先程の若者の一人がドアノブに手を掛けようとした。俺は堪らず声を上げた。
「おいっ待てッ何かいる!外になんかいるって!!」
その瞬間、ぽかんとした表情を皆が浮かべた。
「・・・」
「ハハハ!」
男が豪快に笑い、つられて皆が笑った。
男は笑いながらドアに手を掛けた。
「おい待てって!」
「そりゃ人だろ?お前びびりだな、寝ぼけてんじゃぎっ!!!」
男は外に引きずり込まれた。
「うおぉおおおおああああああ!!」
バタァアアアン!!
俺は全力でドアに体当たりした。
脳裏にありありと一枚の紙が浮かび上がった。
そこで嫌な予感が脳裏を掠める。
(((奴らが来ます すぐ助けに行きます 動かないでください)))
(((奴らが)))
あの女。
あれが‘‘奴ら‘‘・・・!?
「ドン!ドン!」
「!?」
背中が吹き飛ばされそうな衝撃が鉄の壁越しに伝わる。
「抑えろぉおおおおお!!!早ぁあああく!!」
俺の声に男達の数名が咄嗟に動いた。
だがドアは今にも吹き飛ばされそうだ。
全力で張り付いた俺達ごと吹き飛ばされそうな、
恐ろしいまでの力が扉ごしに伝わってくる。
「抑える物をッ!!!早く!!」
そうしてバリケードを作るべく倉庫にあった椅子等の備品を大量に積むころには、
扉をたたく音は聞こえなくなっていた。
「こ、ここは・・・どこなんだ?」
誰かが狼狽の声をあげた。
すぐさま全員が俺の方に目を向けた。
「・・・学校です、ただ外には‘‘何か‘‘います。出ない方が良い・・・!!」
真に迫る俺の眼を見て皆がゴクリと生唾を飲み込んだ。
つい3分程前に視界に映っていた物が脳裏に浮かぶ。
口元から上半身を真っ赤に染めた女。
右手には千切れた人間の上半身。
あれは・・・喰った後だ・・・人を。
「うぉええええええええ」
びちゃびちゃと床に嘔吐物をまき散らした。
「おいおいおい、外にいるのは何なんだよっ」
「ハァハァ・・・人が・・・喰われてました。・・・おぇっ」
そう言い終えた瞬間、女が悲鳴を上げた。
「いやぁあああ!!」
「!?」
「なんでこうなったの?」
「なんで私たちが!!」
キンと高い音が皆の不安を煽った。
徐々に、集団がパニックに陥っていく。
「・・・」
俺はそれを見て逆に落ち着きを取り戻した。
馬鹿が。
「もういやぁああああっっ!」
そう叫んで何か問題が解決するのか。
馬鹿が。
なぜ周りの事を考えない?
「ハァ・・・ハァ・・・うぉええ・・・ハァハァ」
「嫌ぁアアアア!!」
ヒステリックな叫び声は周りの者に不安を与える。
一緒に叫びだす者も現れ始めた。
「うぉえ・・・ペッ!!」
口の中にこびりついた嘔吐物をペッと吐き出した。
「ハァ・・・ハァ・・・」
そして腹に息をスゥッと貯める。
「助けてぇえええええ!!」
「黙れ!!」
シーン。
体育館が静まり返った。
皆の眼がこちらに向くのを確認する。
「ハァハァ・・・そこの紙に、奴らが来る、と書いてあります」
顎で床に落ちた紙を指すと、男性がすぐ拾い上げた。
「ほ、本当だ!!」
「奴ら?」
「見せて!」
次々と周囲の人間がその紙に顔を寄せてまじまじと見つめる。
「奴らとは多分さっき俺が外で見たものです。おそらく最初に出た男の人はもう、喰われました」
「おいおいまじかよっ」
ざわわっ!
皆の表情が一気に曇った。
まずいまたパニックに・・・。
「聞いてください!その後に、助けに行きますと書いてあります!ここで待ってれば助けが来ます!」
「ほ、本当だ!書いてある!」
「いつ?いつ来るの!」
「そ、それは・・・」
「いつ来るのよ!!」
分かるわけねーだろ!
俺も巻き込まれた一人だって見て分からないのか・・・。
が、
責め立てるような口調で女は俺を問いたてた。
その時。
ガタタン!
すぐ隣の用具室から大きな物音が鳴った。
「ヒッ」
何人かが恐怖に怯えた悲鳴を上げる。
「助けよ!助けが来た!」
しかしそんな中で、先程まで叫び声を上げていた女は喜々として用具室に駆け寄った。
「私を助けに来たんだわ!」
おいおい。
平和な脳みそだな。
いや待て。
助け?
本当に助けが来たのか?
確か用具室は非常口と、
つまり外と繋がっていたはずだ。
まさか―――。
先程の女は止める間もなくすがるように用具室のドアを開けた。
「ギィイイ・・・」
嫌な予想は的中した。
扉が開いた瞬間、おぇっと鼻の中をえずくような臭気が立ち込める。
用具室から現れたのは
「ガ・・・アァァ・・・」
腐ったような異臭を放つ、
人間の形をした謎の生物だった。
「いやぁああああああ!!」
女が頭を押さえながら地面にへたり込んだ。
「ガァアアア」
「嫌っ、やめてっ!!」
用具室から出てきた‘‘奴‘‘は容赦なく女の頭を掴み、
上へと持ち上げた。
「離し・・・ァア」
ブチッ。
いとも簡単に奴は引き千切った。
彼女の腕を。
そしてさも当然のように口へと運んだ。
「アアアアアァ・・・!!」
濁ったような女の声が響く。
「う、うわぁあああああ!!」
叫ぶ者、
その場にしゃがみ込む者、
腰が抜けてしりもちをつく者、
皆がその光景に驚愕する中、俺は奥からぞくぞくと中に入ろうとする‘‘奴ら‘‘に気付いて体育館の端へと逃げるべく全力で駆けだした。
奥にいる‘‘奴ら‘‘が用具室から姿を現す時にはもう遅い。
こちらの30名弱の人数に対して、ゆうにその倍はあろうかという数の‘‘奴ら‘‘が入ってきている。
恐るべき光景にただ固まっていた者達は次々と奴らに捕まった。
奴らは捕まえた人間の身体を容易に引きちぎった。
「嫌ぁあああグアッ」
音を立てて女の脚ももぎ取られた。
ぐちゅッ。
「あああっ!!」
「ぼへぇえええええ!!」
「あ・・・あ・・・助けて」
2,3歩後ろから、男性が腹を喰われながら助けを乞う声が聞こえる。
「た、助け・・・グァッ」
「うわぁああああああっ!!」
しかしびちゃびちゃという咀嚼の音がそれらの思考の一切をかき消した。
俺は体育館の一番奥へ猛然と駆けた。
捕食する仲間を見つけると奴らは猛然と群がり、ハゲワシのように肉を貪った。
ビチュルルル。
グチュチュチュ。
「あ・・・あっ・・・」
フリーターの男。
若い女。
年老いた老夫婦。
先程まで生きていた人達が倒れ、
血を啜られ肉を齧られている。
「助け・・・て・・・」
「あぁ・・・あっ」
「いやっ・・・あっ・・・」
喰われる彼らの声は次第に小さくなり、
そのあとはただグチュグチュと肉を食う音だけが響いた。
地獄絵図だ。
ガタガタガタと音を立てながら俺は体育館の隅に座り込んでただ震えた。
なんだ。
なんなんだこれは。
ガチガチガチと歯がぶつかる。
落ち着くんだ・・・。
落ち着け、落ち着け・・・。
「ハァ、ハァ・・・スゥ」
ハァハァと激しく律動する鼓動を鎮める様にゆっくり息を吸った。
落ち着け曙ハレ太。
状況をよく見るんだ。
こういう時程落ち着いて、状況を・・・。
倉庫の前は肉を貪る奴らで埋め尽くされている。
奴らは現在肉を食うのに夢中だ。
逃げなきゃ・・・。
幸いやつらは目の前の餌に夢中でこちらに気付く気配はない。
今ならバリケードのドアから出られる?
危険な賭けだ。
まずバリケードの隙間をくぐれるか?
その隙間をくぐる間、奴らが待っていてくれるか?
そんな訳はないだろう。
危険すぎる。
「・・ぐちゅるる」
「アア・・アアアッ」
「・・・!!」
視線の先で、まだ息がある女が腹を貪られる。
その女と目が合った。
「・・・ッ!!」
ウゥッ、
っと、思わず声が漏れてしまいそうになった。
ごめんなさい。
ごめんなさい!!
口を両手で必死に押さえた。
駄目だ声を出すな。
今反応されたら殺される。
落ち着け、落ち着くんだ。
だけど、
怖い。
怖い!!
怖い怖い怖い怖い!
恐怖で思考が止まってしまいそうになるのを全力で食い止める。
あのバリケードの前に居座られたら最後、脱出は不可能だ。
そうすれば待っているのは奴らの餌となる運命だけ。
危険だが行くしかない。
奴らが俺に気付く前に・・・。
そっと、そーっと。
恐る恐る俺は立ちあがった。
その時だった。
かちゃり。
握りしめた刀の鍔と鯉口がぶつかり音が鳴った。
やばい、
そう思ったときにはすでに遅い。
ぎょろりと、奴らの眼が一斉に俺の方を向いた。
「うわぁああああああっ!!」
バリケードに向かって全力で走る。
地面を全力で蹴って一直線にバリケードに向かう。
まだ間に合う!
しかしその前に一匹の奴が立ちはだかった。
「ああああああっ!!」
やばい!!
俺は半狂乱の状態で脳をフル回転させた。
喰われる!
死ぬ?!
どうすればいい?
どうすれば?
「はっ」
右手に握ったままの刀を見た。
これだ。
これで、斬れば。
倒せる!!
幸い奴らの動きは遅い。
立ちはだかる一匹は、俺が向かってくるのに気付くとゆっくりと迫ってきた。
逃げ道は完全にふさがれた。
怖い。
カタカタと腕から伝わる振動が刀を揺らし、恐怖はその存在を示す。
「わぁあああああああ!」
俺は悲鳴とも雄叫びとも言い難い声で刀を抜き、奴に猛突した。
奴は俺が目の前に来たにも関わらずふらふらと立ち尽くしたままだ。
やっぱりだ。
反応が遅い。
いけるかもしれない!
頭の上に振り上げて、思いっきり奴の右肩めがけて振り下ろす!
「ああああああああっ!」
よし、斬れる!
当たる!!
「ぐちゃ」
「え?」
刀は鈍い音をたててゾンビの右肩を切り裂いた。
しかし身体のちょうど中間地点あたりでひっかかって止まってしまった。
は?
まじか!!
てか抜けねぇ!
「あっ、ああっ!」
情けない、よりも脳に溢れたのは。
恐怖。
死ぬという恐怖。
「あああぅっ。あぁっ・・・」
やばい。
「ヒ・・・ヒヒヒ」
目の前にある奴の口の両端が醜く吊り上がった。
あ、
俺死ぬんだ。
死んだ。
その時だった。
ボンッ!
後方の‘‘奴ら‘‘の身体が宙を舞った。
そして天井近くまで舞い上がった身体が、そのままこちらに飛んできた。
「うおおっ!」
ドスンと尻もちをついた。
身体を思いっきり引いて抵抗がなくなった所為だ。
「抜けた!」
同時に奴らの群れの中からものすごい勢いで一つの影が飛び出た。
人影はそのまま地面に着地、
一足でダンッと地面を蹴り再び群れに突っ込む。
シュバッ!!
空気を切り裂くような音を辺りに響かせ、
同時に奴らの頭がスゥ―ッと滑るように首から床へ、ボトボトと落ちた。
「これは・・・」
トンッ。
身軽に着地するとその人影の正体が明らかになった。
短い藍色のスカートと、白いブラウスを着た少女だ。
学校の制服だ・・・。
刀を持っている。
「助けにきたわ!」
助け・・・。
その時初めて俺はバクンバクンと破れてしまいそうなほど心臓が激しく動いていた事に気付いた。
「うぅっ・・・はぁああっ」
ガクンと膝が地面へと落ちる。
すぐさま野太い男の声が体育館に響いた。
「生き残りはいるかぁあああ!!」
用具室奥の裏口から続々と刀を持った男達が入って来て、
その中の長刀を担いだ大柄な男の声が響いた。
「おおっ何人か生きてるじゃねぇか!助けに来たぞ!」
その後ろから次は白いタオルを頭に巻いた男が言った。
「皆さん!早くこちらへ!最初に握っていた刀を持って来るでござる!」
それに縋るような数名の声が体育館の隅から聞こえた。
俺以外にも生き残りがいたのか・・・。
「さぁ早く!!」
すぐさま刀を手に鞘に納めた。
だが広い体育館のどこかに落としてしまった刀に狼狽える者も中にはいる。
そうなることを知っていたかのように、助けに来た刀の集団は素早くすべての刀を回収した。
「回収完了!」
「よぉし!早く来い!こっちだ!」
俺達は誘導されるがまま、体育館の外に出て外に用意されたバスに乗り込んだ。
ガタンゴトン。
バスの中には殺伐とした空気が漂っていた。
特にバスの後方に座った俺達はただ恐怖し、あまりにも突然に近づいた死という概念にただただ震えた。
俺も例外ではない。
「・・・」
前方の方に座った刀の男達は黙っている。
外を警戒しているようだ。
そんな話しかけづらい空気の中、
俺達の中の一人の男が手を上げて立ち上がった。
「ここは一体どこな」
「口を開くんじゃねぇ、いつ奴らが飛び乗ってくるか分かんねぇんだ」
先程の長刀を携えた男が諫めた。
奴ら。
「奴らとは、ゾンビですか?」
「・・・」
長刀の男はスクッと立ち上がると最後列に座る俺を見据えた。
え、えぇ・・・。
怒ってる?
ボコンッ!!
その時俺の背中、正確には座席後ろの窓の中に衝撃が加わった。
「は?」
気の抜けた声を出しながら振り向く。
そこには外からバスに飛びつき窓ガラスに張り付いた‘‘奴‘‘の顔があった。
窓越しに脳に直接届くような鳴き声が響く。
「キシャァアアアアアア!!」
「ぎゃぁあああああああ!!」
「うるせぇな」
シャリン。
長刀を持った男はこちらに近寄るとその長い刀を抜いた。
「え?」
ずかずかとそのまま歩み寄ってくる。
何を・・・。
「動くなよてめぇら」
男は刀を構えて俺に切っ先を向けた。
そして俺に向かって勢いよく突いた。
「ああああああああ!!」
ズン。
頭の横を刀が通るのが分かった。
あれ?
刺されてない?
眼を開ける。
顔の横に刀が突きささっていた。
男はガラス越しにゾンビの頭を貫いていた。
「じっとしてろよ」
「は、はいいいいいいいい」
男が刀を抜いて刀身を拭き終えた。
「よし・・・もう大丈夫だ」
そして窓の外に出した顔を中に戻すとそう言った。
何がどう大丈夫なんだ。
わけが分からない。
「皆、落ち着いて聞くでござる」
白いタオルを巻いた男が立ちあがると、それに反応するように俺の隣の男が立ちあがった。
「これが落ち着いていられるかよぉおおおおおお!!」
震える俺達の声を代弁したような叫びだ。
「どこだよここはぁ!!なんでぇ!なんで俺がこんな所にぃ!!」
男は半分狂ったように泣き叫んだ。
まずいな。
パニックは伝染する。
そう思っていると、長刀の男は刀を抜いて切っ先を突き付けた。
「斬られてぇか」
「ヒッ!!」
バスの中に戦慄が走る。
「・・・」
白タオルの男は少し間を置き冷静に言い放った。
「すぐパニックに陥るような人間は生き残れないでござる」
「・・・」
確かに・・・。
一緒にここに座っている皆は落ち着いている方だと思う。
皆が用具室から‘‘奴ら‘‘が見えた瞬間に各々で判断したのだ。
逃げなければやられると。
だから逃げる。
それは今こうして客観的に考えれば当然の行為だ。
しかしそういった事態に実際に相対した時、
的確な判断、行動が出来る人間はそういない。
白タオルは少し間を置いて同じ言葉を繰り返した。
「落ち着いて聞くでござる」
なんでござるなの?
ふざけてるの?
普段の俺ならそう突っ込む所だが、そんな余裕はない。
黙って聞いていると、白タオルはこちらの世界について淡々と説明した。
要約するとこういう意味の事を言った。
ここは日本である。
しかし元にいた世界とは全く別の世界である。
この世界には‘‘奴ら‘‘が闊歩している。
先程見た人の形をした謎の生命体がそれだ。
外を徘徊する‘‘奴ら‘‘に見つかってはいけない。
なぜなら‘‘奴ら‘‘は獲物を見つけると、
そこに鬼のような速さで群がる習性があるからだ。
‘‘奴ら‘‘は映画で見るゾンビに見た目が酷似しているが別に噛まれても感染はしない。
しかし‘‘奴ら‘‘にとって人間が栄養源である事に変わりはなく、
なおかつ新鮮な人間の肉は‘‘奴ら‘‘の大好物である為、見つけた瞬間飛び掛かってくる。強烈な食欲を持っている。
‘‘奴ら‘‘は栄養源である人を摂取することで進化する。
血をひと舐めしただけで陸上選手の様に俊敏になり、
肉を一齧りしただけでヘビー級ボクサーのように強力になる。
元の世界に戻る方法は一つ。
その為にはこちらに来るときに握っていた刀を絶対になくしてはいけない。
説明の間、俺の身体は終始震えていた。
ガタガタガタと肩を揺らしていたのはおそらく俺だけではない。
ただ、自分の中にあるありったけの忍耐力をかき集めて白タオルの言った最後のルールだけは脳裏に刻み込んだ。
奴らを一定数切り倒すと刀身が真っ赤に染まる。
そうすれば元の世界に戻る権利が与えられる。
【その権利を持つものを、刀匠級と呼ぶ】
「刀匠級・・・」
大きな断崖絶壁の前にたどり着きバスが停止した。
どこだここは・・・。
バスは20分程走ったところで止まった。
という事は、だ。
ここは学校から20分ほどの位置にあるということだ。
だが俺はこんな物は知らない。
「来い、俺らの住処だ」
長刀の男がそう言い、皆がバスを降りる。
何の疑いもなく彼についていく。
「・・・」
さっきから皆いう事を聞いてるがこいつは何者なんだ?
俺の疑いすぎだろうか。
まぁ助けてくれたんだから味方だろうが・・・。
「ガガガガ・・・」
男が巨大な壁にある扉を開くと奥に薄暗い細い通路が見えた。
壁には電球がぽつぽつとついていて、足元を危なげに照らしている。
なんなんだここは・・・。
「俺について来い」
そう言って長刀の男は薄暗い通路を大股でぐんぐんと進んで行った。
慌てて小走りで後を追うと、後ろから皆も急くようについてきた。
「・・・ォオオオ!!」
壁の外に遠く聞こえる雄叫びに、俺は思わず長刀の男に尋ねた。
「あの・・・この声は?」
長刀の男は俺を、
ではなく俺の後ろを―――後ろを付いてくる皆を見た。
「お前・・・落ち着いてるな」
「えぇ。まぁ」
俺も後ろを振り返った。
正気を保っている者は少ない。
信じられない・・・信じられないとぶつぶつ呟いたり、
うつろな目で壁に頭をぶつけたりしている者がほとんどだ。
皆辛そうだ。
「ォオオオ・・・!!」
「奴の声だ。夜になると奴らは音と臭いに敏感になる」
「は、はぁ・・・」
「俺の仲間は何人も奴に喰われた。夜中ションベンに行くと言って外に出た仲間の頭が―――朝、外に転がっていた事もあった」
「・・・」
「外にはうじゃうじゃ奴らがいるんだ。いいか、夜は絶対に外に出るな」
「はい・・・」
信用していいものだろうか。
だがこの言葉は嘘ではなさそうだ。
ここはいう事を聞いておこう。
そして大きな通りに出た。
そこは6階、7階はあるだろうか、
大きな吹き抜けの空間が広がっていて通りの扉から多くの人間が出入りしていた。
「リーダーが帰って来た!!」
「おかえりなさい!!」
女、老人、様々な人間から声を掛けられリーダーと呼ばれる長刀の男はその声に手を上げた。
思ったより多くの人間がいる。
この状況でどうやって生きてるんだ・・・?
食料は?
考えている内に長刀の男は突き当りの一番奥の扉の前で立ち止まった。
「お前らぁ、自分が最初に握っていた刀を持ってるやつはこのまま俺と来い。それ以外の奴には施設の案内をする。こいつについていけ」
その言葉で白タオルの男について行くグループとリーダーと呼ばれる長刀の刀を持った男について行くグループに別れた。
リーダーの元には俺と一人の女の子しかついて行かなかった。
「うぅ・・・なんで、なんで・・・」
制服・・・。
高校生か。
彼女はガタガタと震えていた。
恐怖が表情からも見て取れる。
恐怖に震えている・・・。
しかし制服の上からも分かる豊満な胸と短いスカートからのびる綺麗な白い脚が嫌でも目に映った。
男の欲望をすべて詰め込んだようなわがままボディだ。
ここがこんな所じゃなければ今すぐにでもお世話になりたいくらいの。
「いや・・・いや・・・」
うわ言のように言葉をつぶやき、
怯えた表情を浮かべている彼女に俺は思わず声を掛けた。
「大丈夫?」
「ここはどこ・・・?なんでこんなことに・・・」
やっぱり怯えている。
無理もない。
目が覚めたらいきなり訳の分からない世界にいて説明もなく目の前で人が死んだのだ。
だが、この状況で正気を保っているのは強い精神力を持っている証拠だろう。
「お母さん・・・お父さん・・・」
だがそれでも限界は近づいているように見えた。
青ざめた顔でぶつぶつとつぶやいている。
勿論俺にもそんなに余裕はない。
それ以上は何も言わず黙って歩いた。
俺達は広い部屋に連れてこられた。
教室ほどの広さだ。
壁には木刀のようなものがたくさん立てかけてある。
「おかえりなさい!」
「あぁ、ただいま」
声を掛けられた方を見ると、小学生ぐらいの小柄な少年が立っていた。
どこぞの少年探偵を彷彿とさせる、大きい瞳と朗らかな表情の少年だ。
にしても元気だな。
先程この長刀の男に声をかけた人々といい、皆元気だ。
長刀の男はこちらに振り向いた。
「お前ら、遅くなって悪かったな」
「いえ・・・」
「俺の名前は神場進之介、皆シンバと呼んでいる。こいつは藤司要。まだ中学生だが俺と一緒に戦ってる」
「藤司要です!!」
中学生・・・。
こんな子供が・・・。
「俺はハレ太。曙ハレ太です」
「そうか。そっちの嬢ちゃん、名前は?」
「早川せりな・・・です」
シンバは震えるせりなを見ながら言った。
「怯える気持ちも分かるが手っ取り早く言わせてもらう。さっきバスん中で話した通りだ。奴らを刀で1000匹殺せば刀身が赤く染まる―――これを見ろ」
そう言ってシンバは担いでいた長刀を抜いた。
「!!」
目に映ったのは真紅の色。
血が今にも滴り落ちそうな、曇りのない赤。
刀身のその切っ先までが
真っ赤に染まっていた。
「こうなれば帰れる。元の世界に」
「帰れるんですか?!」
せりなが必死の形相で言った。
「あぁ、帰れる」
「どうやって!?」
「今に分かる。その話は後だ」
「嫌!今教えて!!」
「夢を見るんだ」
「夢!?夢って何!?」
「夢は夢だ」
「だからそれが何なの!?」
「・・・」
せりなは興奮したような表情で問い詰めた。
だがシンバは深刻な表情を崩さない。
「見れば分かる」
シンバの思いつめたような表情はせりなの勢いを鎮めた。
「あ・・・」
「だから落ち着いて待っていればいい」
せりなはその言葉を聞くと、それ以上何も言わなかった。
「もう一度聞くが、お前らの持ってる刀は自分が最初に握っていたもんか?」
「はい。目が覚めた時右手に握っていました」
「・・・わ、私もです」
せりなは先程のシンバの言葉に納得したのか、素直に返事をした。
「そうか。自分が持っていた刀じゃないといくら切っても赤く(こう)はならねぇ。自前の刀を判別出来るお前たちは帰れる可能性があるってことだ。良かったな」
「ちょっと待ってください」
「あ?」
シンバは不機嫌そうに返事をした。
おいおい。
せりなの時と大分態度が違うな。
「ならばなぜ・・・貴方は元の世界に帰らないんですか?」
「くだらねぇ質問は後だ。まずは・・・」
そう答えるシンバの後ろで藤司がウィンクしながら小指を立てるのが見えた。
ん?
恋人がいるって意味か?
こっちの世界に?
そんな理由でこんな意味不明な世界に残っているのか?
一瞬で浮かんだその考えを俺は放り出した。
正直俺はシンバの言葉に少し腹が立った。
「お前らの力が見たい、そこの木刀でまずは稽古だ」
だからその指示とは逆に、すこし皆から離れて刀を抜いた。
「俺は今日これで奴を斬りました」
「なに?本当か」
シャリン。
刀を抜いて構えたその瞬間、ずしっとした重さが腕にのしかかる。
「お・・・重い!?」
「おいおい危ねぇだろ、仕舞え」
シンバの言うことを無視して俺は必死に刀を振った。
【刀は重い。一般的には日本刀の重量は2.5キロと言われている。これは金属バッドの実に2本分に値する重量である】
突き。
袈裟切り。
薙ぎ払い。
そのどれを行うときも、ふらふらと刀が泳いだ。
【故に常人が握ったばかりの刀を振り回す事は、不可能である。漫画等でお馴染みの刀を用いたアクションは現代の日本人には到底真似できるものではない。真剣を振り回す為には相応の鍛え抜かれた足腰が不可欠なのである】
「お前、本当に刀使えるのか?」
「使えるっ!俺は早く、元の世界にっ戻る!」
ぶんっぶんっと刀を振り回すと足元がよろけた。
「こらっあぶないっ」
ストン。
上から振り下ろした刀は床に突き刺さって止まった。
「ハァッハァッハァッ」
「うわぁーあ。やっちゃったよあんちゃん」
「初心者はすぐこうなるよなぁ」
「ま、怖さを早めに知っておくのは良い事だけどねぇ」
「身を持ってな」
「ハァッハァッハァッ」
どういう事だ?
眼で二人の様子をうかがうと、シンバはハァとため息をついた。
「自分の足見てみろよ」
そう言いながらシンバが顎で指す先に、俺は視線をよこした。
ふいに赤い何かが視界に入った。
「・・・」
刀が俺の足の指股を切り裂くように食い込んでいた。
「ぎゃぁあああああああああああああ!」
「だ、大丈夫?」
せりながハンカチで傷元を抑える。
「大丈痛ぁあああああああ!」
「この人弱いねー!」
「やれやれ・・・」
2人の声が遠くに聞こえる。
あぁ、ダメだ。
俺、死んだわ・・・。
俺はこの時、刀と言う刃物の恐ろしさを身をもって体感した。
※シンバ視点
気絶したハレ太の足を藤司が止血する様を眺めた。
俺は少なからず驚いていた。
こいつの驚くほどの冷静さに。
通常、この世界に転移した者の反応は概ね二つだ。
狂うか、不安に押しつぶされるか。
俺ですら最初は興奮して暴れ回ったんだ。
しかしこいつは初めから落ち着いていた。
じっと俺の様子を伺い、
俺が本当に信用できるやつなのか?
ここがどこなのか?
必死に、かつ冷静に情報をかき集めていた。
だから見所のあるやつかと思ったら、真剣を抜いて自分で怪我しやがった。
弱い男だ。
眺めながら、焦った様に隣であたふたしているせりなに声をかける。
「しかし・・・こいつが今日奴らに斬ってかかったってのは本当か?」
「はい・・・非常ドアの前に立っていた奴を斬ろうとして」
「ほぉ」
「刺さって、抜けなくなったところに皆さんが」
「なるほどな・・・」
それは出口を塞がれるとやばいという事に気付いて?
考えすぎか?
分かんねぇな。
「その時お前たちはどうしてた?」
「逃げるのに必死で・・・倉庫やカーテンの陰に隠れていました」
「そうか」
それじゃいずれ見つかって死ぬな・・・。
こいつの、曙ハレ太の判断が正解だ。
全て察していたか?
冷静さ。判断力。状況分析力・・・。
ここではそれが生死に直結する。
まさに生命線だ。
俺は気絶するハレ太を見た。
「うぅ・・・」
もしかしてこいつは良い拾いモンかもしんねぇな・・・。
※ハレ太視点
脚に激痛が訪れてから2時間後。
「ここがあんちゃんの寝床だよ」
どうやら俺は気絶したままずっと眠っていたらしい。
脚には包帯が巻かれていて、起きたらすぐ長い廊下の内の一室に通された。
扉の中は洞穴の様になっていて、奥には布団が床に引いてあるだけの殺風景な部屋が広がっている。
中では数名の男たちが既に眠っていた。
「じゃぁまた明日の朝、迎えに来るからね」
そういわれて一方的に扉が閉じられた。
あのクソガキ・・・。
閉じた扉に促されるように布団に入る。
すると隣の布団に寝ている茶髪頭がこちらを向いた。
「ねぇ」
「ん?」
あれ?
見覚えのある顔だ。
確か・・・。
あぁそうだ。
バスの中で俺と一緒に震えていたメンバーの一人だ。
年は俺と同じくらいか。
怪訝な顔を浮かべていると茶髪頭の少年は人懐こい表情で口を開いた。
「君、今日一緒にきた・・・」
「あぁ、ハレ太。曙ハレ太。君は?」
「東吾だよ。田古里東吾」
「東吾は何歳?俺高三」
「!僕も!」
「同い年だな」
そう返すと東吾は感心したように言った。
「ハレ太君は同じ年なのに落ち着いてるよねぇ」
「そうかな?」
「そうだよ、最初からそうだったし、しかも喰われてる人達を助けようと刀まで抜いて・・・」
「いや、あれは・・・」
逃げる為だから、
と、言おうとして辞めた。
俺は逃げようとしたんだから。
東吾達を囮にして。
「僕たちの方は大変だったよ」
「なにが?」
僕たちの方、とは白タオルの人について行った‘‘自分の刀が分からない‘‘人達だろう。
彼らは刀匠級になれない。
その事については聞かされているのだろうか。
「なにが・・・って、大パニックさ。泣き叫ぶ人ばっかりで・・・」
「そ、そうか・・・」
「落ち着くまで時間がかかって、それでもう終わりだったよ。発狂する人がほとんどだったからね」
「・・・」
やはりだ。
やはり狂ってしまう人間がいてもおかしくはなかったのだ。
それくらい異常な状況に今自分たちはいるのだ。
せりなの反応を見て俺は内心引いていたが、むしろ彼女の反応は普通なのかもしれない。
「そっちはなにしたの?」
「あぁ・・・刀の使い方を教える・・・とかで俺勝手に刀振って、ほら」
そう言って包帯がぐるぐると巻かれた足を見せた。
血でどす黒くにじんでいる。
「だ、大丈夫?」
「痛いね」
「そ、そうだよね・・・」
東吾は一言言うともう何も言わなかった。
どちらからともなく寝ようという結論に至った。
「・・・」
眠れない。
俺は元の世界に帰れるのか?
そもそもなぜ俺がこんな所に?
切れ込みが入った足がずきずきと痛む。
不安だ。
帰るための策は?
強くなるために何ができる?
どういった訓練が有効だ?
やらなければいけない、
考えなければいけない事は目をつぶれば頭に次々と浮かび上がった。
俺が今やるべきことは、この頭の中に浮かんでいる帰るための行動の全てを紙に書き出して明日から最速、最善で元の世界に戻れるように行動する計画を立てることではないだろうか。
言うならばやらなくてはいけないことをやるだけ、容易なことだ。。
ただそれができない。
不安だ。
本当にこれでいいのか?
それで帰れるという根拠は?
俺が刀匠級になれる根拠は?
理性を軽く吹き飛ばすたった一つの不安という感情に動けなくなりそうだ。
「うぅ・・・」
痛みに耐えていると、隣から東吾のうめき声が聞こえた。
その身体にかかった毛布は震えている。
泣いているのか。
声を掛ける事は出来なかった。
この先どうなるのだろう。
いつ帰れるのだろう。
足は変わらずズキズキと痛む。
不安が胸の中に広がる中、俺はいつの間にか深い眠りへとついた。
次の日、足を引きずりながらせりなを迎えに行った。
が、明らかに彼女の様子がおかしかった。
「おはよう。どうしたの?」
「ハレ太君!私・・・私!」
せりなは俺を見つけ出すとすぐさま泣きだしそうな顔で縋り付いた。
「どうしたんだよ」
「見たでしょ?あれを!」
「あれ・・・?何の事?」
「夢よ、夢!」
何の事だろう。
そう考えた時初めてシンバの言っていた「見れば分かる」という言葉を思い出した。
あぁ、そういえば夢を見るとか言ってたな。
だが俺は夢を見た記憶はない。
妙だな。
人によって見えたり見えなかったりするのか?
「別に見てないけど?」
「ぁっ・・・あぁ・・・」
俺の言葉を聞くと、せりなはさらにぶるぶると震えた。
なんだ?
何をそんなに泣く?
しかしせりなは泣き止まなかった。
どうしたらいいんだろうか。
頭でも撫でればいいのか?
右手で頭を撫でるとせりなは俺の胸に寄りかかった。
「せりな・・・」
「ぅえええん!!ええっひぐっうぅっ」
シンバが頭をぼりぼりと掻きながら歩み寄ってきたのはせりなが泣き出して5分程経ってからだった。
俺が訳を話すと深刻な表情で言った。
「そうか、見たのか。あれを」
「はい、多分、私、だけ」
声が途切れ途切れなのは嗚咽を堪えているからだ。
「そうか、辛かったな。あれは俺も見た。お前だけじゃない。刀匠級のもんは皆見てる。お前だけじゃないんだ」
「ひぐっ・・・ひぐっ」
「安心しろ。皆一緒なんだ」
「はい・・・」
シンバがそう言って頭を撫でるとようやくせりなは泣き止んだ。
ただ肩の震えは止まっていなかった。
そんなに恐ろしい物を見たのか?
せりなは何を見たのか?
この時の俺には、まったく知る由もなかった。
そして昨日のトレーニングルームに集められた。
シンバと藤司以外にも数名の男女の姿が立っている。
昨日、俺を助けてくれたJK侍もいる。
「今日はお前らに刀匠級の面々を紹介する!」
「は、はい!」
せりなはさっきまでの震えが嘘の様に元気よく返事をした。
良かった。
俺も大声で続こう。
「よろしくお願いします!」
シンバは再度名乗ると次々と仲間を俺達に紹介した。
「俺は神場進之介、改めて言うがここのリーダーだ」
次に、髪をかんざしで止めた女性を指さした。
「んでこいつが由比峰美麗」
この場に似つかわしくない和服、その奥に潜む谷間を俺のスカウターが鋭く捉える。
巨乳だ。
ビッグボインだ。
おぉー、と声を上げるせりなにシンバは言った。
「美麗はいつも和服だ」
素晴らしいな。
この人は覚えておかないといけない。
「ちなみに美麗は楼速の美麗と呼ばれている。強いぞ。ハレ太、こいつは巨乳だがうかつに手を出すと殺されぶげぇ!!」
美麗が右手の裏拳でシンバを吹き飛ばした。
彼はダーツバーの様に壁に突き刺さった。
「せりなちゃん、堪忍なぁ」
美麗は優しそうな笑みを浮かべた。
「仲良ぅしてね」
「よろしくお願いします!」
せりなは元気よく返事をした。
おいおい。
シンバはスルーか。
そう思っていると周りに立っていた皆が優し気な表情でせりなを見守っている事に気付いた。
それも見て俺は察すると共に、とても温かい気持ちが芽生えるのを感じた。
そうか・・・。
刀匠級の皆はせりなの目元が晴れていることに気付いているのだ。
それで敢えて明るい雰囲気を作ろうとしているのだろう。
優しい人たちだな。
この美麗と言う人も優しい人なのだろう。
俺は心から安心した。
ただ膝は恐怖でがくがくと震えていた。
「ハレ太君もな。仲良ぅしてね」
「よ、よろしくお願いします」
次に白タオルを頭に巻いた細見の男を指さして言った。
「こいつは北宮仏子。居合の仏子で通ってる。元お坊さんだ。仏子にはせりな、お前の教育係を任せる事にした」
次に昨日のコナンボーイを指さした。
「昨日も言ったとおりこいつは藤司要。乱剣の藤司と呼ばれている。中学2年生だ。だが強い」
そして黒スーツの老人を指さした。
細身だが背筋に一本線が通っている。
よぼよぼという言葉からはかけ離れた、初老の男性。
「彼は内田惣一郎。通称内爺。この基地内で唯一俺とタイマン張れるレベルに強い」
「ふぉふぉふぉ、よろしく」
最後に昨日のJK侍を指さした。
「で、こいつは葛西早希。女だがこの中で一番体力がある。お前らと年も近い」
俺の視線は即座に下へと降りた。
紺色のミニスカート。
そこから覗く白いすらりとした長い脚。
「ハレ太ァ、脚ばっか見てんじゃねえよ」
「師匠は見たくないんですか?」
「俺も見たいです」
「「「「素直だなお前ら!!」」」」
皆が全力でツッコミをくれた。
良い人達だ。
「きょっ!!」
と思ったその瞬間、バコンと音がしてシンバの身体が地面へと埋まった。
俺の身体も地面へと埋まった。
「シンバ・・・前々から思ってましたが貴方はリーダーなんですよ?もっとその自覚を・・・」
美麗の真上から振り下ろしたような蹴りが炸裂したのだ。
シンバは首から上を地面から生やしたまま言った。
「ガハハ。すまんすまん」
「リーダーがそんなんでどうするのよ!」
この鋭いツッコミがJK侍こと、早希ちゃんだ。
「ハレ太、お前の教育係は当面の間早希に任せようと思う」
「は?聞いてないわよ」
「俺が今決めたからな」
そしてこの素晴らしいお方が我らがリーダー神場進之介だ。
「ま、仲良くやれや。年も近いんだから」
「はい」
「気持ち悪い目で見ないでくれる?」
仲良くなれそうにねぇよ!
心からそう叫び出したい一心だったが、その言葉は飲み込んだ。
脚がめっちゃきれいだったからね。
いくらでも蔑んでくれて結構。
かまいやせんよ。
「仲良くやれよ」
「嫌よ、こんな変態」
なんだかんだで全員の自己紹介が終わった。
良かった。
皆友好的だ。
こうして刀匠級の皆を観察すると分かった事がある。
それはコミュニケーション能力が皆一様に高いという事だ。
おそらく生き残るために、皆と仲良くなりストレスを軽減するのは必須の能力なのだろう。
暗い気分でいては気力が萎える。
そうなれば何に対しても消極的になってしまい失敗の率が多くなる。
成功の絶対数は減る。
コミュニケーション能力が社会で必要と言われる根幹にはこういう理由がある。
優秀な人達だな。
俺はシンバの横で地面から頭を生やしたまま、そう結論を出した。
地面から引っこ抜いてもらうとシンバはパラパラと服に着いた砂を落とした。
皆が苦笑する中、シンバをじっと見つめるせりなを見て美麗が口を開いた。
「せりなちゃん、どうかした?」
「やれやれ惚れられちまったか。仕方ねぇ、今夜俺の部屋に」
ボガン!!
壁に突き刺さったシンバを見ながら、せりなは少し笑った。
「リーダーをどこかで見たことがあると思って・・・今気づきました」
その言葉に皆がおぉっと口を揃えた。
「察しが良いでござる」
「そうですね」
「彼は・・・元プロボクサーです。元日本王者で、一応世界に挑戦したこともあるんですよ?こんなですけど」
「やっぱり!すごい!そんな人がいるなんて!!」
「だろ?」
にょきっ、と頭を引っこ抜くとシンバは得意げに続けた。
プロボクサー。
神場進之介。
知らないな。
「そうだな・・・皆、折角なら特技でも紹介してやったらどうだ」
この一言をきっかけに口々に皆が特技と共に再度自己紹介をした。
美麗が日本舞踊のプロだったり、
仏子が有名な大きな寺のお坊さんだったり、
内田がイタリアのプロの殺し屋だったり、
藤司がプロスノーボーダーだったりで驚いた。
どこの異能集団だ。
この世界の刀匠級と呼ばれる人たちは元の世界でも成功している人達ばかりなのだ。
聞けば、皆が幼い頃からそれぞれの分野に打ち込み元の世界ではトップを張っていたとの事だった。
案外一つの分野を極めた人同士は何か共通する自分なりの法則を持っているのかもしれない。
医学の分野では人間の成長期をその特徴に分けて二つあると示している。
骨や筋肉等の身体が急激に成長する‘‘第一次成長期‘‘と
精神や神経系が完成形に、大人の身体へと近づく‘‘第二次成長期‘‘だ。
人間の学習能力や運動神経が‘‘成長‘‘するのは第二次成長期を迎えるまでの0歳~10歳の間と言われている。
その期間を過ぎれば‘‘学習能力‘‘つまり自らの‘‘成長力‘‘を向上させることは不可能で、逆にこの期間に一つの分野に打ち込みさえすれば、学習力自体が向上し、
後の努力による成長の効率は爆発的に増す、と言われている。
スポーツや文化など様々な分野のトップを走る人間に「子供の頃から打ち込んでいた」人間が多いのはこの為だ。
だが想像してほしい。
勿論この‘‘学習能力を向上させる‘‘為の訓練は生半可なものではない。
寝食以外全てを費やす。文字通り全てを懸けるという訓練。
この訓練に、0歳~10歳の間の人間。
つまりは幼稚園児~小学生が耐える事は可能だろうか?
いや、
厳しい訓練に耐える事は普通な事だろうか?
否。
普通ではない。
一般的にはありえない。
まともな神経で耐えれるものではないのだ。
ちなみに俺は家庭の事情から、幼少時代いじめを受けていた。
友達もおらず、みすぼらしい服を着ていた俺はいじめっ子たちの格好の標的となった。
その現実から目をそらすように、ストレスを日記に吐き出し、そして死に物狂いで執筆に打ち込むしかなかった俺は小説家になった。
過ぎた今となってはある種、環境には恵まれていたとも言える。
まぁ俺の場合執筆に打ち込んだ理由はそれだけではないが・・・。
そんな自分と同程度か、もしくはそれ以上。
彼らがたどり着いた世界の頂上という場所はおよそ普通の精神構造で辿り着ける場所ではない事は明らかだった。
今でこそあははと笑う彼らの背景に、厳しい訓練に耐えた過酷な幼少時代が垣間見えた。
そこに一般的な所謂楽しい(・・・)子供時代はない。
すべてをかなぐり捨てて手に入れたのだ。
世界一、プロといった称号だけではない。
粘り強さだったり、
辛抱強さだったり、
判断力であったり、
己を磨くため、凄惨な勝負の場で勝ち抜く為に必要なものを、彼らは手に入れたのだ。
人生の幸せな時期を犠牲にして・・・。
最後に早希は言った。
「私は高校で調理部をやっていたわ」
「一般人じゃねぇか」
長い説明が全部パァだよ。
しかし早希は胸を張った。
「部長よ」
「いや、こいつは料理下手だから」
「リーダー黙っててくれる?」
「はい」
「わ、私も調理部なの。葛西さん」
おずおずとせりなが手を上げて言った。
早希は誇らしげに言った。
「早希でいいわ!よろしくね、せりな!」
女の子同士きゃっきゃっと仲良くなっていた。
シンバが俺を見て言った。
「ま、お前は何の能力もねぇただの腐れ童貞かもしれねぇが・・・」
「・・・」
腐れ童貞・・・。
俺の心象が相当地に落ちている。
昨日の足ぐぱぁ事件が原因か。
今後はああいった行動は控えよう。
「俺達に共通している事は一つ。それぞれが一流になる為の流儀ってやつを知ってるってことだ。どんな分野でも極める為の流儀は同じってことだ」
「極める為の流儀?」
「まずはな・・・」
全員が息を合わせて答えた。
「「「「基礎のレベルを限界まで高める事」」」」
「!!」
「ボクシングなら基礎体力を」
「舞踊はまず姿勢などの所作を」
「坊主は瞑想を」
「スノボなら板の構造の学習からだね」
「殺し屋はまず肉体改造を」
「調理部ならきゅうりの薄切りからよ!」
「早希ちゃん無理して入らなくていいから」
「・・・」
「どんな分野でも極める手法に大差はねぇ。まずは皆大好き筋トレからだ!やることは一つ!刀を振れ!以上だ!」
筋トレか・・・。
俺の苦手分野だ。
若干鬱になっていると早希ははつらつとした声で言った。
「私がびしばし鍛えてあげるわ!」
「優しくしてね?」
スパァン!
和ませるために言ったのに思いっきり頬を張られた。
こうして俺の、恐ろしい不思議な世界での物語が幕を上げた。