海へと向けた演奏会
少女の指が、鍵盤を踊った。
はじめはゆっくりと、囁くように。
少女は魚たちをもてなす。彼らもそれに合わせて、光の帯の中をするすると駆け抜けた。
ここは、わたしだけの演奏会。
少女は満ち溢れた気持ちで鍵盤を叩く。
うるさい歓声もなければ、眩しい照明もない。ただ空から零れる光が水を抜けて、キラキラと輝いていた。誰もいない水族館には、水とピアノの音だけが広がる。
寄せては引いて。そしてまた押してゆく。さざ波のような緩急を付けて、少女は独りの演奏会を楽しんだ。
楽譜なんていらない。
評価なんて欲しくない。
わたしはただ、自分の好きなように弾きたいだけ。
少女の音の波に、魚たちは鼓舞する。
さぁ、聞いて。聴いて、訊いて、利いて。わたしの曲を、わたしの音を。
きいて。
少女は鍵盤を叩きつけた。
激情がうねりをあげ、苛立ちが波を高くのぼらせる。
それは今の彼女の気持ちを、代弁するかのような響きだった。
どうして。
どうして認めてくれないの。
どうして今のわたしじゃダメなの。
ねぇ、どうして、どうして。
魚たちは震えた。あまりの叫び声に、小魚たちは仲間たちを率いて岩陰に身をひそめ、大魚たちは泳ぐ速度を上げる。
急げ、急げ。
急がなければ、飲み込まれる。
何に?
それは、魚たちにも分からない。
分からないからこそ、彼らはそれを体で現した。
その波が、少女の心をさらに高みへとのぼらせてゆく。
刹那。
音が、止んだ。
ふぅ、と。少女は息を吐き出した。
「……あら、やだ。独りじゃなかったわね」
少女は額の汗を拭い、椅子を引く。そして背後の水槽の前でぽつりと佇む、彼女の親友をすくい上げる。
「ありがとう、付き合ってくれて。だいぶすっきりしたわ」
少女の笑みに。ぬいぐるみはよかったと、密かに胸を撫で下ろした。
――それでもなお、魚たちの伴奏は続く。