想うのは 1
ひとりよがりの、賭けだった。
父王が病に倒れたのは、私が19になったばかりの冬。それまで自らの才覚と手腕をもってこの国を支えて来た偉大なる王の不在に、国は動揺した。そして、王太子でありながら比較的自由を与えられてきた自分にとっても、いかに父の存在が大きなものであったのかを思い知らされることとなった。
ランゲルト王国の王位は世襲制であり、国王が死ぬまで次代には引き継がれない。だから私は表向きは王太子のまま、全ての政務を取り仕切らなければならなかった。
加えて貴族達との駆け引き、油断のならない隣国との折衝……いつしか笑うことが無くなり、側近であり古くからの親友でもあるレイルとも、軽口を叩き合うことさえ出来なくなった。常に政務のことが頭から離れず、自分の下した決断が正しいものだったのかと自問自答の日々。
一国を背負うこと、それは、あまりにも重く苦しいものだった。
政務に忙殺されたまま二年が経った頃、信じがたい報告がなされた。隣国であるアルバート帝国との国境に程近い小さな田舎町ヘラ。その外れの崖が崩れ、奇妙な場所と繋がっている洞窟が発見されたというのだ。お互いに行き来は出来ないということだったが、ある兵士が興奮気味に述べた「大きい船のようなものが空を飛んでいるのを見た」という言葉に、私を初め、臣下達は色を失った。
もし我々より遥かに文明が進んでいる国が、我が国を攻めて来たら―――
必死に重臣と策を練ったが、そもそも「行けない場所」に対して何も出来るはずは無く。
止む無く軍事基地として町を封鎖し、厳重な門を造り、常に兵を配置した。
しかしそんな一瞬の安堵も、あちらから幼い子供が迷い込んだことですぐに破られ、私は「日本国」という高度な文明を持ち、服装も言語も何もかも異なる相手と綱渡りの交渉を強いられた。この時ばかりは、何故こうも自分の代で厄介事ばかり起きるのかと嘆いたものだが、これも数奇な運命だったのだろう。
アカネに、出逢えたのだから。
初めて留学生という名の日本国民を迎える日。国として侮られまいと、豪勢な式典を用意した。白亜の宮殿に二国の紅の国旗が翻り、黄金細工の紋章が太陽に照らされ輝く様子は、列席したどの貴族からもため息がもれるほどだったと、今でも語り草になっている。
そして主役である20人の留学生達の入場。17歳~19歳ということは聞いていたが、人種の違いなのかどの者も随分幼く思えた。しかしながら振る舞いは洗練されており、僅かな会話の中でも聡明さが透けて見える。名目上は我が国の文化・歴史の研究だが、我々も彼らから学ぶことが大いにあることを予感させるものだった。
私は満足し、檀上から静かに式の進行を見守っていた。その時だった。誰もが緊張し、身動きひとつしない場面で、私の視界の端で揺れるものがあった。
視線だけそちらに向けて、驚愕する。それは、一人の留学生の娘だった。薄紫のドレスの腰近くまで伸びた漆黒の髪と、こぼれそうな大きな黒い瞳を持ったいささか背が低い彼女は、あろうことか、大あくびをしていた。
慌てて手で口を隠すのが見えたが、私は思わず笑いを堪えるのに必死になっていた。そしてそれが数年振りのことだと気づいたのは、式典が終わり、自室へ戻ってからだった。
翌日、改めて留学生と面談する機会があった。彼らはこの国で散り散りになって勉学に励むことになる。その行先の確認も兼ねてのことだった。彼らの多くがキルンに振り分けられ、最後に彼女が入室する。
「失礼致します。日本国留学生、茜・須藤と申します」
ああ、彼女だ。この国の平易な衣装を纏い、流れるような黒髪は無造作に結われていたが、何故か目が引きつけられた。
「君が最後だな。専門は政治史……希望地はキルンとなっているが、間違いはないか?」
「はい、ございません」
真っ直ぐにこちらを見つめる曇りない瞳。それだけなのに、心が震えた。
「そうか。……だが、君には王城で学んでもらおうと思っている。ここなら国中のどこの図書館よりも資料が揃っているし、何より生きた教材でもある。どうだ?」
殿下!?と立ち会いの者から戸惑いの声が上がったが、無視して彼女を見つめる。彼女は少し悩むように視線をずらしたが、すぐに是と返した。
「ありがとうございます。有難く、ここで勉強させて頂きます」
「ああ、良く学び、双方の国益になるよう役立てて欲しい。レイル、彼女に部屋を用意してやってくれ。後は任せる」
呆気にとられたようにこちらを見るレイルを置いて退出した後、頬が緩むのを止められない自分がいた。
そうしてこの日、私はアカネを傍近くに置くことに成功した。