勉学の町にて
「あれーアカネ、王都にいたんじゃなかったの?」
「ゆ、由美いいいいいいいいい!!!」
2日間の逃亡生活を終えた私は、王都から馬で半日ほどの小さな港町、キルンにいた。
ここは別名「勉学の町」と呼ばれるほど教育施設が整っていて、各地から、そして日本からの留学生が多く学ぶ場所だ。私はそこの大広場のど真ん中で、異世界留学仲間にして親友である由美にひしっと抱きついた。周囲の視線は痛いが、今はそれどころではない。早々に現状を打開しなければならないのだ。
「由美! お願いここに匿って!! 何でもするから!」
「ってアカネ、王都でなんかやらかしたの!? あんた王族に気に入られて、特例で城で勉強してるって聞いたんだけど?」
「こ、これには色々と深い訳が…!!」
そもそもの発端は、「異世界留学」にあった。今から10年ほど前に、日本のとある田舎で偶然発見された洞窟。そしてその向こうはこの世界、ランゲルト王国を中心とした中世のような国々に繋がっていたのだ。だが、もちろん日本中大騒ぎ―――という訳ではなかった。国中の混乱を避けるため、また諸外国との軋轢を生まないよう、国のトップシークレットとして扱った。その結果、この世界のことを知っている者は国の重役だけとなった。
けれど、問題はそこで終わらなかった。ではなぜ私が、ただの学生であるのにこの世界に立っているのかと言うと、これは年齢の壁にある。
日本側から見る洞窟の奥は確かにランゲルト王国の景色なのに、お偉い方がどれだけ入ろうとしても入れなかった。これは幻のようなモノでは無いのかと科学者達が結論付けた時、ひとりの幼い子供が洞窟に迷い込み、「入った」のだ。
その子供を追いかけて母親も入ろうとしたが壁のようなものに阻まれて入れない。だが、子供の兄はすんなりと入れた。驚愕した研究者達により更に研究が続けられ、この世界へは、20歳未満の子供しか行き来できないということが分かった。
当時の首相、そして大臣達は大いに迷った。こんな中途半端な異世界なら、いっそのこと「無かったこと」にしてしまうのがいいかもしれないと。真剣に洞窟の爆破まで検討された。けれど、大人たちの都合でまたしてもこれはひっくり返される。
無事に異世界から洞窟を通じて戻ってきた子供が持っていた石ころ。これは地球には存在しない未知の物質であり、更に将来の石油代替エネルギーに大いに有効であると結論付けられたのだ。こうなると彼らはもう無かったことには出来なかった。あの手この手で異世界との交流を持つよう努力した結果、19歳までの学生限定で「異世界交換留学」なるものが出来たのだ。そして私たち20名がその記念すべき1期生に当たる。
「へえ~要するに王子サマに気に入られて、還れなくなりそうってこと? きゃあロマンチック!少女漫画みたい!!」
のどかな平日の昼下がり。由美のお気に入りだという小さなカフェに連れ込まれた私は、ものの5分で息も絶え絶えになっていた。
由美を頼った理由を白状させられ、かいつまんで説明したが(もちろん小声でだ。下手したら外交問題になりかねないので)、由美にとっては面白すぎる出来事だったらしい。茶髪のふわふわとした髪をぶんぶん振っていつまでも興奮しているので、慌てて突っ込みを入れる。
「そんないいもんじゃないって!! 第一、後2か月後には還るんだし……」
大体、私がこの世界に来ることになったのは、昔大臣をやっていた祖父のせいでもある。御年90過ぎなのにまだまだ政治の世界にどっぷり浸かっている彼は、孫の中で唯一20歳未満だった私にあふれる笑顔で言ったのだ。「行け」と……。
当然一族の長である彼の言うことに逆らえる訳もなく、しがない一学生だった私は、この国の政治を叩き込まれ、この世界に留学生として送り込まれた。それが約4か月前のこと。でも、この不思議な異世界生活も後2か月で終わる。もうすぐ成人を迎える私は、留学の延長は認められないのだ。
「あ、そっか、誕生日もうすぐだもんね。でも帰還式まではどうするの? ずっとここにいるつもり? ふふ、もしかしたらその人が追いかけて来たりして!」
…とりあえず後半は置いておいて、それを言われると非常につらい。何しろ日本国を代表する留学生だ。もちろん帰還前には大掛かりな式典が行われるし、そこで留学の成果を披露するという恐ろしいイベントが待っている。よほどのことがない限り、一人で先に帰国することなどできやしないのだ。
まあだからといって、城に帰るつもりはさらさらない。幸い今までの研究結果をまとめたレポートは持って来ているし、私の専攻は政治なのでどこででも勉強できる。
リック……いや、フレデリック王太子も、さすがに異国の一市民を探しには来ないだろう。むしろ勝手に出てきて呆れられたかもしれない。書置きの一つでも残すべきだっただろうか?
ちょっと複雑な気もしたが、平凡を望む私にはこれが一番に違いない。うん。
まあなんて言ったって、私はお遊びの女になるなんてまっぴらごめんだわ。
重いため息をつく私の前には、顎の下で手を組み、瞳をきらきらとさせている親友の姿。
「ねえアカネ! 王子サマってやっぱり白タイツだったりするの!?」
……そんなわけないでしょ!
私は由美の妄想への突っ込みを早々に放棄し、このカフェの名物である、紅茶に似た「コール」を堪能することに専念した。