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西の森にて

いつからだろう。単なる留学先の王太子トップを身近に感じるようになったのは。


いつからだろう。王太子リックを少し怖いと感じるようになったのは。


私の左手を掴んだまま、淡々と告げられる言葉に、態度に、あの時確かに恐怖した。


だけど、逃げ出したのは怖かったからじゃない。それはきっと――――


********


「迷った……よね、これは」


パカパカと、何とも心もとない足取りで馬を進める。右も左も分からない鬱蒼とした森。昼間なのに夕方のような寂しさが漂う中を、馬を宥めすかしながら歩き続けてかなりの時間が経っている。…はず。おまけに今にも雨が降り出しそうな雲が、空を覆っている。


「王都はどっちなのよーもー。看板一つないんだから!」


 早く、早くどんな形でもいいから彼の無事を確かめたい。逸る私の目の前には、無情にも広がる崖。そして遥か下を流れる河。ため息をついて馬首を返す。どうなることかと思ったけど、この軍馬は良く調教されているらしく、こんな素人の拙い操作にも、ちゃんと従ってくれる。


「回り道しかないか……でも、どっちに」


 太陽を見て、大まかな方角を確認しようと上を向いた瞬間、足元で突如草を踏む音がしたかと思うと、次いで何かが地面に叩きつけられたような振動が走る。


「!!」


 息をのみ、慌ててその場を退いた私の目に飛び込んできたのは、血だまりの中に倒れ込んだ一人の兵士の姿だった。


「う……アルバート軍が、攻めて…」

「アルバート軍!?」


 男はそのまま意識を失ったようで、微動だにしない。私はやっとのことで馬から下り、おそるおそる彼に近づいた。ランゲルト王国の所属を表す紅の徽章をつけた鎧に、ひとまず息をつく。ゆっくりと兜と鎧を外してゆくと、人の良さそうな、中年の男性の顔が出てきた。その顔は蒼白で、吐く息が荒い。


「っ、傷は……!」


 特に血で汚れている箇所の鎧を外すと、剣で切られたのだろう左肩の傷口が見えた。目を逸らしたくなる気持ちをどうにか堪え、震える手で布を押し当てる。自分の服の両袖を千切って包帯代わりにし、これ以上の流血を防ぐために出来るだけきつく自分の髪ゴムで縛る。後は何とか助けを呼ばないと、と焦る私に、どっと大勢の咆哮が響いた。


「これは……崖から!?」


 匍匐前進で近づき、崖の下をそっと見下ろす。すると先ほどまでいなかったはずの大勢の兵士が、河をまたいで戦っている。ランゲルト王国軍と、アルバート帝国軍だ。現代では考えられない、生身の人間同士でのぶつかり合い。キィン、キィンという剣や鎧がぶつかる音がここまで聞こえてきて、思わず身震いした。


 ふいに視界の右端に映る、紫。私がいる場所のほぼ対角線上の崖の上に、数十名規模の兵士が森に隠れるように潜んでいるのが見えた。紫は、アルバート帝国を象徴する色だ。

 そしてその場所は、ランゲルト王国軍の真上で――


 ――うそ、どうすれば―――


 ランゲルト王国軍かれらは全く気付いてないのか、ただ目の前のアルバート帝国軍てきに集中している。今は押し気味だが、このままだとあの崖に背を向けることになってしまう。でも、どんなに私が叫ぼうとも聞こえるはずもなく、逆にあいつらにこの場所を気づかれてしまうだろう。


 落ち着け、落ち着け私。斥候が奇襲を知らせる場合は、まず狼煙を……、だめ、そんなことしてたら間に合わない。うつ伏せになったまま、必死に頭を回転させる。

 

 待って。昔この国で戦争が起きた時、敵の発見を知らせた将軍が採った方法は……

 

 私は出来るだけ音を立てないよう、素早く元の場所に戻る。ぴくりとも動かない兵士が、草むらに埋もれるようにして倒れている。早くしないと、彼が助からなくなってしまう。


「あった……!!」


 兵士の持つ僅かな荷の中に、軍旗が丸められていた。急いでそれをその辺りに転がっている木の枝に通すと、再度崖まで駆け寄る。そして大きく振ろうとして、寸前で思いとどまった。


「そうだ、鵯越ひよどりごえ……」


 かの有名な武将が、その名を知らしめた軍事作戦。私は兵士の傍で大人しく待つ馬をひと撫ですると、その背に旗を括り付けた。


「ごめんね、お願いします」


 そのまま崖の側まで行き、足場となる道を探す。人は通れそうにないけど、かすかに獣の足跡が残る場所があった。馬はふんふんと地面に鼻を押し付けると、そのまま心得たように嘶く。


 行け!義経――!!


 灰色の世界に、紅が翻った。



*****


 勝敗は、完全に陽が落ちる前に決着した。

 馬が崖を駆け下りてすぐにランゲルト王国軍は三手に分かれ、崖からの攻撃に対処しつつ、更に敵軍の背後に回るなど、見事な戦いぶりを見せた。あまりに圧倒しているので、呆気にとられたほどだ。


 そして今、今更ながら間近で見た戦闘に腰が抜け、立てずにいる私の前に立つのは、ランゲルト王国軍の兵士たち。指揮官らしき、茶髪を後ろでまとめた若く背が高い軽装の男性と、周りを固める十名ほどの兵士は、倒れているおっちゃん兵士が気を失っているだけだと確認すると、その場で手当てを始めた。そして近づいてくる茶。


「『逆さ旗』を持った馬を放したのは、そなたか?」


 さて、なんと答えよう。約八十年前に起こったランゲルト王国を含む数ヵ国での戦争で、単騎での行動中、敵軍を発見したある将軍が、自軍も異変を知らせるため採った方法が、軍旗を逆さにして掲げるというものだったのだ。これは偶々自軍の中に親友とも呼べる人がいたため通じたものだが、彼の功績は大きく、今でも士官学校での教材となっている。ただし、一般人にはほとんど知られていないのが現状だ。特に私のような若い女性には。


 私が黙っていると、目の前の彼が焦れたように口を開いた。

 

「そなた、見かけぬ容貌をしているが、ランゲルトの民か? もしや……」


 一見穏やかに見えるものの、鋭い視線が私に刺さる。えーい、女は度胸だ!!


「は、はいっ、実は避難の際同郷の者とはぐれてしまい、一人でさまよっていたところ、そちらの兵士様に出会いまして。傷を負っておられるようだったので簡単に手当をしておりました。すると、谷底を行軍されているランゲルト軍の後ろより忍び寄る怪しい人影が見えたのです。思わず悲鳴をあげそうになりましたが、優秀なこの兵士様が、私に旗を立てた馬を放すようにとおっしゃったのです。ですがその後お加減が悪くなったのか倒れられてしまって……」

「信じられんな」


 即答。早いわっ。


「ああ、いや、お嬢さん自身を疑ってる訳じゃない。ただこいつは、力だけはあるが咄嗟の判断力が致命的に無い。一刻を争う状況で、そのような冷静な指示を、ましては一般人の女性が行動できるほど正確に出せたとは考えられない」

「え……と」


 ……おい、そこで転がってるやつ、あんたどれだけ馬鹿だったんだ。せっかくの私のかよわい演技が台無しだ。


「……まあ、いい。何はどうあれ我々の軍と、そこのサヘルが救われたことに変わりはない。遅くなったが礼を言おう。名は?」

「え、な、名前!?」

「ああ、私の名はダニエル・ハンプス。第三守備隊を任されている。アルバート帝国に程近く、我が国の生命線であるシュエル砦を死守することを第一としている。何か質問は?」


 まだ座り込んだままの私に手を差し出しながら、彼が言う。


「あ、私の名前はア、アリー、です。行くあてが無いので、連れて行って頂けませんか?」


 私が立ち上がった瞬間、空から大粒の雨が降り始め、地面を濡らしてゆく。

 何故か、もう会えないはずの彼の姿が、思い浮かんだ。



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