なんてことない日常会話。3 ミイラと漢方編
「『エジプトの古代美術とミイラ展』って云うのがやってるらしいよ」
唐突にそんな事を言い出したのは、紺色のブレザーを身に着けた人物だ。黒髪にくりっとした瞳の愛らしい顔立ちだが、男物の制服を着ているのでかろうじて男子だろうと推測できる。そんな彼の名は、新島縁と云う。顔も名前も性別を疑いたくなるようなものだが、彼はれっきとした男子高校生である。
「なんです、急に?」
そんな少年の言葉を受けて不思議そうに首を傾げるのは、少年の向かいに座る青年だ。腰まで届くかと云う程に長い見事なまでの白髪に、一度も日に焼けた事の無いかのような白い肌。そんな色素を忘れたような容貌の中で、レンズの奥の瞳だけが赤く色付いている。
青年の名はエルネスト・ヴァン・ドラクリエ。名前の通り欧州系の顔立ちをしている彼は、縁から「伯爵」と呼ばれている。本人が名乗った訳ではなく、それっぽいからと云う理由で縁が一方的に命名したものだ。
「いや、なんか学校の掲示板にそんなポスターが貼ってあったのを、ふと思い出して」
そんな性別以外は共通点の無さそうな二人だが、意外と気が合うらしく、縁がちょくちょく伯爵宅を訪れてはお茶をごちそうになっている。
要するに、茶飲み友達である。
伯爵(縁命名)は凝り性なのか、実に様々なお茶を出して来る。
本日のお茶は紅牡丹と云う、中国の紅茶だ。
この茶葉はまるでタワシかマリモのように丸められた見た目をしている。それを透明の茶器に入れてお湯を注いでしばらく置くと、ふわりと茶葉が花のように開く。綺麗に開いたら飲み頃だと聞いた縁は分かり易くて良いと思ったが、伯爵によれば目で楽しむ為の細工なのだそうだ。
そんな少々マニアックな紅茶を飲みつつ、縁と伯爵の会話は進んで行く。
「札幌だか東京だか名古屋だか、はたまた大阪だか福岡だかでやってるらしいよ」
「素直に開催地は忘れたと言ってはどうですか?」
「忘れる以前に覚えてないんだよ」
「そうですか。それにしても、ミイラ展……ですか」
自分のカップに新たにお茶を注ぎながら、伯爵が少し眉を寄せる。
「どうかした? あ、ありがと」
「どういたしまして」
丁度空になっていた縁のカップにもお茶を注ぎ、ティーポットを置いてから、伯爵は再び口を開く。
「ミイラって要するに亡くなった人間でしょう? いくら時代が経過していて考古学の対象になるとは言っても、遺体を見せ物にするのは、ちょっとどうかと思いまして」
「あー、ラムセス二世とか有名だよね」
新たに入れられたお茶を一口飲んでから、縁は言葉を続ける。
「まあ、そう言われると確かにちょっとどうかとも思うけど。需要があるから供給が続けられてる訳だし、死者の威厳より生者の生活。それで生活が立ち行く人がいる以上、しようがない事なんじゃないの?」
「ユカリ君は興味あります?」
「うーん、まったく全然興味無いかって言われたらノーだけど。わざわざ見に行くほど気になる訳でもないかな」
「どうしてですか?」
「どれだけ昔だとしても、伯爵も言ったように結局は人の死体でしょ? そこにどれだけの価値が付与されても、死体は死体でしかない訳で。人の死体なんか普通見たくないもんじゃない?」
「昔は、ミイラは貴重な漢方薬のひとつだったみたいですよ?」
「漢方って、かなり何でもアリだよね。ミイラを漢方にしてみようと思った人とは、ちょっと仲良くなれる気がしないわ」
縁の言葉に斜め上を見上げて少し何かを考えた様子の伯爵だったが、すぐに視線を戻して話を続ける。
「ミイラの漢字はご存じですか?」
「え、うん。確か『木乃伊』だよね?」
言いながら、指で机上に「木乃伊」と書くと、それを見て取った伯爵がひとつ頷いた。
「木乃伊はmummieの漢訳で、そもそもの意味は没薬なんだそうですよ」
「もつやく?」
「はい。ミイラを造る際に、防腐や薫香の為に使用されていたみたいですね」
「ふーん。それで?」
「この没薬、痛み止めやうがい薬などにも使われているらしいんです」
これは私の私見なんですが、と前置きして、伯爵は言葉を続ける。
「こういったミイラを造る際に使用された薬剤の効能を、そのままミイラに期待したのではないかな、と思いまして」
「あー、なるほど」
「あくまでも私の勝手な思い付きですから、あまり真剣に受け止めないで下さいね?」
適当な知識を他人に植え付けては大変だと、伯爵は信憑性の薄さを縁に説いた。
だが説かれた縁は、全く別の事に気を取られていた。
「……伯爵」
「何ですか、ユカリ君」
「実は中国人でしたか?」
「何でそうなるんですか」
以前に日本人かと問われた事もある為、若干声に呆れが混じっている。
「そもそも中国には行った事すらありませんよ」
「えー、だってさー」
「ですから、私の適当な推測だと言ったでしょう。腐敗しないミイラに不老不死の妙薬となる可能性を見出したとかかも知れないですし、珍しいモノはとりあえず漢方薬にしてしまえ、なんて人が居たのかも知れないじゃないですか」
「最後の人、ヤバくない?」
「ヤバかろうと単なる推論なんですから、問題なんてありませんよ」
「妙に説得力があるのが問題と言えない事も」
「気のせいでしょう」
「そうかなあ?」
「はい。ユカリ君の気のせいです」
「うーん、まあいっか。とりあえず、素人は安易に手を出すなって事だよね」
「今の話からそう結論が出るんですね」
「え、だってさ、ほんとに効用があるものもあるんだろうけど、ジンクスでしかないものだって絶対ある訳じゃない? そこんとこの見極めなんて、素人に出来る訳ないし。そもそも効く効かないも個人差があるだろうから、Aさんは効いたけどBさんにはいっそ逆効果だったーなんて事もありえるだろうし」
「ああ、すみません。私の言葉が悪かったみたいですね。ユカリ君の結論が間違っていると云う訳ではなく、今の話からこのタイミングでその結論を導き出したユカリ君の思考過程が興味深いな、と私が思ったと云うだけの事です。他意は一切ありませんので、含みがあるように感じられたのでしたらすみませんでした」
「いや、別に含みがあると感じた訳じゃなくて、通じてなかったのかなーとか思って補足しただけなんだけど。むしろ、今の伯爵の発言の方が激しく気になるわ、僕」
「何かおかしな事を言いましたか?」
「うん。いや、内容がおかしいんじゃなくて、言葉のチョイスが凄いって云うか」
日本生まれの日本育ちである生粋の日本人である縁でも、「思考過程が興味深い」とか「他意はないが含みが感じられたのなら」などと云う言葉はそうそう出て来ないし、また耳にもしない。
この辺りの発言が、伯爵が縁に日本人疑惑を持たれる原因の一端なのだが。
本人がその事に気付く日は、まだまだ先の事のようだ。