空間の欠如
霧の第1層、崩れた橋の下。
クロノとミラースは、息を潜めて追跡者の影を振り切っていた。
D.E.Xのドローンが上空を旋回し、赤いサーチライトが霧を切り裂く。
クロノのポケットで、ライアスの右手が微かに震えていた。
『……急げ……クロノ……心臓部は……もっと下だ……』
ミラースが解析視界を展開し、周囲の異常をスキャン。
「ドローンのパターンが……変わりました。 囲い込みに来てる。脱出ルートが狭まってるんです」
クロノはタバコを咥え、煙を吐く。
「……くそ。D.E.Xの本気か」
そのとき、通信端末が震えた。
非公式チャネルからの着信。
画面に映るのは、アキサワの顔。
彼女の目は、いつもの無機質さから少し外れ、疲労と迷いが滲んでいる。
「クロノ。聞こえるか」
クロノは警戒しながら応答。
「……アキサワ。何の用だ。削除対象を追う立場じゃねぇのか?」
彼女の声が、低く響く。
「……お前たちの行動を、監視してる。層の底の侵入ログを見た。D.E.Xのエージェント……奴の存在を、確認した」
ミラースが息を呑む。
クロノは目を細めた。
「……それで? 俺たちを売る気か」
「違う。……協力する」
静寂。
アキサワの言葉が、重く落ちる。
「ライアスは、俺の古い相棒だった。 消されたと思っていたが……お前たちのデータで、裏層の真実を知った。D.E.Xは、異能者を“糧”に都市を維持してる。秩序のためって言い訳でな」
クロノは薄く笑った。
「今さらかよ。どうやって協力すんだ」
「座標を送る。心臓部の正確な位置だ。 OWLのアクセス権限を使って、ドローンの目を逸らす。だが、時間は限られる。10分だ」
通信が切れる直前、アキサワの声が小さく付け加わる。
「……生きて戻れ、クロノ」
ミラースがクロノを見る。
「……信じていいんですか?」
「信じるしかねぇ。あいつは、OWLの犬じゃねぇ。人間だ」
上空のドローンが、突然方向を変える。
アキサワの仕業。
二人は霧の奥へ急ぐ。
──層の底、再侵入。
前回の裂け目より深い場所。
ケーブルがより密集し、空気が電流の熱で歪む。
黒コートの男──D.E.Xエージェントの気配が、すでに濃い。
ミラースの解析視界が、最大出力で展開。
「エネルギー流が……複雑すぎます。人間の感情ノイズが、サーバーに絡みついてる。これが……D.E.Xの本質?」
クロノはリコンストラクトで道を切り開く。
写真から具現化した光源が、闇を照らす。
脳の痛みが、限界を告げる。
そのとき、空間がねじれ、エージェントが現れた。
「また来たか。今度は、完全に統合する」
赤い断層が奔り、二人の足元を呑み込もうとする。
クロノはカメラを構えるが、視界が揺れる。
「くそ……負荷が……」
ミラースが前に出る。
「私に任せて!」
彼女の解析視界が、エージェントの構造を深く掘る。
瞳が淡く光り、空間の流れを読み取る。
「……見えました!エージェントの“核”──感情ノイズの中心が、弱点です!そこに、重力の楔を叩き込めば……!」
クロノはライアスの右手を握りしめ、リコンストラクトを起動。
右手の写真を基に、重力の波動を具現化。
ミラースの指示通り、核へ向けて放つ。
黒い重力が凝縮し、エージェントの胸を貫く。
ノイズが爆発し、男の身体が崩れ始める。
「不可能だ……D.E.Xは……」
空間の歪みが弱まり、心臓部のサーバーが露わになる。
そこは、無数の異能者の“残響”が絡みついた、巨大なコア。
ライアスの声が、右手から強く響く。
『……今だ……クロノ…… 壊せ……!』
クロノは最後の写真──ライアスの全力の一撃を捉えた一枚──を具現化。
重力の楔が、コアへ直撃。
閃光が爆ぜ、層の底が震動する。
だが、その瞬間──
D.E.Xの無機質な声が、空間全体に響く。
『バックアップ・プロトコル起動。 対象の完全抹消を実行。』
サーバーが再起動を始め、エージェントの残骸が再生する。
ミラースが叫ぶ。
「まだ……終わってない!」
クロノは歯を食いしばり、ミラースの手を掴む。
「退くぞ。だが、次は……全部壊す」
二人は裂け目から脱出。
霧の外で、アキサワの通信が再び入る。
「……成功したか?」
「半分だ。だが、お前の協力で、道は開けた」
「なら、いい。OWL内で、味方を集める。待ってろ」
夜のCIVIAに、二人の影が溶け込む。
ライアスの右手が、温かく脈打っていた。




