揺れる
CIVIA第2層、廃倉庫の奥。
夜明け前の薄明かりが、埃っぽい空気を切り裂いていた。
クロノは引き戻した“右手”を、机の上に置いていた。
それはただの肉塊ではなく、微かに脈打つように重力が揺らめいている。
ライアスの異能〈重力の楔〉の残滓。
ミラースが解析視界を向け、息を抑えて観察する。
「……生命反応は弱いけど……まだ“繋がってる”。 裏層のライアス本体と、リンクしてるみたいです」
クロノはタバコを咥え、火をつけた。
煙がゆっくりと右手の上に落ちる。
「……おい、ライアス。聞こえてるなら、何か言えよ」
沈黙。
だが、次の瞬間──
右手の指が、わずかに震えた。
そして、低い、ノイズ混じりの声が響いた。
まるで遠い回線から届くような、歪んだ響き。
『……クロノ……か……?』
ミラースが目を丸くした。
「声……!どうして……?」
クロノは動じず、煙を吐く。
「リコンストラクトの効果だ。あいつの“一部”を引き出したんだから、声くらい通じるさ」
右手の指が、ゆっくりと曲がる。
まるで言葉を紡ぐように。
『……D.E.Xの……監視……気をつけろ…… 裏層は……“棄て場”じゃねぇ…… もっと……深い……』
声が途切れ、右手が静止した。
クロノの瞳が鋭く光る。
「……深い?どういう意味だ」
再び沈黙。
ミラースが解析視界を深く掘る。
「エネルギー流が……切れかけてます。 でも、この右手は“鍵”になるかも。次に裏層へ入るための、座標や……」
そのとき、倉庫の外で金属音が響いた。
低く、規則的な──ドローンの羽音。
ミラースが即座に反応。
「 OWLの監視ドローン……! 接近中です!」
クロノは右手をつかみ、ポケットに押し込んだ。
「来やがったか。D.E.Xの命令だろ」
倉庫の扉が爆ぜ、黒い影が飛び込んでくる。
OWLの特殊部隊──強化スーツを着た捜査官たち。
先頭は、アキサワ副主任。
彼女の目は、無機質だが、どこか揺れている。
「クロノ・ハザード。お前はD.E.Xの削除対象に指定された。抵抗するな」
クロノはカメラを構え、シャッターを切った。
現像紙から、厚い壁がせり上がり、部隊を阻む。
「アキサワ……あんたも知ってるはずだ。 ライアスは消されてねぇ。D.E.Xが隠してる“裏層の秘密”を、暴くだけだ」
アキサワの声が、わずかに震える。
「……それが、秩序の崩壊を招く。上層の命令だ。従え」
ミラースがクロノの横に立つ。
「副主任、私たちを信じて!ライアスさんは、まだ──」
銃声。
アキサワの部下が、警告射撃を放つ。
倉庫が戦場と化す。
クロノは写真を次々と具現化。
銃、盾、煙幕──
脳の痛みが、限界を告げる。
ミラースが解析視界で敵の動きを読み、叫ぶ。
「左から三人!重武装!」
クロノはリコンストラクトで壁を崩し、脱出口を作る。
二人は倉庫の裏へ逃げ込む。
背後で、アキサワの声が響く。
「……クロノ、待て!」
だが、追跡は容赦ない。
空にドローンが群がり、街路を封鎖する。
D.E.Xの赤い光が、CIVIA全体を覆い始める。
『対象追跡中。全層に警戒態勢を発令。』
無機質な放送が、都市に流れる。
クロノとミラースは、下層の路地へ潜る。
息を荒げながら、クロノは右手を取り出した。
再び、声が響く。
『……逃げろ……クロノ……D.E.Xの……本当の姿は……“層の底”に……』
ミラースが頷く。
「……行きましょう。次は、もっと深く」
クロノはタバコを捨て、笑った。
「そうだな。今度こそ、全部ぶち壊す」
夜の闇に、二人の影が溶け込む。
追跡者の足音が、遠くから近づいていた。




