再度
第3層、深夜。
OWLの支部ビルから離れた、廃倉庫の影。
クロノとミラースは、薄暗い照明の下で地図を広げていた。
ハードディスクから抽出された裏層の座標データ。
歪みの発生ポイントをプロットすると、CIVIAの各層に“穴”が点在していることがわかった。
まるで都市の血管に開いた傷口のように。
ミラースがホログラム端末を操作し、解析視界のログを重ねる。
「前回の侵入で、裏層の“拒絶反応”が確認されました。次はもっと早く閉じるはずです」
クロノはタバコの煙を吐きながら、古いポラロイドカメラを弄っていた。
「……時間稼ぎが必要だ。リコンストラクトで“安定した構造”を作り出す」
「でも負荷が……」
「わかってる。だから、お前が俺の“アンカー”になる」
ミラースの瞳がわずかに揺れた。
「アンカー……?」
「解析視界で俺の脳波を監視しろ。 限界が来たら、強制的に引き戻せ」
彼女は静かに頷いた。
「……わかりました。でも、約束してください。 無茶はしないって」
クロノは苦笑した。
「約束はできねぇ。あいつを連れ戻すためなら、何だってする」
──準備は二つ。
一つは“武器”となる写真の収集。
クロノはここ数日、第1層から第4層までを回り、
頑丈な壁、強固な床、安定した光源──
裏層の“崩壊”を遅らせるための“現実の断片”を撮りためていた。
もう一つは、ライアス自身の“像”。
あの笑顔のポラロイドだけじゃない。
クロノは胸ポケットから、もう一枚を取り出した。
ライアスが重力の楔を放つ瞬間を捉えた、動的な一枚。
「これを……“再構築”の核にする」
ミラースがそれを見て、小さく息を呑んだ。
「……危険です。不完全な情報を具現化したら、あなたの脳が──」
「それでもいい。あいつの“一部”でも、現実に引き戻せれば」
夜が深まる頃、二人は再び第1.5層へ潜った。
前回と同じ工業プラント。
壁の歪みが、すでに微かに波打っている。
ミラースが解析視界を展開。
「入口、安定しています……今なら」
クロノはカメラを構え、シャッターを切った。
現像された写真から、厚い防壁が現実へせり上がる。
裂け目の周囲を囲い、閉じる速度を遅らせるための“檻”。
「行くぞ」
二人は光の中へ飛び込んだ。
──裏層、再び。
前回よりも、崩壊の速度が早い。
建物が溶けるように沈み、空がひび割れる。
だがクロノの防壁が、わずかに時間を稼いでいた。
街の奥、ライアスの残像がいた場所へ急ぐ。
ミラースが叫ぶ。
「エネルギー流が乱れてます! 5分が限界です!」
クロノは走りながら、写真を次々と具現化。
床を固定し、道を繋ぎ、崩れる建物を支える。
脳が焼ける痛み。
視界の端がノイズで滲む。
それでも止まらない。
角を曲がった先──
白い亀裂の影が、また立っていた。
だが、前回より輪郭が鮮明だ。
顔の半分が、ライアスの特徴を保っている。
『……クロノ……また、来たのか……』
声に、かすかな怒りが混じる。
『戻れ……俺はもう……』
クロノはカメラを向けた。
シャッター。
現像された写真から、ライアスの“動いている姿”が、ゆっくりと現実へ引き出される。
白い影が、肉体を取り戻すように色づき始める。
だが、不完全だ。
右手だけが異様に歪み、重力の楔の痕が黒く滲んでいる。
『……痛ぇ……やめろ、クロノ……!』
ミラースが叫ぶ。
「脳波が危険域!もう限界です!」
クロノは歯を食いしばった。
「あと少しだ……!」
ライアスの半身が、ほぼ実体化した瞬間──
裏層全体が激しく軋んだ。
D.E.Xの無機質な声が、再び響く。
『不正アクセス再確認。対象の完全削除を実行。 バックレイヤー・パージ開始。』
空間が圧縮される。
クロノの防壁が、一瞬で粉砕された。
ライアスの姿が、再び白い亀裂へ戻り始める。
『……クロノ……逃げろ……!次は……お前も……』
クロノは最後の写真を構えた。
笑顔のライアスと、自分の肩を叩く一枚。
「リコンストラクト──!」
光が爆ぜ、ライアスの“右手”だけが、現実側へ引き出された。
実体のある、温かい肉の手。
だが、それだけだった。
裏層が完全に閉じ、二人は現実へ弾き出された。
第1.5層の冷たい床に倒れ込む。
クロノは荒い息を吐き、震える手でその“右手”を見た。
切り離された、ライアスの右手。
まだ微かに、重力が脈打っている。
ミラースが、涙声で言った。
「……ごめんなさい……私、止められなくて……」
クロノは、ゆっくりとそれを胸に押し当てた。
煙草を咥え、火をつける。
煙の向こうで、右手がわずかに動いた気がした。
「……十分だ。あいつは、まだ“向こう側”で戦ってる」
夜の闇に、二人の影が長く伸びる。
遠くで、監視ドローンの赤い光が、また点滅を始めた。
だが今度は、クロノの瞳に──
明確な、燃えるような決意が宿っていた。
「次こそ、全部連れ戻す」




