虚ろ
CIVIAの地下は、昼も夜も関係なく暗い。
第2層からさらに下、公式には存在しない“第1.5層”。
老朽化したインフラ網と旧時代の端末が絡まった、都市の腸。
クロノは、古い電脳市場〈スパイラル・ベルト〉へ向かっていた。
ライアスがよく使っていた、非正規の情報屋がいる場所だ。
足元のグレーチングの隙間から蒸気が吹き上がる。
遠くではジャンキー同士の喧嘩が金属音を響かせる。
空気は鉄と薬品の匂いで満ちていた。
ミラースは、息を抑えるようにして歩く。
「ここ……本当に“街の中”なんですか?」
「表向きは存在しない区画だ。OWLもD.E.Xも触れたがらねぇ」
「どうして……?」
「制御不能な異能者や、“都市の欠片”が沈んでるからだ」
ミラースの解析視界が起動し、周囲の光が微かに揺れた。
通常の路地にはあり得ない“流れ”が壁の裏側に集まっている。
──何かが、吸い込んでいる。
「クロノさん、ここ……空間流の挙動がおかしいです」
「わかってる。ライアスを消した“異能”と同じ匂いだ」
◆電脳市場〈スパイラル・ベルト〉
紫と青のホログラム看板が、暗闇で乱反射する。
人の顔をした機械や、全身を義肢にした者たちが雑踏を行き交う。
クロノは迷わず、路地奥にある古い自動販売機へ向かった。
機械の表面を軽く叩く。
「……生きてるか? ジン」
自販機の中からガラガラと音がし、
横のパネルがスライドして奇妙な義眼が覗いた。
「あぁ……クロノじゃねぇか。
てめぇの相棒が消えたって噂、聞いたぜ」
ミラースが眉をひそめる。
「ここ、情報屋……ですか?」
「“情報の墓場”だよ、お嬢ちゃん。死んだ情報しか置いてねぇ」
義眼の男ジンは、機械の奥でケラケラと笑った。
「で、クロノ。ライアスの件で来たんだろ?」
「……あの夜、歪みの中に“手”を見た。
空間の奥へと引きずられた痕跡があるはずだ」
ジンの義眼が、ギラリと光る。
「あるぜ。“見せられない情報”がな」
クロノはそれを聞き、静かにタバコを取り出した。
「……D.E.Xの検閲か」
「ご名答。だが──消し損ねた“残響”が一つある」
ジンは自販機の下から、古いハードディスクを引きずり出した。
「ライアスが最後にアクセスしたデータログだ。
そこに、“裏層”の座標が記録されてる」
ミラースが息を呑む。
「裏層……?」
「都市の“もうひとつの地図”だよ。
D.E.Xが管理するはずの、触れちゃいけねぇ領域だ」
クロノはハードを受け取り、ポケットにしまった。
「ジン、借りるぞ」
「構わねぇが……気をつけな。
裏層を覗こうとした奴は、全員“消えた”」
ジンの声は、今までにないほど低かった。
◆OWL本部──監視室
同時刻。
ミラースの通信ルートが監視網を通過した瞬間、
OWLの監視端末が赤く点滅する。
『対象:クロノ・ハザード
行動ルート逸脱──第1.5層へ侵入』
監視官アキサワは、無表情のまま画面を見つめた。
「……また勝手に潜ったか」
だが、その目の奥には微かな懸念と迷いがあった。
「ライアス……本当に消えただけなのか?」
◆裏層への裂け目
旧市街の外れ。
クロノとミラースは、ハードディスク内の座標を辿り、
錆びた工業プラントへ辿り着いた。
ミラースが解析視界を最大出力にする。
「……歪み、あります。
これ……“入口”です」
薄闇の中、壁がゆっくりと波打った。
コンクリートの裏に、別の空間がある。
ライアスが消えた、あの“向こう側”──
クロノは写真を一枚取り出す。
そこには、ライアスの背中。
無造作に笑いながら、クロノの肩を叩いている。
「……行くぞ、ミラ」
ミラースは、静かに頷いた。
波打つ壁が裂け、白い光が零れ落ちる。
二人はその裂け目の前に立った。
足を踏み入れた瞬間、世界が反転する。
金属音が消え、風の音がなくなり、
ただ──
聞き覚えのある男の声だけが響いた。
『……クロノ?』
クロノは息を止めた。
『そこに……来たのか……?』
ライアスの声だった。
だがその響きには、生者の温度がなかった。




