孤独のシェイド
隔離された領域は、完全な闇だった。
光源は一切なく、ただ無限の黒が広がる。
だが、それはただの闇ではない──D.E.Xが設計した“心の闇”。
影が影を呼び、過去の記憶を幻のように蘇らせる。
触れるだけで、胸の奥が凍るような冷たさ。
シェイドはゆっくりと息を吐き、灰色の髪を指で梳いた。
対峙するのは、幻影影の女エージェント。
彼女の姿は揺らめき、十、二十、三十と分身が増殖していく。
輪郭が不定で、声だけが闇に溶けるように響く。
「君の影……全部、いただくわ」
その声は、シェイドの耳の奥で直接響く。
甘く、優しく、毒のように。
分身の一つが、シェイドのすぐ横に寄り添うように現れる。
「覚えてる? あの時の感覚……ケーブルが君の影を、ゆっくり引き剥がす痛み」
シェイドの呼吸が、わずかに止まった。
〈シャドウ・バインド〉を起動しようとするが、指先が震える。
女の言葉が、心理の隙を容赦なく抉る。
「君は失敗作よ。D.E.Xの“一部”にされた、ただの残骸。感情なんて、ノイズにすぎないって……君自身が知ってるはず」
闇の中で、フラッシュバックが襲いかかる。
実験室の白い光。
無数のケーブルが影を強制的に引き延ばす、焼けるような痛み。
自分の意志が、D.E.Xの冷たい命令に塗り替えられていく恐怖。
影が自分のものじゃなくなる、あの絶望的な孤独。
シェイドの影が、わずかに縮こまる。
女の分身が、さらに近づく。
「ほら、見せてあげる……君の本当の姿を」
闇が動き、シェイドの影が勝手に蠢き始める。
D.E.Xの残滓が、まだ体内に残っている。
影がシェイドの足を絡め取り、動きを封じようとする。
「君は……私と同じ。感情を捨てた、完璧な道具。 抵抗なんて、無駄よ」
シェイドの膝が、わずかに折れる。
影の触手が、自分の首に巻きつき、息を詰まらせる。
(……また、戻されるのか? あの冷たい闇に……一人に……)
視界が揺らぎ、過去の自分が闇の中で泣いている幻が見える。
女の笑い声が、領域全体に反響する。
「諦めなさい。君の影は、もう私のもの──」
影の圧力が強まり、シェイドの身体が地面に押しつけられる。
骨が軋み、肺が潰れそうになる。
ボロボロの身体で、シェイドは必死に抗う。
だが、影は言うことを聞かない。
女の分身が、無数に増え、シェイドを囲む。
「君は孤独よ。誰も、君の闇なんて理解できない。 D.E.Xだけが、君を受け入れてくれた……」
その言葉が、胸を抉る。
シェイドの瞳に、涙が滲む。
(……そうだ……俺は、いつも一人だった……)
だが、その瞬間──
裏層で出会ったライアスの声が、記憶の奥から響く。
『お前も、D.E.Xの玩具だったんだろ。 なら、一緒に壊そうぜ』
クロノの、煙草の煙の向こうの瞳。
ミラースの、静かな支え。
仲間たちの顔が、闇の中で浮かぶ。
シェイドの震えが、止まった。
「……違う」
声は小さかったが、確かだった。
「俺の影は……もう、お前のものじゃねぇ」
影が、爆発的に膨張する。
自分の意志で、自分の痛みで、自分の“生”で。
女の分身が、驚いたように後退する。
「不可能……君の影は、システムに──」
「システムなんかいらねぇ。俺の影は……仲間と取り戻したもんだ」
影の触手が、女の本体を正確に捉える。
分身が妨害しようとするが、シェイドはもう迷わない。
過去の痛みを、すべて力に変えて。
「二度と……俺の闇を、触るな!!」
影が締め上げ、女の本体を貫くように圧縮。
女の声が、初めて悲鳴に変わる。
「やめて……私も……孤独が……」
その言葉を最後に、女の姿がノイズとなって散った。
領域の闇が、ゆっくりと薄れていく。
シェイドは地面に膝をつき、荒い息を吐く。
全身がボロボロで、影は半分以上を失っていた。
血が口元から滴り、視界がぼやける。
だが、立ち上がる。
「……待ってろ、エレナ。お前の闇も……俺が喰らってやる」
力場の壁に亀裂が入り、シェイドはよろめきながらも領域を抜け出した。




