日常の終わりと始まり
灰色の空は、今日もデジタルのノイズを含んでいた。
ここは垂直都市《CIVIA》
10層に積み上がる、無機質な鉄の都市、また最後の楽園。
地上の《第1層》は、かつての都市の亡骸。
酸性の霧が昼夜を分かたず漂い、崩れた建造物の影で異能ジャンキーたちが蠢く。
中層へ行くほど秩序は整い、上層へ行くほど人は神に近づくと言われている。
だが、その神は人ではない。
《DEX》。
人間の政治を廃し、都市そのものを統べるAI政府。
感情を無駄とし、統計と計算で都市を動かす存在。
その監視のもとで治安を維持するのが、
公安機構《OWL》
異能を持つ者たちが、異能を抑え込むために編成された組織だ。
異能者はこの都市の血液であり、毒でもある。
便利に扱われ、恐れられ、時に利用され、そして廃棄される。
光と影の階層が幾重にも重なるCIVIAの底で、
ある一人の“フクロウ”が今日も暗闇を駆ける。
写真に焼きつけた記憶を現実に変える異能者
《クロノ》。
彼が追うのは、幻と現実の境を破壊する“異能中毒者”たちだ。
都市が眠らない限り、
彼の夜もまた、終わることはない。
2097年4月12日 03:18【CIVIA速報】第七層で異能暴走事件。公安出動、現場は封鎖。異能登録局「未確認」と発表。
CIVIA──千万人を飲み込む巨大都市。
上層の摩天楼には企業連合の塔が林立し、下層は煤煙と薬物に溺れた巣窟となっている。都市の秩序は「認知秩序庁」と呼ばれる機関が管理しており、異能者はすべて登録制。だが、登録を拒み地下に潜る者は後を絶たない。ジャンキーと呼ばれる彼らは、薬物で力を増幅し、自らをも焼き尽くす。
クロノはその取り締まりを担う公安特殊捜査班「owl」の一員だった。
だが、正義感よりも“生き延びる術”として警官を続けている。異能者を狩る異能者──それが彼の立場だ。
フードの奥から煙草を咥え、雨の路地に目を細める。義眼が淡い緑光を点滅させ、現場コードを表示した。
─事件コード:RIFT-97。対象:異能暴走、未登録者数名。
「くそ、また下層かよ」
隣を歩くのは相棒のライアス。背は高く、筋肉質。黒いコートの下には金属質の拘束具が刻まれている。彼の異能は〈重力の楔〉。拳や足に重力を集約し、一撃で骨も壁も粉砕する純粋な肉弾戦タイプだ。
「お前はそう言いながら、こういう現場が一番好きだろ」
クロノは薄く笑い、手にした古いポラロイドカメラを撫でた。
「俺の相棒はこれだ。瞬間を切り取り、像を現実に“引きずり出す”。」
クロノの異能〈具現化能力リコンストラクト〉は、写真や絵画など視覚的な情報を現実に具現化する力だ。
銃を撮れば銃が生まれる。壁を撮れば壁が立ち上がる。ただし性能は“像の通り”であり、弾丸の数も紙の中のまま。
そして代償として、像を具現するたびにクロノの体力は削られ、過負荷を越えれば視覚が崩壊し、命を落とす危険がある。
ネオンが瞬き、路地の奥から叫び声が響いた。
ジャンキーどもが暴れている。
路地に踏み込むと、そこには薬で目を赤く染めた異能者が三人。皮膚はただれ、筋肉が不自然に膨張している。薬で増幅された異能は暴発寸前だった。
「獲物だァァ!」
ひとりが掌から火炎を迸らせ、路地を灼いた。
クロノは即座にシャッターを切る。カシャリ。
現像紙から立ち上がるのは“先ほど撮っておいた分厚い防壁”。
赤熱の炎が衝突し、衝撃で瓦礫が飛び散った。
「幻覚かと思ったら、本物かよ……」ジャンキーが目を剥く。
「本物だ。俺の写真は、現実を裏切らない」クロノは煙草を吐き捨てた。
ライアスが前に出る。拳に黒い重力が凝縮し、床石が軋む。
「お前ら相手なら俺で十分だ」
一閃。重力に叩き潰されたジャンキーの身体が地面に沈み、骨ごと砕ける。
残り二人が狂ったように突っ込む。
クロノはポラロイドを構え、あらかじめ収めておいた銃の写真を弾き出す。錆びたリボルバーが手に収まる。
引き金を引くと、薬漬けのジャンキーの肩に弾が食い込んだ。悲鳴と共に血が飛ぶ。
「テメェら、所詮は焼き切れる蝋燭だ」ライアスが低く呟く。
二撃目で、残る一人の頭蓋を叩き割った。
息を吐き、二人で死体を見下ろした。
ジャンキーとの戦闘は日常だ。だが、今夜は違った。
――空気が歪む。
戦闘の喧噪が途切れ、路地全体がひび割れるように震えた。
クロノは即座にカメラを構える。だが、そこに現れた存在は異質だった。
黒いコートの男。
顔はフードに隠れて見えない。だが周囲の空間がねじれ、路地の灯りが吸い込まれる。
「こいつは……」ライアスが身構える。
次の瞬間、男の周囲に赤い断層が奔った。空間そのものが裂け、路地が反転する。
ライアスは迷わず飛び込み、拳を振り抜いた。重力の楔が空気を砕き、地面を抉る。
「クロ、下がってろ!」
黒コートの男は無言で掌を掲げる。
裂け目が広がり、ライアスの身体を呑み込んだ。
「ライアス――!!」
衝撃も悲鳴も残らない。ただ“消えた”。血も肉も影もなく。
クロノが飛び込もうとした瞬間、裂け目は閉じ、男は虚無の奥へと消えた。
残されたのは、フィルムに焼き付けられた一枚の像。
黒い背中。背を向けたまま、こちらを嘲笑うように。
「……痕跡ごと、消したのか」クロノの声は震えていた。
彼の能力でも防げなかった。だが、写真は嘘をつかない。ライアスは“確かにそこにいた”。ならば、まだどこかに存在しているはずだ。
クロノはフィルムを胸ポケットに押し込み、雨に濡れた路地を睨みつけた。
「待ってろよ、ライアス。必ず見つけ出す。たとえこの街全部を敵に回しても」
煙草の火が雨に消え、夜の闇に小さな赤い点だけが残った。




