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日本帝国奇妙抄 Ⅵ


世の中が段々進歩すればするほど、間違ひもまた進歩する。


(福澤諭吉)





 愛し合ってる男女があった。


 だがしかし、家の都合に世間のしがらみ云々と、七面倒な事情によって仲を裂かれる憂き目にあった。


 今生での「添い遂げ」はもはや到底不可能と、愛しい彼との結婚が全き絶望に帰したと悟り、女は人生自体を悲観。()から()へと容易く振れる娘らしさを発揮して、脈打つ己が心臓を、停止させんと決意する。


 縄を携え走り出て、海岸沿いの枝ぶりのいい松の木に、若い躰をぶら下げた。首をくくって死んだのだ。


 彼女の遺体は現地で荼毘に付せられて、遺骨だけが故郷に帰る。


 骨壺を乗せ、行く列車。やがて、ふと。線路の上に、さっと飛び込む影一つ。


 ここは「勿論」と書くべきか。影の素性は娘と生前、愛を交わした男であった。ブレーキが間に合う筈もなく、圧倒的な速度と質量、運動エネルギーに蹂躙されて、彼の五体は滅茶苦茶に。鉄道往生一丁あがりと相成った。


 物凄い後追い自殺であった。


 なにやら三文小説か、場末の舞台の脚本のあらすじめいた話だが。しかしこいつは疑いもなく、現実の事件のあらまし(・・・・)だ。


 男は年齢二十三、「佐藤伝」なる姓名で。

 女は二十歳(はたち)の身空に過ぎぬ、「小倉あやの」が名前であった。


 あやのが首を吊ったのが茨城県の磯崎海岸某所であって、伝が線路にダイブしたのが水戸常磐公園近傍(そば)と云う。


 彼と彼女は勤め先を同じゅうす、──栃木県芳賀郡長沼小の教員同士であったとか。もうそれだけで出逢いの景色に馴れ初めに、あれこれ勝手に想像の連鎖しそうな情報である。


 時あたかも昭和三年一月下旬、寒さの極まる頃だった。




   ※   ※   ※




 警視庁の記録によれば、昭和二年度、東京府内で捕まえられた野犬の数は三万四千六百十頭であるという。


 全国ではない、東京一個。

 警視庁の管轄内に限定してすら、かかる始末であったのだ。


 蓋し瞠目に値する。なんたる夥しさだろう。野犬に噛まれて怪我をして、狂犬病にかかってくたばる世にも不幸な人々も、大勢居たに違いない。


 捕獲された三万頭強のうち、四千頭は「実験動物」の名目で各医科大学、伝染病研究所、あるいは北里研究所等に渡された。本邦医学の発達の「尊い犠牲」となったのだ。


 残る全部は三河島の化製場に送られて、殺処分の後、皮は三味線、ガマ口に。骨、肉、臓腑は肥料や薬に加工され、売買されたそうである。


 その際、おそらく腹の中身を空にして加工し易くする為だろう、野犬どもには四日間、餌を与えず檻の中に留置する、「泥吐き」にも似た工程が挟まれたから堪らない。


 ただでさえ凄惨な情景が、いよいよ酸鼻に拍車をかけたという次第。


 犬好きには正視できない──どころではなく、それが現世に存在していること自体、到底許容不可能な、地獄の景色であったろう。


 鈴木大拙婦人ことベアトリス・レイン・スズキが知れば、烈火の如く怒り狂って日本批判の口撃をとめどもなく開始しそうな情報だ。なんとなれば彼女は現に、



“日本人は猫に対して残酷である、捨てられた猫は声をからして泣き喚く、そして死に至るまで長い間苦しまねばならない。

 米国では不要な猫があると直ぐ水に入れて溺れさせる、その方がよほど同情のある措置である”



 このような発言を行っている。

 想像はまったく難くない、極めて容易といっていい。


 殺すのならば無用に苦しませたりせず、一思いにさぱっと殺す。いわゆる介錯の心得はまことに人間的であり、およそ知的生物として品位の維持には欠かせない、大事な作法の一環だ。




   ※   ※   ※




 (ひそ)かごとにはそれが密かであるゆえに、言うに言われぬ玄妙な魅力・快楽が付き纏う。


 人目を忍んでコソコソとやるスリルであり、面白味。およそ金に困らない上流階級の御婦人が万引きに手を染めるのも、この快楽に中毒してのことだろう。


 破滅を心底恐れつつ、しかし同時にその(ふち)を指先でそっとなぞるのを止められないしょうもなさ(・・・・・・)。そしてあるとき気付いたら、破滅にがっしり腕をとられて名状し難き引力で、「あっ」とも言えずいっぺんに引きずり込まれてサヨナラだ。洋の東西を問わずして、そういう末路を辿ったものは数多い。


 軍隊の如き特殊社会の中にすら、類型は求め得てしまう。


 大正九年早春の候、前代未聞の軍法会議が呉鎮守府で開かれた。


 同所の海軍工廠で多年に亙り一部将士が資材と人手を勝手に使い、ある種の秘密工場を運営していた不祥事が明るみに出た所為である。


「秘密工場」の響きから、ついつい何か凄まじい、戦局を一変せしむるような超兵器の開発に精を出しておったとか、そういう素敵な「物語(おはなし)」を妄想したくなるのだが。お生憎さま現実はロマンのカケラもありゃしない。


 彼らがやっていたことは“構内に秘密工場を設け職工の一部を恣に使用して官品の木材及び金属を用ひ家具装身具などを製造し自己の家庭に使用し又は他に売却せること数年に及べる”ものという、弁護の余地なし、同情に値する点も一切皆無な、とどのつまりは横領だ。


 とりわけ大物だったのは、探照灯用反射鏡を加工して作り上げた鏡台である。“厚さ六分もある鏡を用ひあり其裏には銀メッキを施すなど暇と金とにあかせて”製作した代物で、完成には七十余日を費やしたとか。


 搬出経路も尋常ではない。“軍艦千代田の艦載水雷艇に搭載し工場外に持出して河原石に陸揚げ”と、何から何まで汚職腐敗の極みであった。


 赤軍兵士が粛清のリスクを負いながら、それでも尚且つ密造酒の醸造に躍起になっていたことは蓋し有名な逸話だが、我らが大日本帝国も、どうして彼らを一方的に嘲笑ってはいられない。


 秘密の味はさぞや甘美だったろう。


 なお、本節に於ける引用は、例外なしに『神戸又新日報』紙、大正九年三月七日の記事からであると云うことを、最後に附記して置かせてもらう。




   ※   ※   ※




 鹿児島では製塩に。

 奥飛騨では農業に。

 アイスランドでは洗濯に。


「入浴」ばかりが温泉利用の全部ではない、時代・地域によりけりで、用途はまったく多種多様。

 紀伊半島に滾々と湧く白浜温泉では嘗て、斯かる熱と湿気とを食用蝸牛の養殖用に宛てていた。


 蝸牛、すなわちカタツムリである。


 塩をかけると縮こまる、全身粘膜に覆われた、気色悪くも愛嬌のある例の陸貝。紫陽花と合わせて梅雨の風物詩といっていい、あの生き物を増やして捌いて調理して、皿に乗っけて客に出し、美味いと言わせて地元の新たな名物に仕立て上げんと企んだ、一風変わった挑戦者の名は即ち高田善右衛門。


 その経営する温泉旅館の設備を使い、昭和十一年四月二十六日を期に「親」たる十匹を取り寄せて飼育を開始したところ、これがもう面白いほど図にあたり、三ヶ月を俟たずして二千六百匹以上にまで増殖したから凄まじい。


 倍々ゲームもいいところ、まさにネズミ算式である。


 いくらカタツムリが雌雄同体、増えるに有利な種といえど、眉に唾をしないことには聞けない数字であったろう。


 具体的な飼育の様子に関しては、高田善右衛門、本人の口述が残されている。



“初めは温泉浴場の湯を張った浴槽上に並べておきましたが、その後浴槽内の湯をすっかりあけてしまって空の浴槽内に上から湯を落下させた方がその飛沫によって熱も湿度もより効果的であるやうに思ひまして最近はその方法でやってゐます、…(中略)…余剰温泉の利用としては非常に面白く、飼料なども全部料理部の残物でまだ一銭もこれに入れたことがありません、この秋ごろから酢のものや、佃煮、吸物など日本料理化して希望のお客にサーヴィスしやうと思ってゐます”



 令和七年現下に於いて、エスカルゴが白浜の目玉料理であるなどと、そんな話は聞き覚えがない。


 つまりはそういうことなのだろう。日本人の嗜好には、どうにも合致せなんだようだ。今となっては一片の奇談として残るのみ。なんともはや世知辛い、現実の味なのである。




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