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大英帝国、不滅なり Ⅴ ─ファイブ・ジョンブル─

英国人の頭にはいつも世界地図がある。

仏・独・伊の諸国人の頭には欧州の地図がある。

そして日本人の頭には日本の地図があるばかりである。


(永田秀次郎)





   Ⅰ


 贋金造りで逮捕されたその男性は、審理の席で自分が如何にみじめな境遇に置かれていたかを泣くような声でアピールし、以って衆の同情を誘い、情状酌量の余地を一寸でも拡大すべく努力した。


「――このようなわけで、私は家賃の調達すらままならず、人並みの生活を送れませんでした。今回の罪も良心の呵責に苦しみながら、家賃を拵え、一ヶ所に落ち着き、真っ当な人生をはじめたいあまりやむにやまれず犯したもので、それ以外の目的は一切なかったわけですから、この窮状を憐察して、どうか寛大な御処置をば」


 陳述を受け、判事は鷹揚に頷いた。

 口元にはまるで菩薩を思わせる、柔らかな微笑が浮いている。


「なるほど、家賃のためにやった仕事か。よろしい、その労苦に対して、満五ヶ年の住宅を提供しよう」




   Ⅱ


 天才にありがちな欠失といってしまえばそれまでであるが。――


 経済学の祖、アダム・スミスはその幼き時分から、脈絡もなく突然放心状態に落ちたり、かと思いきや誰もいない虚空めがけてぶつぶつと、ひっきりなしに独り言を垂れ流すという妙な癖を持っていた。


 ひとたび何かを考え出すと、周囲の状況を全然忘れ、ひたすら自己の内側へと埋没してゆく――度外れた集中力の発露の結果といっていい。

 しかしながらこれあるがため、周囲は奇異の視線を注ぎ、「実務に関しては無能力」の烙印を押されることとて珍しくはなかったという。


 オックスフォード在学中の彼の逸話に、次のようなものがある。


 友人たちと朝食を楽しんでいたアダム・スミスは、突如脳髄を貫いた天啓的発想に夢中になって、例の如く絶句した。


 瞼は開かれているものの、彼の視界はここではない、どこか異なる超次元の高みまで完全にすっとんでしまっており、自分の手が何をやっているかも気付けない。


 どういうわけか彼の手は、バターの塗られたパンを乱暴に丸めて団子にしており、友人たちが唖然として見守るさなか、今度はそれを茶瓶に詰め込み、上からお湯を注ぎ入れ、その出し汁をコップに移して口に運んだ。

 で、呟いて曰く、


「こんな不味い茶を飲んだのは初めてだ」


 日曜日の朝、庭前を寝間着のまま散歩中、空想に嵌り込むあまり、いつしか15マイル(およそ24km)先の街まで行ってしまったこともある。

 教会の鐘の音を耳にして、初めて我に返ったそうだ。なるほど社会の歯車とするには不適当、規格外の人物としかいいようがない。




   Ⅲ


 ジェームズ・ハリントンは激怒した。

 丹精込めて仕上げた政治小説、『オセアナ』が政府の検閲に遭い、没収されてしまったからだ。

 護国卿クロムウェルの指導体制を「共和主義の皮を被った君主制」とこき下ろし、


「おれが本当の共和主義を見せてやる」


 と息巻いて架空国家「オセアナ」を舞台にその実現模様を描ききった珠玉の傑作。この印刷を差し止めるなど、英国どころか人類にとっての損失であろう。

 ハリントンは活路を求め、クロムウェルの娘に当たるクレイポール夫人のもとを訪れた。


 客間に通され、夫人を待っているあいだ、三つになる彼女の娘と戯れ過ごす。ハリントンは少女の旺盛なる好奇心を満足させるべく励み、一定の成果を挙げたという。


 ところがこれはなんたることか。やがて夫人が入室するや、ハリントンは自分の膝に座らせていた少女の身をひしと抱き締め、


「貴女の父上は私の愛児を攫っていった。私は今、その復讐にこの可憐なお嬢さんを攫って行こうとしているところだ」


 このように言ってのけたのだからたまらない。

 当時のオリバー・クロムウェルは、誰疑うことなき独裁者。その権力を発動させれば、ハリントン如き一寸刻みに殺すこととて容易だったはずである。


 しかし、彼はそうしなかった。


 どころではない、却ってハリントンの機智を讃え、「愛児」をその手に返してやったというのだから、クロムウェルもやはり英国人たるを失っていなかったということだろう。


『オセアナ』はクロムウェル指導時代の1656年、無事出版され日の目をみている。




   Ⅳ


 ヨーロッパの紳士たちにとり、決闘こそが問題の最終的解決法だった時代があった。


 それもそう遠い昔の話ではない。帝政ドイツの立役者、鉄血宰相ビスマルクでさえ、若輩の時分はそれをやった。ほとんど日常的にした。この男のゲッティンゲン大学在籍時に於ける振舞いなど、ものを学びに来ているのか、それとも人を殴るために大学の門を潜っているのか、判別し難いほどである。


 授業には一つも出ず、毎日喧嘩をふっかけて歩き、決闘に及ぶこと28回、学期中の大部分を大学付属の牢屋の中で過ごしたという伝説は此処で生まれた。


 イギリスも決して負けてはいない。一説によれば1760年から1820年までの60年間にかけて、この島国で公然判明した決闘事件は170件強、そのうち一方の死で決着したのが71件、しかしながら有罪判決を受けたのは僅か3件を出でず、残りは悉く無罪放免となっている。


 イギリスは陪審員制発祥の地だ。

 しかも評決には、12人の陪審員全員の意見が一致しなければならない。

 つまり無作為に選ばれた一般市民が、まず九分九厘、相手を殺して勝者になった決闘者を罪無しと認めていたのである。


 決闘に於ける殺人は――それが「公平な決闘」であるならば――単なる殺人と一線を画す。欧州の天地に、そんな共通観念が確かに成立していたと、これら数字はよく証明してくれるだろう。


 この件に関して英国には、更に興味深い話がある。フレッチャー卿なる判事が、やはり決闘による殺人事件を取り扱ったときのことだ。陪審員の多くは法律の素人であるため、判事は刑事裁判のルールをわかりやすく説明する義務を負う。

 これを「説示」と云うのだが、このときフレッチャー卿が行った説示ときたら、秀逸としか言い様がない。


「陪審員諸君、法律の運用解釈を諸君に告げるのは、私の任務である。その任務に基いて私は諸君に告げるのだが、法律は決闘によって人が人を殺した場合に、それを殺人罪と規定している。しかし諸君、これと同時に、私は断言するが、本件の決闘は実に立派なものだ。かつて聞いたことのないほど、堂々たるものだ。この点を特に(あわ)せて、諸君に告げておく」


「空気を読む」という習慣が、独り日本に於いてのみ通用する特殊作用でないことは、これを一読するだけで明瞭たろう。むろん、陪審員たちは即座に無罪の答申をした。


 この説示は判事の名から「フレッチャー説示」と通称されることとなり、長らく決闘殺人を扱う上での亀鑑とされたそうである。




   Ⅴ


 窃盗の常習犯が逮捕された。

 この男、既に前科六犯を背負わされているだけあって、監獄を視ることあたかも別荘の如くして、少しも恐れ入る風がない。


 不遜な態度に業を煮やした判事、厳然として曰く、


「お前は到底改悛の見込みのない奴だ。お前のような危険人物には、法定の最長期の刑罰を科さねばならない」

「最長期ですって? なるほど私は度々お手数をかけました、まったく、私は法の常得意です。しかし、常得意には割引をするのが、世間一般の通り相場ですがねえ」



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