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大英帝国、不滅なり Ⅳ


フランスやイギリスに関して見られ得る最も重要な事実は、その地にローマの記念物があるといふことではなくて、この二つの国そのものがローマの記念物だといふことである。


(アンドレ・モーロア)





 途中で死ぬのが、永く英人の悩みであった。


 羊のことを言っている。


 牛と並んで、オーストラリアの名産品だ。


 先住民(アボリジニ)を――主にあの世へ――叩き出し、土地を横領、くだんの植民大陸を牧場として整備したのは素晴らしい。


 それ自体は上出来だ。


 ただ、問題は、輸出であった。


 羊毛、食肉――そういう部品(パーツ)ごとに分けての出荷ならば別にいい。さして苦もない作業であるが、


「生きた羊をそのまま寄越せ」


 と註文されると難しい。


 羊は陸上生物だ。

 土の上でこそ活きる。


 船旅に不得手であることは、いっそ惨めなまでである。慣れぬ環境、募るストレス、周囲のすべてが彼らを弱らせ、結果バタバタ死んでゆく。その損耗こそ、何十年もの長きに亙り、英人の悩みの種だった。


 無駄を省くは東西問わず、人間社会の鉄則だろう。本能的に我々は、効率の追及を「善」とする。英国人も盛んに「善事」を行った。


 馬鹿気た損耗、無為に積まれる死の山を、ただあんぐりと口を開いて拱手傍観できるほど、彼らは老いていなかったのだ。多くのことが試された。その中の一、一八七九年に執られた手段が面白い。


 簡単に言うと、羊を仮死状態にしてしまうのだ。


 それから運ぶ。送り先にて復活させる。途中の飼料も削減できて万々歳なことである。むろん、上手くいけば、だが。いったい生命(いのち)が、そんなフリーズドライ食品みたく、都合よく停止・解凍処理を施せるものか、どうなのか。


「案ずるより産むが易し。とにかくやってみることだ」


 で、彼らは実験をした。


 その報告は驚きを以って迎えられずにいられない。成ったか成らぬかより前に、抑々そんな挑戦自体、神への冒涜ではないか?


 生命倫理うんぬん絡みの七面倒な紛糾は、この時代からもう既に開始(はじま)っていたようである。


 騒ぎが大きくなるにつれ、波紋はついに日本国の理学会――生まれて間もなく輪郭も未だあやふやな、軟く小さいこの辺陬の上にまでも到達し、確かな揺らぎを与えていった。


 面白く、且つありがたいことである。お蔭で後世の我々が、気になる実験内容を、日本語で追いかけられるのだから。


 当時の記事を読み解くに、肝心要の仮死状態は何か特殊な薬剤注射で引き起こされたものらしい。曰く、“銀管をもって羊の体中に薬汁を刺入すれば、倏然として頓絶し、斯くて之を再活せんには、羊の耳孔に脂油をつめ、適度の温湯に頭尾共に沈め、五分を経て其頭は湯より出し、耳孔の脂油をすて、頸以下猶ほ其湯中に浸入しおきときは、頓て羊は飄然として跳り出づるとならん”――蘇生措置に至っては、なにやら儀式めいていて、怪しい雰囲気すらにおう。


 この研究が、はたしてどれほど実を結んだか。


 二〇一八年の事件を一瞥すれば、たちどころに瞭然たろう。


 このとし、オーストラリアから中東へ向かう貨物船の船中で、二千四百頭もの羊が熱ストレスで死亡した。


 家畜類の生体輸出にかかわるリスクは、一八七九年の昔時から、大して改善されてない。そんな風に判断するほか、これは仕様がないだろう。


 仮死状態からの復活――そんな便利な沙汰事が、もし実用化されていたなら、斯くも酸鼻な事件など起こりようがない筈だ。


 つまりはそういうことである。


 科学の進歩も、なかなか以って難しい。


 その道程は数え切れない徒花によって満ちている。あえなく散った花弁(はなびら)を、たまにはそっと拾い上げ、眺めてみるのも一興だ。




   ※   ※   ※




 こと諜報の分野にかけて、英帝国は玄人である。


 何故こんな事を知っているのか、何処からソレを掴んだか――。


 いっそ魔術的とすら謳いたくなる暗中飛躍は舌を巻くより他なくて。――日本の古い仏教系新聞に、あの連中の底知れなさを仄めかす記事が載っている。



“岩倉公が先年英国に赴かれし時、同国女帝が日本の経典を好まるゝ由を聞かれ、帰朝の後一切経を送られしかば、彼の国よりも種々の珍書を同公に送られしが、今度又同国より、我邦古伝の貝多羅梵莢を写し贈りてよと請ひ来りしかど、南都法隆寺より献ぜし物は正倉院の勅封中にて間に合はず、其他は何れにあるか詳かならねば、右大臣より西京妙法院住職村田教正に依頼され、心当りの寺院もあらば捜索して写し贈られよとの事に付、同教正は天台真言の諸教生に謀り、江州坂本来迎寺の所蔵のものを写し取るべき手筈なり”



 明治十三年七月の『明教新誌』が報せたものだ。


 ヴィクトリア女王が仏教に深く関心あらせられたと、この段階でもう既に驚くには足るのだが、続く内容はどうだろう。


 正倉院以外には写本さえも存在するかわからない、岩倉具視ほどの男がその人脈にモノを言わせてやっと確報を得るような、非常に古くまた珍しい経典を、そもどうやって知ったのか?


 態々名指しで註文してきている以上、概要程度は把握済みと見るべきだ。目星はちゃんと付けている。だが、繰り返すが、どうやって? 日本人ですら九分九厘までは聞いたこともないような、そんな秘宝の情報を、連中何処から嗅ぎつけた?


 これだから英国紳士はおそろしいのだ。


 なお、ついでながら記しておくと、和暦明治十三年、西暦にして一八八〇年というこのとしは、女王陛下のお膝元、ロンドンの骨董品店に「孔子のドクロ」が現れて、漢学者どもを狼狽せしめた時節でもある。


「おやじ、由緒は?」

「よくぞ訊ねてくだすった」


 さるアロー戦争のどさまぎ(・・・・)に、円明園からかっぱらった品である――と店主は説明していたが、真贋のほどは、実に怪しい。


 どうせ偽物だったろう。


 源頼朝に文覚上人が見せつけた、「御父君の頭蓋」とやらと似たり寄ったりな代物だったに違いない。


 ただ、孔子の方の(・・・・・)ドクロには、大小無数の宝石がとりどりに散りばめられていて――そういうところが如何にも虚喝的であり、いかがわしさと言うべきか、ニセモノ感を増すのだが――、これを剥がして一個一個売ったあと、残った骨に二束三文の捨て値をつけて陳列されてあったのだとか、なんだとか。


 十九世紀大英帝国、紛うことなき世界の中心。


 であるがゆえに彼の地には、浮世のすべてが集まった。必然として奇談珍話の類をも、ひっきりなしに生産せずにはいられなかったと、つまりはそうした道理(ワケ)だろう。




   ※   ※   ※




 露帝ニコライ一世は身を慎むこと珍奇なまでの君主であって、例えば彼が内殿で履いた上靴は、生涯一足きりだった。


 むろん、時間の荒波により生地は痛むし穴も空く。しかしながら空くたびに、針と糸とを携えた皇后さまが、


「まあたいへん」


 と駈けつけて、せっせとこれを繕った。


 そんなこんなで、東郷さん()の障子のように滅多矢鱈と継ぎ当てされたその靴は、主人の没後も永く殿中に保持されて、遥か後世に向けてまで彼の徳を投射する触媒として機能した。これぞ王者の亀鑑なり、皆々仰ぎ(そうら)えと、主にそんなニュアンスで。


「然り、亀鑑(・・)だ、いい手本だよ」


 節倹こそは権力者の自衛策、富豪が行う慈善事業と同様に、身を保つため不可欠なモノ――。


「そうした観点からいって、露帝ニコライ一世はまさに模範と呼ぶに足る」


 おそろしく乾いた理性の筆でそんな意見を述べたのは、毎度おなじみ福澤諭吉。


 慶應義塾唯一の「先生」たるこの人は、何の容赦も感激も混じらせることなきままに、襤褸靴の価値を腑分けした。



“和漢古今の名君賢相と称する人物にて節倹を重んぜざる者なく、人心の帰服するは単に此一点に在りと云ふも可なり。蓋し君主政治の国柄に於て、執政者の権力無限なるものは、却て自ら之を節して(ほしいまま)にせず、政治上の権威こそ盛なれども、肉体の快楽に至りては無責任の人民に及ばざること多し。君相たる者も中々以て苦るしきものなり、左まで羨むに足らざるものなりとの趣きを示して、国民の道徳心を刺衝すると同時に、其羨望の念を断絶せしめるの必要に出でたることならんのみ”



 文中用いられている「羨望」の字は、そのまま「嫉妬」に変換しても可であろう。


 小人の妬心ほど恐るべきものはないのだと、たとえどんな大人物でもこの毒煙に(まみ)れたが最後、五臓六腑は腐敗して、足腰立たなくなるのだと、そのあたりの機微につき、福澤諭吉は知りすぎるほど知っていたに違いない。


 実際問題、彼の掲げた帝室論は的を射ている。現代日本社会でも、いと貴き場所の方々が公に姿を現す場合、いの一番に話題になるのは装束の()だ。ティアラがいくら、ドレスがいくら、新居の予算がいくらだの、愚にもつかない次元のことで立ち騒ぐ。


 結局のところ、大した差は無いのであろう。現代人と明治人とで、精神のツボ、勘所は共通だ。だから福澤の見抜いた習性、処世のコツも、多く通用し続ける。


 嘆けばいいのか、喜べばいいのか。


 あらゆるすべてに先例がある。この疑問すら先人たちが、とうの昔に悩み尽した代物なのだ。参照するに如くはない。


「現代文化人の精神能力は、最盛のギリシャ時代より遥かに低い」


 と、肩をすくめて嘯いたのは二十世紀黎明の、とある英国紳士であった。


「人類の精神能力の退化と進化とを説くは、一つの妄想である」


 これまた英人、チェンバレンの放った皮肉。


 いったいイギリス人というのは厭世主義に傾倒してすら悠々迫らざるというか、心の余裕の担保を忘れることがなく、「老熟」の印象、いよいよ募る。


 初代ボリングブルック子爵、ヘンリー・シンジョンに至ってはもう堪らない。


「世の中に生れて来るのもなかなか厄介だが、世の中を出ていくのもまた一層厄介であり、気が利かないことでもあるので、いっそ最初から生れて来ない方がマシだ」


 これだけ深刻なことを言いつつ、しかし同時に、どこか瓢げているような、爽やかさも含まれていて、よくよく練られた人格を背後に感ずるものである。


 なお、シンジョンは上の如き意見を呈しておきながら、自分はちゃっかり還暦越えて、七十三歳まで生きた。


 彼が主に活動したのは十八世紀。当時に於ける平均寿命を鑑みて、これは十分、長寿と呼べる。英国人とは、つまりこういう奴である。なんともはや天晴れな、世巧者どもではあるまいか。



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