大英帝国、不滅なり Ⅲ
後世史家は、国際連盟の組織と、パレスチナの復活とを以って、我々の成したる二大偉業とするだろう。
(ロバート・セシル)
一九二五年、シリア、ダマスカスの市街に於いて。
フランス軍は暴徒鎮圧に爆発物を投入し、ナポレオン・ボナパルト以来の勇気、たくましい精神の輝きがしっかり継がれていることを、内外に向けて披露した。
順を追って説明しよう。
すべての元凶はイギリスである。
この年の四月一日、エルサレムに築かれたヘブライ大学の開校式に出席するため、アーサー・ジェームズ・バルフォア卿がパレスチナに乗り込んだことが始まりだった。
そう、アーサー・ジェームズ・バルフォア。
第一次世界大戦当時外務大臣の席に在り、例の三枚舌外交を発揮して、中東に百年経っても解決されない大混乱を惹き起こした張本人といっていい。
アラブ人──特にパレスチナ在住のアラブ人にしてみれば、どんなに呪っても呪いきれない相手であろう。
そんな男がよりにもよって、怨嗟渦巻くエルサレムに、イギリスの肝煎りで設立された、ユダヤ人のための大学の式典に出席するため飛び込んでゆく。
騒ぎにならねばむしろ奇蹟だ。
案の定、エルサレムのアラブ人は針の筵で彼を迎えた。当日、アラブ人の経営による商店は示し合わせて一切合切休業し、戸口に弔旗を掲揚し、自分たちの感情が那辺に在るかを如実に示した。
各新聞社もこれに和し、こぞって黒枠付きの新聞を発刊、弔意を表したものである。
が、パレスチナに於いてはそれ以上のことは何も起こらず、開校式も恙なくプログラムを完了し、バルフォア卿は五体満足でスコーパス山を後にした。
問題が起きたのは、イギリス委任統治領パレスチナからフランス委任統治領シリアに入って以後である。
この地に住まうアラブ人らは、パレスチナの人々ほど気が長くなかった。もっと直接的な方法で意志を表現することにした。すなわち、
――あの三枚舌野郎を街路に引き出し、八つに裂いてくれようず、と。
バルフォア卿の泊まるホテルに襲撃をかけることにしたのだ。
フランスこそいい面の皮であったろう。
彼らにしてみれば、いま現地人の感情を刺激するのは何としてでも避けたかった。
ヴェルサイユ条約以来、ここシリアでも民族自決を金科玉条として「シリア人のシリア」を求める動きが不気味に大地を揺さぶっている。
が、一次大戦以前には、ルイ九世の古証文を持ち出してまでこの地の保護権を主張したほどのフランスが、それを良しとする筈もなく。
国中の監獄という監獄が悉く国事犯で埋まるほど厳しく弾圧に努める一方、これ以上の激発を抑止し、彼らを現状維持の惰眠の中に閉じ込めておくよう、様々な懐柔策を打ち出していた。
そうした繊細な心遣いの真っ最中に、このバルフォア来訪である。
たまったものではなかったろう。旱魃続きの夏の枯野に、火炎放射器をぶっ放されたも同然だった。
必然として、大炎上した。
その火勢を、興味深く眺めていた日本人がひとり居る。
東京日日新聞顧問で、昭和二年には名著『外交読本』を世に著した、稲原勝治その人である。
以下、彼の報告「『神の選民』ユダヤ人の国」から抜粋すると、
“バルフォア卿が、エルサレムを引揚げ、仏国受任統治領たるシリアに入りダマスカス市に滞在するや、アラビア人の大群衆がそのホテルを襲ひ死傷者百五十名を出し、暴徒が再び襲来せる際は、仏軍が爆弾を投下してこれを離散せしめたほど、勢ひ猖獗を極めたものである。驚いたバルフォア卿は、辛うじて身を以て汽船スフィンクスに逃れ、英国に帰った”
まるでしっちゃかめっちゃかを、絵に描いたような騒ぎぶり。
フランスの努力は、無為に帰したといっていい。彼らの眼にはバルフォアが、疫病の如くに映ったのではあるまいか。
シリアはその後、独立の気勢ますます高まり、一九二八年にはフランスをして軍政の廃止と制憲議会選挙の実施に頷かせるに至っている。
※ ※ ※
日清戦争の期間中、現地に展開した皇軍をもっとも困惑させたのは、清国兵にあらずして、イギリスの挙動こそだった。
そういう記事が『時事新報』に載っている。明治二十八年三月二十四日の紙面の上だ。曰く、“我軍が敵地を占領するの場合に、彼の軍艦乗組員の士官等が戦闘未だ止まずして弾丸雨飛の中に上陸し、我軍に就き古鉄砲もしくは青龍刀などの珍しき戦利品の譲与を五月蠅く請求することあり”と。
筋金入りの蒐集狂といっていい。
生命よりも珍品か。
流石は大英博物館を、コレクトマニアの極北を築き上げた民族である。
もっともイギリス人どもの戦場に対する恐怖感情の欠乏は今に始まったことでなく、日清戦争から溯ること約四十年、クリミア戦争の時点でも往々にして発揮され、共闘相手のフランス人らをたまげさせたものだった。
──イギリス軍将校たちは、フランス人料理長、カフィル人の従者、お気に入りの馬やワイン、猟銃、犬、そして場合によっては妻までも連れて遠征に参加した。(フィリップ・ナイトリー著『戦争報道の内幕』)
帷幄に婦人を引き入れるなど、秀吉による小田原包囲じゃあるまいし。
それになんだ、何のために犬だの猟銃だのが必要になる、戦場でまでキツネ狩りを楽しみたいのか、こいつらは。蒐集以外に、狩猟好きも病気の域だ。
──のちには「旅行紳士団」の一行まで現れた。これは金持ちの若いイギリス人グループで、ローズ競技場でクリケット試合を観戦するような気分で戦争見物にきたのである。イギリスに一日先立ってロシアに宣戦布告したフランス人は、イギリス側がはたして本気なのか信じられなかった。(同上)
ナイチンゲールの献身が光る一方で、こういうことを平気でやらかす、複雑怪奇な多面性こそ英国を英国たらしめている真骨頂だ。
彼ら紳士を表すに「生一本」ほど縁遠い言葉もないだろう。明治二十七・八年、日本人もついにそれらを我と我が身で味わった。
これはこれで貴重な体験に違いない。カルチャーショックの一種でもある。その衝撃を『時事新報』は、
“戦争の邪魔と云へば云ふ可きなれども、是等の事は勿論上官より命ずるにも非ず、少年の士官等が物数寄の為めにするものにて、云はば小児が玩弄物に目を着けて之をねだると同様、誠に無毒の処行にこそあれば敢て咎むるに足らず”
しゃあないやっちゃなあと言わんばかりの雅量を発揮し、円満に包み込んでいる。
書き手の名前は福澤諭吉。
英国を文明の師表と仰ぎ、やがてきっといつの日か、出藍の誉を成就せよ――追いつけ追い越せと呼号していた男であった。
※ ※ ※
エマーソン曰く、自由な国の民というは自己の自由を実感するため、意識的にせよ無意識的にせよ、時折わざと間違ったことを仕出かしたがる生物だとか。
正味、なるほどと頷かされた。
ウィリアム・バロウズ――例の「薬中作家」その人も、青年時代にやらかしまくった軽犯罪――走行中の車の窓から銃を乱射し、鶏の頭を吹っ飛ばしたり――の動機について、
――名ばかりの犯罪行為によって自由を危険にさらすのはロマンチックな贅沢のように思えた。
こんな告白を行っている。
そうしてスリルを愉しむうちに、バロウズは麻薬と「運命的な出逢い」を果たし、二度とは戻れぬ魔道へとひたすらに沈淪していったのだが、それについては、別にいい。
英国のとある老紳士、二十歳になるより以前からパイプを咥え、爾来八十一で永眠するまで一日たりとも唇から離すことなく、週間平均十ポンドの葉を煙にしたと嘯くヘビースモーカーは、その葬式さえ紫煙濛々たるを望んだ。
彼は列席者に対し、新品のパイプと十ポンドの煙草を漏れなく配り、ぜひともそいつをふかしながら「土は土に、灰は灰に、塵は塵に」を唱えてくれと、死の床から遺言したのだ。
この構想は遺族によって、つつがなく実現されている。
アメリカが時に発揮する、信じられないほど馬鹿げきった脱線模様――禁酒法だのポリコレだのも、あるいは斯かる性癖が少なからず手伝っているのやも知れぬ。
禁酒法といえば、どうも最近、以下の如き巷説を見かけ、大いに興味をそそられた。
“ある観察者に至っては、アメリカの禁酒法が出て以来、欧洲行のアメリカ人には酒は不自由の自国の汽船を嫌って、酒が自由の外国船を選択し、それで酒が自由で且つうまくもあるフランスへ行くので、一ヶ年約八億円内外のアメリカ人の金貨はフランスへ搾取される。これが金がフランスに偏在するに至った重大の理由の一つだと解釈して、アメリカの禁酒法はフランスに巨額の奉納金をして居ると指摘して居る次第である”
というのも、普仏戦争について学んだ際に、似たような噺を目にしたからだ。
なんでもフランス国内に雪崩れ込んだプロシア軍は、行く先々で物資徴発を繰り返し。
その過程で味わったフランスワインのあんまりにもな芳醇ぶりに腰を抜かすほど驚いて、病みつきとなり、戦後フランスから撤兵しても焦がれて焦がれて仕方なく。
勢い輸入は空前絶後の盛況を呈し、その代価によりフランスは、敗戦により支払った賠償金をたちどころに取り返したと――確かこんな流れであった。
武力では負けても文化的には勝ったのだと我と我が身を慰めたがる、一種可憐な自尊心の発露であろう。
べつに批難には及ぶまい。生を喚起し、前へと進み、再起を促す力になるなら結構至極なことである。
実際彼らは普仏戦争の敗北を、第一次世界大戦の勝利によって償った。
文句のつけようのないことだった。
にしても、その拠りどころが「ワイン」なのは面白い。伝統と格式と、それからもちろん既得権益を守護るため、外国産ワインに対しテロを仕掛ける過激団体が結成されて、おまけに民衆の方もまた、少なからずその連中を支持する国なだけある。
二十一世紀のこんにちでさえ国産ワインのためならば、輸入ワインを安く売ってるスーパーを爆破するのも厭わない、それだけのこだわりを保っているのだ。
いわんや十九世紀に於いてをや。
どれほど誇りに思っていたか、とても想像しきれまい。
民族の精神を支える柱は実に千紫万紅で、見ていて飽きることがない。




