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日本胃袋奇妙抄 Ⅳ


食事は人生最終の慾望であり、楽しみである。目の欲、耳の欲、仕事の欲、それから性の欲といふ按配に、種々の欲はあるが、何物にも代へ難いのは畢竟食の欲である。人間の本能である。


(林安繁)





 合鴨を使うという発想は、未だない。

 昭和六年、香川県農会が稲田に放った水禽は、これ悉くアヒルであった。


 大野村、多肥村、鷺田村、田佐村、十河村、田中村、等――香川・木田の両郡に亙り、およそ二千七百羽の購入斡旋を行っている。


 この当時、香川名物はうどんにあらず、むしろ良米の産地としてこそ名を馳せていたものだった。


“讃岐米は、阪神地方のすし(・・)米に使はれ、味が良くて粘気が多い。粥に炊きなほしても粘気がなくならない。乾燥がよくて釜殖が多い、普通一升が茶碗で二十五杯なら、讃岐米は三十杯にもなる”云々と、大阪毎日新聞の『経済風土記』に明らかである。


 本書をいくら捲ってみてもうどんの「う」の字も見当らぬ、後世に於ける中毒ぶりは皆無といっていいだろう。


 君らの子孫は「うどんアイス」を生み出すほどに、この食い物に病みつきになっちまうんだぜ――と、嘗ての彼らに教えてやれたら、どんな顔をするだろう。目を回すほどに驚くのではあるまいか。


 まあ、それはいい。


 とまれ声価を得ている以上、更に磨きをかけたいと、ブランド力を伸ばしたいと欲するのは必然だ。


 讃岐米を発展さすべく、多くのことが試された。


 アヒルを田圃に放つのも、その一環といっていい。


 一年後、すなわち昭和七年に、飼育者たちの感想を綜合したる「実験結果」左の如し。



 ○性温順にして作物を荒さず何時も群集外敵の襲来に注意深く品行方正の模範生で稲田放飼に好適


 ○一挙両得七、八月のころは稲田の雑草や虫類が多く殆ど給餌の必要なく、飼育田の雑草、蛙、昆虫類は殆ど見られなくなり、青虫や螟蛾を好んで食し害虫駆除に効果多し


 ○鶏舎の如くガッチリした必要なくただ野犬の入らぬ様設備さへすればよい


 ○適数毎日の如く稲田に遊び戯れるをもって風化作用を助け其上糞も相当肥効あり、五畝歩に五十羽飼ひ稲が出来過ぎた、小区域に多数飼育は考へもの


 ○販売は既定の荷造りをなし県農会の斡旋で阪神市場に出荷する



 おおよそに於いて現下宣伝されている合鴨農法の利点と大差ないだろう。


 前史として、一定の価値はあるかもしれない。

 そう思い、掘り返させていただいた。


 米価高騰の折柄、必然としてコメ自体への興味・関心も高まっている。

 時宜は得ている筈である。




   ※   ※   ※




 大連、鉄嶺、瓦房店、大石橋、遼陽、奉天、昌図、公主嶺、長春、安東縣、鶏冠山、橋頭。


 大正四年、日本人の経営に依る南満州鉄道で駅弁を売っていた駅は、なんとたったの十二ヶ所。上に(なら)べた十二の駅で、金輪際全部であった。


 何故そんなことが分かるのか。

 単純明解、調べた奴が居たからである。


 南満州鉄道の駅弁を片っ端から食べ比べ、ランキングを作ろうと――。妙な情熱に取り憑かれ、現に実行に移してのけた物好きが。


 一月三日から二十一日に至るまで。──三週間弱を費やし、彼はその挙を成就した。


 駅弁ロマン、あるいは大正時代の孤独のグルメ。「食」に対する日本人の関心は、ときに偏執の鬼相を帯びる。その傾向は、大正時代もう既に。既に確かに存在したと、実感の湧く古記録だ。


 とまれかくまれ彼の舌を信ずるならば、満鉄十二の駅弁中、最も味()く舌を喜ばせてくれたのは、遼陽駅の品こそで。


 逆に最も味悪く、舌を虐めてくれたのは、昌図駅のめしだった。


 思い出深き一番上(・・・)一番下(・・・)の献立を、次いでそれぞれ掲げ置く。



[遼陽]

 一の箱:コールビーフ三切、焼鳥(寒雀)四羽、さくらんぼ四個

 二の箱:玉子焼一、蒲鉾二、ごまめの飴煮若干、奈良漬四切、

     鶏肉と筍子と牛蒡と蓮根の甘煮


[昌図]

 一の箱:カツレツ一、鰤の煮付一、鰯フライ、輪切蜜柑一、沢庵四切

 二の箱:蛸二切、鶏肉と筍子の甘煮、牛佃煮、玉子焼二、蒲鉾四切



 この数奇者は後日自分の体験を一篇の食レポに纏めあげ、地元発刊の邦字紙に、『満洲日日新聞』に寄稿するということまでやっている。


 精力的と呼ぶ以外、妥当な評価が見当たらぬ。


 練られた文章、挑戦自体の面白味。総じて質の高さから、彼の投書はめでたく掲載と相成った。


 かかる記事より、遼陽駅と昌図駅の弁当につき、更に詳細な味のレビューを抜き出すと、



“…遼陽駅の甘煮は少々砂糖が利き過ぎてゐたが味は悪い方でなく醤油も可なりなのを使用してゐた、玉子焼は水臭かったが寒雀の焼鳥は非常に美味であった、又コールビーフも軟かく第一の箱の中だけで副食物は十分であった、奈良漬は外の物に比して頗る不味かった、其れに反して昌図駅の一の箱のカツレツは雪駄の皮どころか頗る堅く、フライは塩辛くて到底咽喉には通らない、フライやカツレツが冷たくては食べられるものでない位の事は知ってゐさうなものだ、其れに二の箱の蛸は何だ、何日過ぎたものかプンと臭く、おまけに甘煮は幾日か前に煮たものと見え、下の御飯の暖かさに煮凝が解けて臭い事夥しい、是で金を取るとは大胆不敵である、乱暴である、不親切である”



 おおよそこんなところであろう。


 末尾の語気が、実に烈しい。


 事と次第によりけりではあるものの。――「食べ物を粗末にすること」を「殺人罪」に比肩する罪深い所業であるとして、憎んで憎んで憎み抜く、大和民族のDNAを感じずにはいられない。そんな荒々しさだった。




   ※   ※   ※




 神戸牛の擁護者にして礼讃者。

 三井王国の柱石が一、「大番頭」益田孝なる御仁には、そういう側面(かお)をもどうやら併せ持っていた。


 該ブランドにどれほど激しく心を寄せていたものか、端的に示すエピソードとして、次の如きが挙げられる。すなわち自己の経営下にある新聞紙、『中外商業新報』の社説欄を埋めるのに、あるとき自ら筆を執り、和牛至高論を打ち、神戸牛の味こそは肉類世界一であり、他の追随を許さぬと大胆にも言い切った。


 すると間もなく政府の方から呼び出しが。内務卿品川弥二郎の名の下に、「すぐに来い」とのお達しである。


 火急の用を隠そうともしていない。だいぶ異例な剣幕に何だと思って出向いてみると、


「あの記事はなんだ」


 劈頭一番、待ち構えていたとばかりに内務卿の雷が落ち、


「せっかく政府が今アメリカから種牛を取り寄せて飼育して居る最中なのに、お前はその邪魔をする気か」


 このような意味の文句をがみがみと、声を荒げて浴びせられたということだ。


 が、それで恐懼しあっさり縮こまるほどに、益田孝は惰弱な性根をしていない。


「しかし閣下、閣下が如何に仰られても神戸牛が世界一であることは動かし得ない、明白な事実でございます」


 訂正記事など毛ほども掲げる心算(つもり)なし──と。

 いっそ清々しいほどの居直りを決め込んだのである。


「おのれ、なおもほざくのか」


 業を煮やした品川弥二郎、


「そこまで強情張るのなら、よし、いいだろう、食べ比べてみようじゃねえか」


 と、試食会の実施を決意。あれよあれよと場が整って、結果は、述べるまでもない。


 出席者らは圧倒的に──品川自身をも含め──神戸牛を「上」とした。ベタもいいとこ、ほとんどまるで料理漫画の定番みたいな展開としか言いようのない景色だが。


 しかしそれでも益田孝が日本の食糧事情に関しいたく心を砕いていたのは事実であって、小田原の別荘「掃雲臺」の敷地では、広さを活かした飢餓対策の研究なぞも盛んにしていたそうである。


 すなわち“益田さんはあすこで養蚕もやり、豚も飼ひ、茶も作り、果樹の栽培もやってゐたのだ。食糧問題にも疾くから眼をつけて、斯う耕地が住宅、工場、道路、鉄道で減っていき、一方人口がどしどし増えるのでは何とかせねばなるまいと心配してゐた。第一次欧州大戦の時山縣公がドイツでは食糧の不足から野草を食べることを工夫してゐると、それを書いた書物を示されると、東北地方で飢饉の際に食べた野草を既に研究して、これこの通り、貴方も実際に嫁菜や蒲公英を浸し物にして召しあがって御座るではないかと答へたさうである”のだと。──平田禿木、昭和十五年の回顧から抜き書かせていただいた。


 金持ちの散財法として、上等なのは疑いがない。これもまた、ノブリス・オブリージュの一つの形なのだろう。


「今日の時勢にああいう人が商工大臣と農林大臣を兼ねてくれていたならば」


 と、非常時の叫びもかしましい世間を横目で眺めつつ、平田は臍を噛んでいる。




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