日本胃袋奇妙抄 Ⅰ
生命は共通である。生存は喰ひ合ひである。犠牲なしには生きて行かれぬ。犠牲は常に食ひものがある。実際良いものの肉を食ひ、血を飲んで我等は育つのである。
(徳冨蘆花)
酒の肴に工夫らは、ダイナマイトを嗜んだ。
その頃の鉄道省の調査記録を紐解けば、明らかになる事実であった。
「その頃」とは大正後期、日本に於いても津々浦々でトンネル工事が隆盛に赴きつつあった秋。
掘削作業の能率を飛躍的に高めた発破、それを為すためのダイナマイトを、しかし現場の労働者らがしきりとちょろまかすのだった。
それで何をするかと言えば、刺身にして食すのである。
このあたりで筆者は一度、我が眼を疑い顔を上げ、眉間を強く揉みほぐし、二、三度深呼吸をした。
それで視線を紙幅に戻せど、むろん文面は変化せず。ダイナマイトを肴にして呑む酒は、酔いのまわりが非常に早く、陶然たることまるで浄土に遊ぶが如し――。
そんなイカレた証言が、しっかり記載されていた。
まあ、そりゃあ。ダイナマイトの要たるニトログリセリンの効果としては、自他を吹っ飛ばすのみならず、狭心症の薬としても機能する。舐めると甘いとも聞いた。血管を拡張する以上、アルコールとのちゃんぽんは、おそろしく相性良いだろう。
しかし、にしても、酔わんがために爆発物まで喰らうとは、あんまりにも見境のない、まるでロシア人の所作ではないか。パンを用いて靴クリームに含まれるアルコール分を抽出し、かっ喰らっていた連中と、本質的に大差ないように思われる。
なお、ついでながらロシアといえば、これまで数次に亙って触れてきた、『現代世界通信』中に、――清澤洌の例の著作の内部には、ソヴィエトロシアの歴史的ビッグイベントである大粛清の記述もあって、コミュニストどもが如何に異様な眼差しで列国から視られていたか、よく分かるようになっている。
“ヴォルテールは神が存在しなかったら、人間は神を発明したであろうといった。同じやうにソ連においては反革命陰謀がない場合には、これを発明することを必要とするだらう。それはその組織の不可分なる構成分子である。ソヴィエト政府即ちスターリンの実力は、常に誇示されなくてはならぬ。そして彼の敵に対する勝利は、たえず祝賀されなくてはならぬ。…恐怖による政治は、何人をも常に恐怖させておくことを必要とする。この不断の恐怖は人間をヒステリーに導く。そしてそれは劇化されねばならぬ。裁判はその劇化の一現象だ”
これは『デイリー・テレグラフ』記事を清澤が和訳したものだ。
“ロシアの士官団の能率は近時の銃殺と逮捕の故に毀損された。そしてその逮捕は単に軍隊上層部に止まらないのである。ロシアにおける最も有能なる司令官は殺され、それ等の事実から士官団の中には恐怖と阿諛の精神が満ちてゐる”
同様に『マンチェスター・ガーディアン』から。
「最も有能な司令官」とは、赤いナポレオン、トハチェフスキーあたりだろうか? 候補、すなわち粛清された軍人があまりに多過ぎ、どうもいまいち絞り切れない。
清澤自身の観察、あるいは意見としては、
“被告が死刑を前にして何故に「私はスパイであります」「私は売国奴であります」とスラスラ自白してゐるかについては、殊に英国辺においては、その「自白」を信じないだけに、一般の謎とされてゐる。拷問、恐喝といふやうな普通の想像以外に、ロシアでは特別な薬物が発見されて、これを飲ませると被告が検事の云ふ通りに自白するのだといふやうな記事が、まことしやかに新聞にのって居り、また催眠術にかけるのだらうと書いてゐたものもある。ロシア人の心理状態は到底欧州人には分らぬといふのが、かれ等自身の優越感を加へての感想であろう”
まず、このあたりが相応しかろう。
いずれにせよ、だ。「ロシア人と同レベル」との評定は、日本人にとり決して名誉なことでない。
※ ※ ※
「臓物あります」の貼紙をつけた食堂がこのころめっきり増えてきた。
註文すれば、豚や牛の内臓を調理したのが皿に載っかりやって来る。
見た目のグロさにちょっと逃げ出したくなるが、エエイ日本男児であろう、剣林弾雨に突撃するのに比べれば、なんのこれしき怖じ気づいていられるか、大口開けてかぶりつけ――と、勇を鼓して頬張れば、なんだ意外と悪くない、悪くないどころじゃあないぜ、味蕾が歓喜しているぞ、はっきり美味いじゃあないかッ!
……こうした趣旨の日記あるいは随筆が、当時ちょくちょく書かれてる。
昭和七年あたりを機として盛り上がった風潮だろう。
ちょうどそのころ北米合衆国内で、牛の肝臓の造血効果がにわかに注目されだした。貧血防止の、ある種健康食品として価値が認められたのだ。
情報が日本に伝わるや、高名な栄養学士だの、権威ある医学博士なんぞと、つまりいわゆる頭の良さげな連中が、こぞって獣の内臓の意外な滋養の豊富さを筆に口にと説きまわったから堪らない。
ほぼ自然力といっていい強力な作用で以ってして、流行発生、経済効果というわけだ。
有形無形問わずして舶来品に弱いのは、上古以来の伝統か。
それにつけても排日移民であれだけ騒いでおきながら、ほんの十年かそこらのうちに性懲りもなくまたアメリカの熱狂を好んで受け容れにかかるとは――。
移り気と歎くべきなのか、柔軟と褒めてやるべきか。いずれにせよ、日本人に粘り強い抵抗は向いていないようだった。
納豆だのトロロだの、粘っこい食い物は好みで持て囃されてるが――。
まあ、それはいい。
臓物を喰わずに棄てるのは損だぜ勿体ないんだぜと触れてまわった面子の一人、東京市衛生試験場技師・筒井政行に至っては、昭和七年段階で早や、『家庭で出来る臓物料理』レシピを作製、『主婦の友』等メディアを通じて広く頒布に努めてる。
せっかくなので、以下に幾つか掲げて置こう。
○脳味噌の吸物
主としては仔牛の脳味噌だが豚もよい、之を生の儘細かく刻み卵を一緒に交ぜて予め作って置た吸物煮汁中に流込み一寸位に切った三葉をあしらう。
○脳味噌のなべ
大根をそぎ切りにし脳味噌は一と口位の大きさに切って一緒に鍋にいれねぎを薬味に刻んで生醤油で食ふ、脳みそのチリ鍋だ非常にうまい。
○肝臓のカレーライス
牛豚の肝臓を一と口切りにし他のよい肉と一緒にバター、塩、胡椒でいためて御飯にかける、無論此中にはポテトやねぎ、人参も入る。
パンチが効いたメニューであった。
※ ※ ※
興味深いデータを見つけた。
戦前、すなわち大日本帝国時代の水産業に纏わるものだ。
昭和十年、全国的な漁獲量の総計は、ざっと五六〇万トンに達したという。
ちなみに最近、平成三十年度に於いては四四二万トン。技術の進歩、養殖の拡大、多くの規制、人手不足に高齢化、台湾・朝鮮・北方領土を失ったこと――諸余の事情を考慮して、おおむね妥当な推移なのではなかろうか。
しかし、さりとて、むかしといまとで決定的に異なる点がひとつある。
食用・非食用の割合だ。
昭和十年段階で食用に供せられたのは総漁獲量のおよそ六割。残すところの四割は、主に魚粉や〆粕として畑の肥やしに使われた。ことイワシに至っては、二七〇万トンの漁獲量中、食卓に上せられたのはたったの二割。八割方が圧搾機に直行という、凄まじい偏りを呈したものだ。
「俺たちだって、べつにしたくてこんな風にしているわけじゃないんだよ」
と、先人は言う。
「これが最善の利用法とは思っちゃいない。当たり前さね、皇国に不足しがちな大事な蛋白給源だ、なろうものなら食用化の徹底を図りたいとも。だが、水産物――魚介類というヤツは、どうしても陸産物と異なって、捕る時期や量を加減できない。おまけに極めて腐りやすい性質がある。『サバの生き腐れ』は伊達じゃないんだ」
語り手の名は右田正男。
こと筆者の知る範囲内にて、寒天の製法を最も詩的に描写してのけた人物である。
曰く、
──テングサ、ヒラクサを母として生れた「ところてん」は、天然の寒冷に育くまれて「かんてん」となる。
──凩や氷雨は峰に遮られ、白雪の褥に静かに冷える山の懐こそ「かんてん」の故郷である。
と。
この一文が契機となって、彼の著作に手をつけだした。
右田は述べる、魚の冷凍保存というのは、この昭和十年段階に於いても技術として存在自体はするのだと。
「だが、高額い」
なにぶん世に出て間もないゆえに、低廉化が進んでいない。
日本全国津々浦々に必要設備を据え置くなんぞ夢のまた夢、よしんばそれが導入済みの港湾だろうと、優先的に処理されるのはタイやマグロの高級魚。ニシンやイワシの安魚なぞ後回し――どころではない。「かかる経費に見合わない」との理由から、仮にどれだけ余裕があっても到底処理してもらえない。イワシ一匹を販売して得る利益より、イワシ一匹を冷凍するコストの方がより重い。だからやらない、まことにお寒い現実だった。
結局万事カネである。そろばん勘定の一致こそ、すべてに優先されるのである。わかりやすくていいではないか。収支の釣り合いが取れない内は、ニシンやイワシがいくら大漁だろうとも、“塩漬にしたり、干物にしたりして出来るだけ食糧とするやうにし、その残りは〆粕にして腐敗を防ぐといふのが定石”なのだ。その光景が、たとえどれほど「有志」らの、もったいない精神を疼かせようと。
“人類が天賦の智能をいよいよ発揮し万物の長となる基の出来たのは、おそらく食物を保存することを覚え、その日の食を漁るために全力を注ぐ必要がなくなってからのことであらう。こんな古い古い大昔のことをいはずとも、食糧保存の重要なことは今に於てなほ変わらない。変らぬどころか、二十億の人類が数十に分れて各々国家を作り、互に虎視眈々とし、又国内に於ては都市のやうな比較的狭い地域に人間が密集してゐる今日にあっては、食糧の保存は愈々重大な意義を持ってゐるのである。原始時代には食糧の保存は人類が他の動物に勝つに役立った。現代に於ては国家の安寧秩序を保つために必要となったのである”
右田正男の文章は、やはりつくづく読み応えがある、名文である。理学博士でありながら文筆家としても一流だ。稀有な資質といっていい。彼は独自の哲学を持ち、そこから湧き上がる信念に身を貫かせた漢であった。
かかる信念に基いて、より効率的な食糧保存の方法を右田は模索し続けた。
それがどの程度まで実を結んだか。興味は尽きない。こういう人士が居ればこそ、筆者はまだまだ、戦前という時代に対し掘りごたえを感じることが出来るのだ。




