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日本帝国奇妙抄 Ⅰ


高所大処より瞰望を放つは壮快だ。しかし時には、低地小局より仰視する方が現象を徹底的に見られる。


(真渓涙骨)





 明治三十年である。

 大蔵省の役人が、関西へと赴いた。

 現地に於ける銀行業の実態調査。それが出張の名目だった。


 なんとも肩の凝りそうな、生硬い話に聞こえよう。ここまでならば確かにそうだ。が、一行中に「勅使河原(てしがわら)」某という奴がいたこと。彼の存在、彼の名字が事態をだいぶ面白いものにしてくれる。


 騒動は、奈良の天地で生起した。


 その日、一行が宿泊したのは「三景楼」なる高級旅館。奈良三大家の一つにも選ばれるほど殷賑を極めた店舗だが、ふとしたものの弾みから、ここの番頭が宿帳記載の「勅使河原」を「勅使(ちょくし)河原(かわら)」と誤読したのがつまりは全ての元凶だった。


「ひえっ、えらいこっちゃ、天子様の御遣いがウチに泊まっておるんかい」


 番頭は禿げ上がるほどぶったまげ、



“辱けなくも一天万乗の大君より降し玉ひたる御使を宿し参らせしこと、子々孫々までの名聞なり、努疎忽(ゆめそこつ)に待遇し奉りておとがめを蒙るべからず”



 たちまちのうちに従業員を招集し、如上の訓示を発したという。


 それだけでは終らない。


 事態は更なる拡大を、外部へ波及するに至る。


 ──ウチの宿に勅使様が。


 との報は、警察にも届けられ、署内はために激しく動揺、既に退勤済みだった署長が慌てて盛装し、駆けつけるまでの観を呈した。


 そこで漸く誤解が解けて、一同“唖然大笑して事果てにきとぞ”――。


 なんともお後がよろしいようで。ここまでなると話はもはや落語めいて来るのだが、しかしあくまで実際の事件。


「鎌倉ハム切り売り」を「鎌倉公切り売り」と、――源頼朝の亡骸を切り刻んで売る算段か、あな無情やな、凄まじき現代の人心よと、早とちりしてのけぞった老爺の話は蓋し人口に膾炙済みだが、「勅使河原」の一件も、その亜種たるをきっと失わぬであろう。


 いやはやまったく、思い込みは恐ろしい。


 人間の眼はときにとんだ悪戯をする。


 確認を怠らないことだ。




   ※   ※   ※




 うまい言い回しを思いつく。


 あるいは頓知の一環だろうか。戦前昭和、円が惨落した際に、人々はかかる現象を「円()曲」と呼び称し、半分以上ヤケクソ的に囃し立て、政府の無能をののしり倒す合言葉としたものだ。


 なかなか以ってキレのある、良いセンスに違いない。


 大正時代、大庭柯公と親しくしていた西洋人旅行者が、あるとき顔を見せるなり、


「今日はキャラメル親王のお墓にお詣りしてきたよ」


 と、さも嬉しそうに言い出して、大場を唖然とさせている。


(なんのことだ。――いったい誰のなんだって(・・・・・)?)


 詳しく話を聞くにつれ、それがどうやら鎌倉市、二階堂の丘にたたずむ護良親王の墓所であるのが判明(みえ)てきた。


 護良、モリナガ、森永ミルクキャラメルと、そんな連鎖がどうも彼の脳内で発生していたらしかった。


 ――異国の客の思慮にまで! 森永製菓の広告も、ずいぶん浸透したものだ。


 と、大庭柯公は苦笑している。



 毎日毎日、数多の言葉が生み出され、そしてほとんど同じだけ、炭酸水の泡みたく弾けて消えて失せてゆく。



 日本近代洋画の巨匠・岡田三郎助はいみじくも言った、“作家が亡くなってから何十年何百年と経ってくると、たとへ真物でも作の出来によっては偽物だといはれて後世の人々から見捨てられたものだ。そうして良いもの丈が後世に遺される。而もこれは大変結構な事で、之があるからこそ人は煩はしい思ひを味はずに安心して古代の芸術や文化に接する事が出来る。此点何代かかって識らず識らず民衆が整理して呉れる掃除こそ、本当の立派な厳正な批評だといひ得る事が出来よう”と。


 類似の淘汰作用はきっと、言語の上にも施されるに違いない。


「円侮曲」も「キャラメル親王」もその選に洩れ、零れて落ちて忘れ去られたシロモノだ。


 それらを態々掘り返し、埃を払って矯めつ眇めつ愛でてみる。


 この趣致、妙味は、廃墟探索の風情にもどこか通ずるやも知れぬ。




   ※   ※   ※




 土地に関する騒ぎというのは常に絶えないものらしい。


 明治三十年の市区改正で、浅草区並木町通りは西に向かって五間ほど取り拡げられる運びとなった。


 簡潔に云えば道路拡張、ためにまず、工事予定地買収が前提として不可欠である。


 並木町通りに地所を持つ江戸っ子どもが府庁に召喚されたのは、同年六月二十五日のことだった。


 用件は分かりきっている。


 はてさて「お上」の気前の良さは如何ほどか、値札にいくら書く気かと、欲のそろばんを弾きつつ出掛けていった地主らは、


 ――人を虚仮にしくさるか。


 と、突きつけられた条件に一同こぞって色をなし、今にも唾を吐かんばかりの険悪ムードで帰還した。


「角地は一坪三十二円~三十五円、

 平地は一坪三十一円~三十二円」


 上が府庁の評価であった。


 この条件で買い上げてやる、せいぜい謙虚にありがたがって従えや、と。


 江戸時代なら町人に文句の捻じ込み口はない。へいへい御無理御尤も――と、平伏しながら呪詛を籠めるが関の山であったろう。しかし時代は明治も後期、帝国憲法施行から、七年弱を既に経ている。


「官」が「民」を抑えつける腕力は、決して昔ほど自在ではない。大衆は、日に日に不遜に赴きつつあったのだ。


 ――わしらを相場ひとつも知らぬ田舎者と思うたか。

 ――どこの阿呆がこげな安値で一等地を手放すんじゃい。


 口々に言い、彼らは団結。最低「三割の値上げなきには」、決して土地は売らぬぞと気息を揃えて主張して、府庁と喧嘩を開始した。


 ちなみに明治三十年の三十五円を現代の貨幣価値に換算すると、だいぶ甘めに見積もって、ざっと七十万円だ。


 首都東京の心臓部、二十三区の土地の値段が、なんと一坪七十万円。


 地主たちの要望がそっくりそのまま受け容れられて三割増しになろうとも、九十一万、三桁には届かない。


 山手線の内側だけで、北米大陸合衆国全体と地価で拮抗し得ていた、バブルという、狂乱の時代を通過した目で見てみれば、明治の騒ぎはいっそ可憐ですらあろう。


 そういえば昭和七年でさえ、新宿辺には養鶏場を()ってるやつが居たっけか。


 五百羽からを飼うという、当時にしてはなかなかの規模のものだった。


 都会の新陳代謝は激しい。その激しさが、現状から過去の姿を推し量るのを、ひどく至難なものにしている。




   ※   ※   ※




 どじょう料理の老舗たる、東京浅草駒形屋。そこの御亭主、渡辺助七、あるとき奇特なことをした。


 学芸振興の名目で、一万円をぽんと投げだしたのである。


 投げ込み先は東京商大、やがて一橋へと至る、旧制官立大学である。時あたかも大正十四年が晩秋、霜月の頭ごろだった。


 筆者(わたし)の記憶が確かなら、日清戦争開幕時、福澤諭吉先生が軍資義捐金として財布から引っ張り出したのも、やはり一万円のはず。


 俺がこれだけ出したんだから、てめえらもケチケチすんじゃねえとの、世の富豪らへの「呼び水」的なカネだった。


 三十年弱を経て、円の価値もだいぶ変動しているが、それでもかなりの大金たるを失うことはないだろう。


 現代の貨幣価値に換算して五百万は下るまい。

 それを下町のめし屋が出した。

 気前よく、分割でもなく、一括で。


 客に学生も多く居て、馴染みがあったからであろうか? ――とまれかくまれ、


「これで本でも買っておくんな」


 図書購入費に宛ててくれとの厚意に対し、当時の学長、佐野善作の喜びたるや一方(ひとかた)ならず、


「では、この一万円で調達した書籍で以って、『どぜう文庫』を創設しましょう」


 そんな約束を交わしたそうだ。


 ここまで書いて思い出す。そういえば北陸地方にも、魚介にちなんだ学業絡みのなにがしかがあったな、と。


 そうだ、越後だ、新潟だ。村上鮭塩引き街道だ。



“越後村上といへば古来鮭の名所で知られる。今も「鮭でありんす」とふれあるく、売子の声は耳に珍らしい。町の西を流れる三面川は、越後でも特に美味のものが遡行するので、藩の専有となり、最近まで村上出身の子弟の奨学資金として、鮭の売上高は保留されてあった。だから土地では成功者のことを「鮭の卵」といふとか”



 理学士・徳重英助による、昭和五年の報告だった。


 日本人の精神風土と、魚肉はやはり関わりが深い。


 駒形どぜうは創業二百二十年、現在でもなお浅草に在り、江戸名物の看板を維持し発展させている。



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