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第二話 骨を結ぶ人(後編)


入り口で佇む志岐に気づいた綾。

( こやつ、なぜ私の行く先々に現れるのか。邪魔で仕方ない。)


綾は「はぁ。」とため息をつくと目線で志岐に近づくように促した。


志岐は気怠そうに歩みを進める。


風月の腕は、肩の関節から外れ、筋肉にねじ込まれるようにめり込んでいた。

綾は手ぬぐいをきつく巻き、肩の下に火鉢で温めた布を敷いた。


「腱が張りついてる。骨は抜けたまま縮んでるわ。……志岐、ここ押さえて」


「ここ?」

自分が助手役を務めるなど思っていなかった志岐は、驚いた様子で手を貸す。


( この人、ふらふらして何をしたいのかしら。)

少し怪訝な顔をしながらも綾は説明した。


「もう少し外側。肘を引っ張る前に、肩の筋をゆるめる」


志岐は言われるがままに風月の身体を支える。

骨を折った力士の肌は硬く、熱を持ち、少しの刺激で呻き声をあげる。


「すまねえ……お、俺、ちゃんとやってたんだ……でも、もっと強くなりたくて……!」


「強さって、なんなのかしらね」


綾は、声を荒げず言った。


「無理を重ねて、身体を壊すことが“強さ”だって言うなら、それはただの自壊よ」


冷やした麻布を肩に巻きつけると、綾は一気に力を込めた。


「せーの」


パキン。


空気を裂くような音がして、骨が関節に収まった。

風月が短く叫び、すぐにぐったりと脱力した。


部屋に、静寂が戻る。


「……終わったわ。あとは冷やして、三日は動かさないこと」


「……やっぱり、切らなくても……いけたんだな……」


親方が低く唸ったように呟いた。




綾が治療の手を休めたとき、志岐はひとつの盃を綾に差し出した。


「さっき、これを見つけた。中に“異国の粉”が貼りついてた。飲んだのはこいつだけじゃないはずだ」


綾が盃をひっくり返すと、底の紙に“力ノ源”と崩した文字が記されていた。


「香り、苦味、溶け方——おそらく西洋の強壮剤を模した模造品ね。ウワバミの粉に漢方の混合、それに阿片……」


綾は眉間に皺を寄せた。


「……こんなの、身体に効くわけがない。心を麻痺させて、動かしてるだけ」


志岐が目を細める。


「それを売ったのが誰か、見当は?」


綾は一瞬、黙った。


そして、静かに目を伏せる。


「……おそらく、父の診療録にあった“薬の使い手”……」(でも、それが母の失踪と関係しているかまでは、まだわからない)


志岐は考え込むように顎に手を置いて黙ったままだ。


「……ただの医療事件じゃない。これは、何かの始まりよ」




相撲部屋の親方は、畳に手をついた。


「……すまなかった。あいつが飲んでたのは知ってた。だが、“皆がやってる”と止められなかった……」


「命より強さを選ぶ人は、弱さを知らない人よ」


綾の言葉に、志岐がふっと笑う。


「じゃあおれは、誰よりも弱いってことかもしれないな」


綾がちらりと志岐を見る。


「そうなの?」


「だってほら……この前、馬に蹴られかけた」


「……馬に嫌われる浪人って、聞いたことない」


「泣いていい?」


「だめ」


静かな笑いが二人の間に流れた。




夕刻、綾と志岐は部屋を出た。


力士・風月はまだ眠っていたが、呼吸は穏やかで、血色も戻ってきていた。


「……志岐」


綾がふと呼びかけた。


「ん?」


「ありがとう。あなたがいなければ、わたし一人じゃ、今日の“骨”は結べなかった」


志岐は少し照れたように、干し柿をひとつ噛んだ。


「じゃあ、あれだな。おれの役割は、これからも“支える係”ってことで」


「ええ。蹴られないように、ね」


「……根に持ってない?」


「ちょっとだけ」


彼女の声には、ほんの少し笑いが混じっていた。


——町の通りを歩いていると、

ひとりの老人がふらりと前のめりに倒れ込んだ。


「じいさんっ……!」


通行人が駆け寄るが、誰もどうしていいかわからない様子だった。


「日射か? 息が荒い……」


綾は人だかりをかき分け、すっとしゃがみ込んだ。

手早く香袋を開け、2本の小さな管状香を取り出す。


「顔は赤くない。だけど、呼吸が浅くて脈が早い……」


(これは“気血逆上きけつぎゃくじょう”かも)



香を1本、老人の胸元に近づける。

もう1本は腰のあたり——「下気げき」を促す位置へ。


「白檀と川芎せんきゅうの調合……、少しでも下へ流れて」



「お嬢さん、あんた何を……?」


「黙って見てて。あと30秒で呼吸が変わる」


老人のまぶたがぴくりと動く。


しばらくして、肩が上下しはじめ、

みるみる顔色が戻っていく。



「……助かったのか?」


「香が血を下げてくれたの。

 この時期、熱を持ちやすい体質の人は、頭に気が昇って倒れるの」


綾はふうっと息をつき、香をそっと吹き消した。



「お、お嬢さん……名前を……」


「いらないよ。通りすがりだから」


そして彼女は、群衆を抜けて去っていった。

後ろに、煙と甘く澄んだ香りだけを残して。


綾が通りすがりの倒れた老人に香を使って応急処置をしたあと。


「……お前、ひとりか?」


志岐はなぜか、バツが悪そうな表情をしながらイライラした様子で聞いてきた。


「……そう見える?」


「じゃあ、しばらく俺と動け。勝手なことしてまた面倒に巻き込まれるな」


「なにそれ。命令?」

( 人をお荷物みたいに言って...不愉快極まりない。)


志岐はニヤッと笑い悪どい表情を浮かべながら言った。

「提案だ」


「……あんたの言い方、ほんとに気に食わない」


「俺もお前の態度は気に食わねえ。だが、それ以上に、放っておけないだけだ」


沈黙のあと。


「別にあんたと一緒に居ても、私に得はないから私は勝手に動くわ。」


「...つれねぇなぁ。わかったよ、じゃあ俺が勝手についてくから。」


「...勝手にすれば?」

(否定しても付いてきそうだから適当にあしらうか...背後には気をつけよう。)


志岐はほのかに柔らかく微笑んだ。



ラスト


その夜。

志岐は一人、夜道を歩いていた。


彼の腰には、まだ抜かれたことのない刀が一振り。

その柄を、ふと見下ろす。


——かつて、抜けなかった日があった。


“誰かを斬れなかった”あの日が。


それでも、今なら支えられる気がした。


医の手を。

命を繋ぐ者の背を。


彼の歩いた道の先で、どこか遠くから、鐘の音が鳴っていた。


——また、何かが起ころうとしていた。



《第二話『骨を結ぶ人』——完》

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