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第十四話 記憶をなぞる香(前編)

──春祭りを数日後に控えた夕暮れ。


町の喧騒は徐々に静まり、屋台の準備が進む中で、綾の手元には、一通の包みがあった。


香袋。

それも──“母の香”に酷似したもの。


「……これ、また?」


戸口にしゃがんでいた志岐が、小さな声で答える。


「さっき、茶屋で預かった。“綾に渡せ”ってな」


綾は包みを開き、中身を確かめる。

布の奥から、ほのかに立ちのぼる香は、数日前に感じた母の香に限りなく近かった。


だが──


「似てるけど、何かが違う。少し“足されてる”……」


志岐が香袋を受け取り、覗き込む。


「この混ぜ方……南方で使われていた調香術に、蘭方成分を加えてる。“記憶を揺らす”処方に近い」


「また誰かが、母の香を模してる……?」


「いや、これは“模倣”じゃない。限りなく精密な“再現”だ。しかも、記憶操作を狙った意図的な配合だ」


綾が眉を寄せる。


「でも──誰が、なんのために……?」


そのとき、後ろでこたろうがぽつりと口を開いた。


「さっき、橋のとこで見たよ。……白い着物の“れんげねえちゃん”」


志岐と綾が、同時に動きを止める。


「……れんげ?」綾が驚きの声を上げる。


「その名前……前にも出た。湊のとき、“香袋をくれた白い着物の女”──」


記憶の断片が繋がっていく。

“白い着物”──“香袋”──“記憶を操作する香”──


志岐は険しい声で呟く。


「……綾。“れんげ”は、過去に“記憶を操作する香”を使っていたと噂された女だ」


「じゃあ、その“れんげ”が、まだ生きていて、今も子供に……」


綾は香袋を見下ろす。その中身が、急に冷たく感じられた。


「志岐……これ、本当に偶然なの?」


「偶然じゃねぇ。“れんげ”は、動いてる。──おまえの芯を、試すためにな」


──春祭りの前夜、闇が静かに忍び寄っていた。

 


その夜──


綾は久々に夢を見た。


夢の中で、香炉の向こうに見えた白い着物の女性。


その背後に、蓮の花が静かに開いていた。


綾は夢の中でも香袋を握りしめていた。


──その香が、記憶ではなく“未来”を呼び寄せるものとなるとは、まだ知らずに。

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