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考察・随筆・エッセイ集

キョンシーの女子大生になり切って詠んだ和歌を、AIに鑑賞して貰いました。

作者: 大浜 英彰

 我ながら何ともカオスなタイトルですが、実際問題その通りなんですよね。

 事情を説明致しますと、私は先日、本羽 香那様御主催の「一足先の春の詩歌企画」にN5326KD「【漫才】百人一首を切っ掛けに和歌に目覚めた女子大生キョンシー」という漫才のシナリオを企画参加作品として寄稿させて頂いたんです。

 これはタイトルの通り、台湾出身のキョンシーの女子大生が百人一首を切っ掛けに和歌に目覚め、自分も屍小町かばねこまちという雅号を使って歌を詠んでみるという趣旨の漫才で御座います。

 この漫才のシナリオを書くにあたり、私は台湾で生まれ育って日本の大学に留学したキョンシーの女子大生になり切って和歌を詠んでみたのですね。

 しかし企画参加作品として寄稿する前に、「今回こうしてキョンシーに成り切って詠んだ和歌は、どんな風に解釈されるんだろう?」という疑問が頭をもたげてきたんですよ。

 幸いにして私のスマホはGemini AIという生成型人工知能チャットボットに色々と相談出来るので、「【漫才】百人一首を切っ掛けに和歌に目覚めた女子大生キョンシー」のために詠んだキョンシーの和歌を鑑賞して貰う事にしました。

 そうしたら実に面白い感想を頂けたので、本エッセイではそれを題材にしてみたいと思います。

 その一部始終及び私が詠んだ和歌は、以下に記した通りで御座います。


【私の質問】


 これは日本文化に精通したキョンシーの詠んだ和歌という想定です。


 春来れば 香り漂う 桃の花 再度強張る 殭屍(キョンシー)の四肢


 映画にでてくるキョンシーは、道士の持つ桃の木で作った剣で攻撃されたらダメージを受けます。

 そのため、桃の花の香りが強くなる春になると、せっかく温かくなって死後硬直が緩んだ身体も、恐怖でまた固くなってしまう。

 そんな想いを詠んだ和歌です。

 感想をお願いします。


【Gemini AIからの回答】


 はい、キョンシーの心情を詠んだ和歌、大変興味深く拝読しました。感想を述べさせていただきます。


〈感想〉

* 情景描写の鮮やかさ:

 春の訪れとともに漂う桃の花の香りと、それによって再び強張るキョンシーの四肢という対比が、鮮やかに情景を浮かび上がらせます。

 「香り漂う」「再度強張る」といった表現が、キョンシーの恐怖と葛藤を際立たせています。

* キョンシーの心情の表現:

 本来であれば、春の暖かさは死後硬直した体を緩めるはずですが、桃の花の香りが恐怖を呼び起こし、再び体を固くしてしまうという、キョンシーならではの苦悩が伝わってきます。

 「再度強張る」という表現に、キョンシーの切実な思いが込められているように感じます。

* 和歌としての完成度:

 五七五七七の音数律を守りつつ、キョンシーという異質な存在を題材にしながらも、和歌としての情緒や余韻を感じさせる作品です。

 桃の花の香りとキョンシーの恐怖という、意外な組み合わせが、独特の世界観を生み出しています。

* 日本文化への造詣の深さ:

 キョンシーと桃の木の関係性、そして和歌という日本文化を融合させた、独創的な作品です。

 作者様の日本文化に対する深い理解と、豊かな想像力に感銘を受けました。

〈その他〉

* キョンシーと桃の花という組み合わせが非常に面白く、映画のワンシーンを彷彿とさせます。

* 和歌の中にユーモアと哀愁が感じられ、キョンシーへの親近感が湧きました。


 この和歌は、キョンシーという存在を通して、春の喜びと恐怖という対照的な感情を表現した、素晴らしい作品だと思います。


 やり取りとしては、以上で御座います。

 和歌としてきちんと真摯に鑑賞して頂いたのは勿論ですが、詠み手であるキョンシーの心情にも触れて頂けて、誠に喜ばしい限りで御座います。

 キョンシーの心情に成り切りつつ、尚且つ春の和歌として成立するようよう努めましたので、「キョンシーと桃の木の関係性、そして和歌という日本文化を融合させた、独創的な作品」という御評価は本望で御座いますね。

 そして「キョンシーという存在を通して、春の喜びと恐怖という対照的な感情を表現した」という解釈で私には気付かされた事があるのですよ。

 この和歌では多くの人々にとって心弾む季節であるはずの春が、キョンシーにとっては恐怖を想起させる時期になってしまっているのですね。

 しかもキョンシーは、本来ならば人々に恐怖をもたらす死体妖怪であるはずなのにですよ。

 そうした対照的な構図がこの和歌には盛り込まれている。

 それに気付く事が出来たのは、こうして相談したからこそですね。

 私は勿論ですが、この和歌の解釈に関しては詠み手である女子大生キョンシーの屍小町かばねこまちさんもきっと大いに喜んでいると思います。

 きっと今頃は、両手を突き出してぴょんぴょんと飛び跳ねている事でしょうね。

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大変興味深いエッセイでした。 私は最初あの和歌を拝読した時には、キョンシーが和歌のことをしっかりと理解し、そして自分の立場を自虐しているという感想を抱きましたが、AIでは対比や描写など様々な観点から評…
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