前編
私はラジュヴァン公爵家に仕えるメイド。
「セーラー!!!」
「サイラス様。走らなくてもセーラは逃げませんよ」
そして、サイラス坊ちゃんのお世話をさせていただいている。
「あらあら、そんなに汚れて。お稽古お疲れ様でした。お部屋へ戻って着替えましょうか!」
「うん!」
元気の良い返事をし、私の手を握って歩き出す坊ちゃん。本当に素直でお優しく、それでいて可愛らしい御方だ。
「すまない、稽古が長引いてしまった。次のご予定は大丈夫か?」
「ドミニク様。お気遣いありがとうございます。心配なさらなくても大丈夫ですよ。坊ちゃんのスケジュールはお任せください!」
話しかけてくれたのは、坊ちゃんの護衛であり、剣術のお師匠様でもあるドミニク・デグベル様。背が高く、鍛え上げられた身体はとても大きい。男も憧れる漢とは彼のような方だろう。
「サイラスーーー!!!」
「おじさまーーーーー!!」
廊下の奥からサイラス様を呼ぶ声がする。握っていた手が離れ、奥へと一直線に走っていく坊ちゃん。小さな温もりを失った手が寂しいと思ってしまったのは、ここだけのお話。
「やあ、セーラ、ドミニク。今日もサイラスはいい子だったかい?」
走ってきた坊ちゃんを抱き上げ、片手で抱えていらっしゃるのはサイモン・ラジュヴァン様。公爵家のご当主代理をされている、サイモン坊ちゃんの叔父にあたる方だ。
三年前の話になるが、当時ラジュヴァン家の当主であった坊ちゃんのお父様とお母様が不慮の事故でご逝去された。次期当主はサイモン坊ちゃんだが、当時の坊ちゃんはまだたったの三歳。公爵家を継ぐには早すぎるご年齢だった。
噂に聞いたところによると、ラジュヴァン家一族の中で皆が皆、公爵家当主の座を我が物にせんと話し合いは紛糾。しかし最終的に、『俺がこの子の保護者となり当主代理をする!』とサイモン様が全員を説き伏せたそうだ。
「サイラス坊ちゃんは剣の才能がございます。将来お強い方になるでしょう」
「ドミニク、お前がそう言うのなら間違いないな。偉いぞサイラス!!」
そう言って、サイラス坊ちゃんの頭をわしゃわしゃと撫でるお姿は実の親子のよう。
前当主の時代、お二人にこれといった接点は無く、お会いになられるのも年に数回の大きなパーティーくらい。そんなサイモン様とサイラス坊ちゃんがうまくやっていけるのかと、私は密かに心配していたが、これは全くの杞憂だった。会った当初は少しぎこちない部分もあったが、一月経つ頃にはすっかり打ち解けられ、今では実の親子ように仲が良い。お二人は私たち使用人にも大変優しく接してくださる。使用人一同、この公爵家に仕えていることに誇りを持ち、日々の業務にあたっている。
ただ一つ困っていることをあげるとしたら……。
「そうだ、セーラ。今夜の予定は?」
最近、サイモン様からデートに誘われたり、お花を頂いたりと何というか……口説かれているのだ……。メイドの私なんかに言い寄るなんて、遊びであることは重々承知しているのだが、正直とても困っている。
なぜなら私が好きなのは……。
「サイモン様、セーラさんが困っていますよ」
「なんだよドミニク。僕の邪魔をしないでくれ」
と、ドミニク様の肩に腕を回して楽しそうに反論するサイモン様。
「お離しください」
「何だよー固いな~!もっと前みたいに仲良くいこうよ」
「いいえ。あなたはご当主様であらせられますので」
「代理だもーん」
今はご当主代理と、坊ちゃんの護衛という立場の二人だが、実はドミニク様のお母様がサイモン様の乳母だったそうなのだ。小さい頃からご一緒に過ごされ、そのまま騎士学校へも一緒に通われ、とても仲が良かったとのこと。ドミニク様が坊ちゃんの護衛になったのも、サイモン様のご指名あってのことだ。他の騎士団に所属していたドミニク様だったが、次期当主を任せるのは一番信頼のおける彼しかいない、と半ば強引に公爵家に来てもらったらしい。普段のご様子から見ても、お二人が固い信頼関係で結ばれていることは言うまでもない。
「それでセーラ、今夜は空いてないの?」
「え、いや、えっと……」
「おじさん!!セーラを困らせたらメッ!!だよ」
抱えられていた坊ちゃんが、サイモン様の腕から逃げ出し、私の方へと駆けてきてくれた。私の手を握り、逃げようというようにぐいぐい引っ張ってくれる。
坊ちゃん……!!
「ちぇー。サイラスにそう言われたら今日は引くしかないね。それじゃ……」
と、こちらに近づいてくるサイモン様。今度は坊ちゃんが私とサイモン様の間に立ち、歩いてくるサイモン様を力いっぱい押しているが、びくともしない。さすが騎士学校に通われていた御方だ。今はご当主代理としての業務をされているが、日々、身体の鍛錬も怠っていないと聞く。
サイモン様が私に向かって手を伸ばす。私はどうしたら良いか分からず、思わずぎゅっと目をつぶってしまった。
「うん!よく似合うね!!」
目を開くと、サイモン様は既に踵を返し歩き出していた。背中を向けたまま、ひらひらと手を振りどこかへ行ってしまう。
耳に違和感を感じ、手で触れるとそこに何かある。取ってみると、それは一輪の花だった。何とキザな……!!
でも、人からお花をもらう機会なんてそうそうないので、実はちょっと嬉しく思ってしまった。
「嬉しそうだ……。そろそろ坊ちゃんのお部屋に向かいますか」
「え、えぇ!!坊ちゃん、行きましょうか」
「うん!!」
嫌だわ。お花をもらって嬉しく思ったのは事実だが、別にサイモン様に好意を持っているとかそういう話ではない。ただ純粋に、お花をくれるという行為が嬉したかっただけ。
でも……もし勘違いされていたらどうしましょう……!?ドミニク様にだけは誤解されたくない……。だって……好きなんだもの。
いつからだっただろうか。
三年前、坊ちゃんの護衛としてドミニク様が屋敷にいらっしゃり、初めて顔を合わせた。私が挨拶をしても少し頭を下げるだけ。そのあまりに無愛想な態度にこの方とは仲良くなれないかも、と思ったのを覚えている。ただ坊ちゃんの稽古をされている時、坊ちゃんを見る目が本当に優しく、時折見せる笑顔に胸がざわついた。まあ、笑顔といっても口角が少し上がった気がする程度だったのだが……。
剣をふるっているお姿、口いっぱいにご飯を食べているお姿、坊ちゃんの歩幅に合わせて歩くお姿……。胸のざわつきを自覚してから、ドミニク様を目で追うことが多くなったように思う。
そんなある日、私は転んだ。そう、盛大に転んだのだ。
雨の日だった。外で遊べないことにがっかりしている坊ちゃんと、仕方なくテラスでボール遊びをしていた。テラスといっても、途中までは大きく突き出した屋根があるため、雨の日でも濡れない場所ではある。しかし、その屋根の途切れた先はもちろん雨の降っている外だ。なので、坊ちゃんとは控えめにボールを遊びをしていた。
控えめなボール遊びに慣れて楽しくなってきた頃。手元が狂ってボールは屋根の先へと飛んでいく。
何を思ったのか、私はそのボールを追っていく。そして、ぬかるんだ地面に足を取られてドボン。しかも泥に。顔から……べしゃっと。
最悪だ。周りから心配する声も聞こえるが、恥ずかしすぎて顔を上げることができない。どうしようかと困っていると、ふわっと何かが頭に被せられる。
「これで誰にも見えない。行こうか」
耳元で聞こえた低い声は、まさか想像もしていなかったドミニク様のもの。無愛想なイメージの彼からの優しい言葉を嬉しく思いながらも、やはり恥ずかしさが残る。しかしこのまま泥に塗れているわけにもいかない。私はドミニク様を信じて顔を上げた。
ぱちり
ドミニク様と目が合う。
「ふっ……」
笑った。あのドミニク様が笑った。顔が熱くなるのを感じる。泥塗れの顔を見られるなんて。あまりの恥ずかしさにすぐに手で顔を覆い隠す。
「すまなかった。行こう。お前らあとは頼んだぞ。サイラス坊ちゃん、少し失礼いたします」
「はっ」
「うん!!セーラまたあとでね?」
今度こそ他の人からは見えないように布を深く被った状態で、ゆっくりと立たせてくれるドミニク様。そのまま私を支え、使用人部屋まで連れ添ってくれる。部屋に入ると適当な椅子に私を座らせ、どこかへ行ってしまった。
「これを」
数分後、戻ってきたドミニク様の手にはタオルと水の入った桶。シャワーを浴びに行くにしても、この有り様では辛いだろうと持ってきくれたのだ。ありがたく受け取ったタオルを水に浸し、顔の泥を落としていく。泥だらけだった不快感を拭い去り、満足してタオルから顔を上げると、膝をついた状態でこちらを見上げているドミニク様と目が合った。私が拭き終わるのを待ってくれていたようだ。
「あ、ありがとうございます」
「どうということはない。それより……ふ……くくく」
私の顔を見て笑うドミニク様。どうしたのだろうか。何を笑っているのか分からず、困り顔で見つめ返す。
「すまない、すまない」
と、私の持っていた布を取り、鼻の先を拭ってくれた。返されたタオルを見ると、そこには泥が。
嫌だわ!!鼻にまだ泥がついたままだったんだわ!!
また顔面に熱が集まっていくのを感じる。
「俺は先にサイラス坊ちゃんの所へ戻る。ゆっくりしてくるといい」
立ち上がり、タオルを渡すと、部屋を出ていってしまったドミニク様。去っていく背中を見送った後に、手元を見て気づく。
私の手には真っ白いタオル。
あの一瞬で、汚れたタオルと洗いたての布を取り替えて行ったようだ。
そしてこの日を機に、私は胸のざわめきが ”恋” であることを自覚させられてしまったのだ。
それからは少しずつ、時間をかけて距離を縮めていった。まずは挨拶を返してもらえるまでに進展し、それから『セーラさん』と名前で呼んでくださるようにもなった。頑張ったわ、私。根気強く挨拶をし、話しかける頻度を多くして……うん、頑張った私。
そんな矢先、予期せぬ変化が訪れる。サイモン様からよく話しかけられるようになったのだ。もともと使用人たちにも分け隔てなく接してくださる方なので、会話することは度々あったのだが、その内容が変わったように思う。前までは坊ちゃんのご様子や、坊ちゃんに関する話ばかりだったのだが……。
「セーラ!!今日もいい天気だね!!
「セーラ!このお菓子一緒に食べよう」
「セーラ!!」
と、坊ちゃんのメイドとしての私ではなく、私自身に話しかけられるようになった。そして、日に日にアプローチが増えている気がするのは気のせいだろうか。気のせいであって欲しい……。
そんな迷走をしているある日のこと。坊ちゃんは家庭教師とお勉強の時間。護衛の方を部屋に残し、私は勉強後のお菓子の準備へと向かう。その途中でサイモン様に捕まりいつものアプローチを受けるも、やっとの思いで抜け出し、急いで厨房へと駆け込んだ。
厨房に入ると、机の上に置かれていたのはチョコレートケーキ。
今日は坊ちゃんの大好きなチョコレートケーキね!きっとお喜びになるわ!!
ケーキと取り皿やシルバー類をカートに乗せ、来た道を戻る。
「……ドロテアはどうするんだ!?」
聞こえてきたのドミニク様の声だった。普段あまり感情を表に出さない彼にしては珍しく、いらつきや焦燥が感じられる。
「お前には関係ないだろ!」
もうひとりはサイモン様のようだ。ドミニク様につられてか、サイモン様も感情的になっている。ドロテアとは、一体どなたなのだろうか。
「そうだな、俺には関係ない。だが!もし傷つけたら、お前とて容赦はしない!!!」
ドミニク様の怒った姿なんて初めて見たわ。きっとドロテアという方が好き……なのね……。
カートを押している手に、ぽたっと何かが垂れてきた。
嫌だわ……。私……泣いている……?
「セーラさん!?」
「え!?セーラ??」
最悪のタイミングで私がいることに気づかれ、お二人が驚いたようにこちらを見ている。私は急いで涙を拭い、何事もなかったかのように取り繕う。
「坊ちゃんが待っていますので、失礼いたします」
お二人に一礼し、その横を通り過ぎる。後ろから呼びとめる声が聞こえる気もするが、私は坊ちゃんの元へと足を早めた。
コンコン
「セーラ??待ってたよー!!」
ノックをすると、もう授業を終えていたのか、ひょこっと坊ちゃんが顔を出す。この笑顔を見るだけで、私は元気をいただけるわ。
「お待たせしてしまい申し訳ございません。今日は坊ちゃんの好きなチョコレートケーキですよ」
「やったー!!」
予想通り、大喜びの坊ちゃん。その姿に私の口角は自然と上がってしまう。
「ねえ、セーラ?」
「どうしました?」
「なんか元気ない??」
カートを部屋の中へ入れ、テーブルへと向かっている最中で、私のスカートの裾をちょんっと引っ張り、心配そうに見上げる坊ちゃん。
「どうしてそう思うのですか?」
「なんか悲しそうな顔をしているから……」
まさか坊ちゃんに悟られてしまうなんて……。主人を心配させるなんてメイド失格だわ。
私は一度カートを止め、しゃがみ込み、坊ちゃんと目線を合わせる。
「大丈夫ですよ」
私がそう言っても不安そうな表情が消えない。かと思った次の瞬間、何かを思いつたようにハッとする坊ちゃん。
「痛いの痛いのとんでけー!!」
小さい手を私の頭に当て、痛いのが飛んでいくようにとおまじないをしてくれる。
「まあ!ありがとうございます。坊ちゃんのおかげで元気いっぱいですよー!!」
嘘ではない。先ほど言った空元気の『大丈夫』ではなく、本当に元気になった気がする。坊ちゃんのおまじないは、本当に効くみたいだわ。
それが伝わったのか、今度は坊ちゃんから不安の色が消え去り、満足そうに笑っている。本当に可愛らしい御方だ。
「さて、チョコレートケーキを食べましょうか」
「うん!!」
テーブルの上にお皿を並べながら、ふと思う。
私はこんな心優しい坊ちゃんにお仕えすることができて、本当に幸せ者だわ。悩むこともあるけれど、それを仕事に持ち込んではダメ。坊ちゃんのためにより一層お仕事頑張るの!ドミニク様への恋心は忘れて次へ進みましょう!これからは仕事に専念するわ!
だが、人間の心は思い通りにはいかない。決意した矢先、その日のうちに揺らいでしまう。だってドミニク様は坊ちゃんの護衛なんですもの。次は剣のお稽古の時間。ということは……。
「お坊ちゃん、そろそろ行きましょうか」
「うん!」
坊ちゃんのために扉を開けると、そこには先ほどまで居た護衛の姿はなく、代わりにドミニク様が立っていた。
「坊ちゃん、ちゃんと休憩できましたか?」
「うん!!今日はチョコレートケーキだったの!」
「それは良かったですね」
いつもは表情を変えないドミニク様が、坊ちゃんの前ではよく笑う。笑うといっても声をあげて笑う訳ではなく、口の端が少し上がる程度だけれども。その姿を見ているだけで、私の心臓は早鐘を打つ。
「それでは行きましょうか」
チョコレートケーキで元気になった坊ちゃんを先頭に、三人で稽古場へと向かう。気まずい……。私だけなのだけど……とても気まずいわ……。
「っわ!」
上の空で歩いていた私は何もないところで躓き、バランスを崩してしまった。
しかし……。
「大丈夫か?」
「え、えぇ。申し訳ございません」
そばを歩いていたドミニク様が見事に受け止めてくださり、事なきを得たのだが……お顔がとても近い!!!
ドミニク様のお顔が目の前に……。時が止まったような錯覚に陥る。
「キャー!!」
少し楽しそうな叫び声が聞こえ、視線をやると、先を歩いた坊ちゃんがこちらを振り返っていた。両手でお顔を隠しているが、隙間からくりくりっとしたお目々が丸見えだ。何だか楽しそうに、それでいて少し照れたような視線を向けられる。
坊ちゃんの前で何てことを……!
「ドミニク様、ありがとうございました!」
即座にドミニク様と距離をとり、身だしなみをぴしっと整える。
「早く行きますよ!」
慌ててそう言う私を、坊ちゃんとドミニク様はふたりでお顔を見合わせて笑っていた。
またその笑顔を見るだけで、私の鼓動は自然と早まってしまう。叶わない恋だというのに、これ以上好きにさせないで欲しいわ!!
「いちっ!にっ!さんっ!しっ!!」
「手だけで動かさない。もっと腕上げて」
「はい!!」
稽古が始まり、私は稽古場の端に控え、お二人を見守っている。
坊ちゃん頑張っていらっしゃるなあ。ドミニク様は坊ちゃんを見ると、厳しい稽古の時間でも優しいお顔つきになるのよねえ。あ、ドミニク様がお手本を見せるのね。捲くられた袖から出ている腕の筋肉が……。
いけないいけない!!仕事中に私は何てことを考えているのかしら!!それにドミニク様には想い人がいるのよ……。
「はぁ……」
「大きい溜息だね」
「サイモン様!?」
考えに耽っていたせいで、お隣にサイモン様がいらしたことに全然気づかなかった。慌ててサイモン様の方を振り返り、お辞儀をする。
「次の休みさ、お茶でも行かないかい?」
「それも……いいかもしれないですね」
「ダメだよねー。ってえ!?いいの!?俺と行くんだよ!?」
「分かっていますよ」
いつもだったらお断りするか、上手く受け流しているサイモン様からのお誘い。しかしこんな気分でいると、一度くらいは……という気持ちになってしまった。また溜息が出そうになる。
「そ、そうか!ドミニク!!!!俺、今度セーラとデートすることになったぞ!!」
稽古中のお二人に向かって、大声で言うサイモン様。
「えー!おじさまずるーいー!!!僕もいくーーーー!」
「許せ、サイラスよ。これは男の一大事なんだ」
膨れっ面でこちらを見ている坊ちゃんと……一切反応の無いドミニク様。そうよね。別に私の話なんて、どうでもいいのでしょう。
ーー数日後。
休憩時間になった私は使用人用の休憩所へと向かっていた。部屋に入るも、そこには誰もいない。
珍しい。いつも誰かしらは居るのに。
準備されていた昼食を取り、適当な場所に座って食べ始める。休憩といっても、この時間も無駄にはできない。食べながら午後の坊ちゃんのスケジュールを頭の中で整理する。
勉強のお時間が終ったら、今担当しているメイドと交代ね。それまでにお昼食べ終えちゃわないと。その後は……。
「ここいいか?」
「ええ、もちろん」
「失礼する」
考え事に夢中になり、声をかけられるも上の空で答える。断る理由もないので別に問題はない。それにしても、座るだけなのに、わざわざ丁寧に聞いてくるなんて誰かしら……。
午後のスケジュール整理でいっぱいだった思考を一度止め、声の主へと視線をやる。私の前に座っていたのは、何とドミニク様だった。
「ド、ドミニク様!?」
いきなり大声をあげた私に、ドミニク様は口いっぱいに入れたご飯をもぐもぐしながら、不思議そうに首をかしげる。
「ドミニク様も休憩ですか?」
「あぁ」
そう一言だけ言って、食事に戻るドミニク様。そして終ってしまった私たちの会話。特に話す話題も無く、お互い無言でご飯を食べるだけの時間が流れる。
えーと、とても気まずいわ。
「行くのか?」
「え?」
「デート」
「デート??」
気まずい沈黙を破ってくれたのはドミニク様だったが、ぶっきらぼうに言われた質問の意味が分からない。何のことを言っているのか。
「サイモンと……本当に行くのか?」
「ああああああ!!」
サイモン様とデート!そういえば、そんな約束をしたような……。
……あ、そうだわ。ドロテアという方の話を聞いて、私ちょっと自棄になって……それでデートのお誘いをお受けしちゃったんだわ。またあの時の気持ちが蘇り、憂鬱な気分になる。
「セーラさんはサイモンのことが好きなのか?」
「そんな……」
ことはないと否定をしようとしたところで、誰かが休憩室の扉を開ける音がした。
「あ!セーラ!に……!!お邪魔だったかしら」
にやにやと笑いながら聞いてきたのは、同僚のニコルだった。私の気持ちを知ってる人がこの現場を目撃すれば、そういう反応にもなるわよね。
顔にでかでかと書いてある。ふたりっきりで休憩?何を話していたの??気になる!!!
というとこだろうか。目が爛々と光っている。質問攻めに合うのはごめんだわ。ここは逃げるが勝ち。
「全然大丈夫よ。私そろそろ交代の時間だから行かないと」
そう言って席を立つ。今日の昼食は全然味がしなかった。さっさとこの場から退散して、一息つきたい気分だ。
「俺も行く」
いつの間にかドミニク様も食事を終えたようで、席を立つ。そして流れるような動きで、片手で自分のトレイ、もう一方の手で私のトレイを持ち上げた。
「ド、ドミニク様!?自分のものは自分で持ちますわ」
「大丈夫だ」
「でも!」
私が止めても一切聞かず、二人分のトレイを片付けに行ってしまったドミニク様。唖然として、その後ろ姿を目で追う。片付けが終わり、そのまま休憩室の出口へと向かうドミニク様。が、そこで立ち止まったと思うと、くるりと振り返りこちらを見ている。
「行かないのか」
「へ?」
「向かうところは一緒だ。行くぞ」
「え、あ、はい!!!」
駆け足で出口へと向かっていると、後ろからニコルの元気な声が聞こえてきた。
「きゃー!また後でねー!」
完全にこの状況を面白がっているニコル。次に捕まったら、根掘り葉掘り聞かれることだろう……。
そして、二人並んで坊ちゃんの所へと向かう私たちなのだが……再び訪れた沈黙。どちらも口を開かず、二人の足音だけが聞こえる。
何か……何か良い話題はないかしら。必死に頭を回転させ、何とか話題を絞り出す。
「今日は良い天気ですわね」
天気!?何を言っているの私!!
一度空を見上げて、こちらを向いたドミニク様の表情はとても訝しげだ。
「そうか?」
そう言われ私も上を見上げると、見事に分厚い鈍色の雲が空一面を覆っていた。むしろ雨でも降り出しそうな雰囲気だ。
「あ、は、あははははは。私、実は雨が好きなんです!!」
「そうか」
もう……!穴があったら入りたい!!!
何か別の話題は!?こんな風にふたりで気まずくなるなんて、初めてかもしれない。以前の私はあれほど頑張って話しかけていたのに……何を話していたのか全然思い出せない。
ちょっと前だったら『二人きりなんて人生最大のチャンス!』とか思っていただろうに。もう今はただただ憂鬱な気分。ドミニク様には想い人がいる。ニコルなら『それでもアタックあるのみ!』なんて言いそうだけれど、どれだけアタックしても砕ける自分の未来しか見えない。いつも全く感情を顕にしないドミニク様が、あの女性の話の時は、あれほど声を荒げていたのだ。どれだけ強く想っているのかは、言うまでもないだろう。
私に勝ち目はない。
「お!セーラとドミニク!」
向かいから、サイモン様と補佐の方々が歩いてきた。
「俺もふたりに混ざりたいところだけど、仕事中だからね!今日はこのまま失礼するよ~」
ひらひらと手を振りながら、サイモン様は私たちを通り過ぎていった。
「あ!!!セーラの休み明日だよね!楽しみにしてるねーー!!」
そう言い残して。
ふたりの間に三度訪れた静寂。しかも先ほどよりも、私は居心地が悪くて仕方がない。
「明日なのか」
「そ、そうみたいですね……!」
約束が明日だったなんて、完全に忘れていたわ!あの時はやっぱりどうかしていたのよ。仕えている家のご当主と出かけるだなんて……。
「ど、どうしましょう!?」
「……楽しみなんだな」
「へ?」
何とおっしゃいました……?
「交代の時間を過ぎている。早く行こう」
いけない!!
腕時計を確認すると、ドミニク様の言う通りもう交代時間を過ぎてしまっている。焦って坊ちゃんの所へ行くと、『ふたりを待ってたんだけど!!』と少し拗ねていらして、その日は機嫌取りに徹したのであった。
そして翌日。サイモン様と出かける日がやってきた。
「いつもの制服とは全然雰囲気が違う!すごく可愛いね!!」
待ち合わせ場所に行くと既にサイモン様は到着しており、私を見つけるやいなや、今日も今日とて歯の浮くような台詞を言ってきた。
「それではレディ」
そう言って、優雅に腕を差し伸べてくれる。断るのも無礼にあたるかと思い、私は大人しく差し出された腕に手を添えた。サイモン様は満足そうに、デートのエスコートをはじめてくれる。
デートのプランは全て任せてくれと言われていたので、これからどこへ向かうのか私は全く知らない。公爵家のご当主が行くお店といえば、きっと街で有名なレストランか、はたまた選ばれた方々のみが通われる高級レストランか……。
しかし私の予想は見事に外れた。
連れてこられたのは、私のような平民がよく行く喫茶店。予約は済ませていたようで、サイモン様が名前を告げると『お待ちしておりました』と、窓側の二人がけの席に案内された。
「どうしてこちらに?」
「ここのケーキが美味しいとメイドたちに聞いてね。気になっていたんだ!」
そういうサイモン様は、純粋にこれから来るケーキを楽しみにしているようだった。
「甘い物がお好きでしたっけ?」
「何てたってチョコレートケーキだぞ!!美味しかったらサイラスにもと思ってな!!」
嬉しそうな笑顔を見ていると、心から坊ちゃんを想っていらっしゃることが伝わってくる。
「それにセーラもこういうお店のほうが気が楽だろ!貴族定番のところも良いんだが、あの雰囲気はどうしても肩がこるんだよなあ〜」
自分の肩をもみもみと握り、肩がこっていることをアピール。
そうだった。最近は忘れていたが、サイモン様は元々こういう風に周りをよく気遣ってくださる方なのよね。サイモン様がご当主になってから、以前に増して使用人の待遇は良くなった。『使用人も家族だろ!』と言っていたことを思い出す。
「 "家族" が大好きなんですね」
私の言葉に驚いたのか、きょとんとした表情を見せるサイモン様。
「そりゃーね。サイラスも可愛いし、君たち使用人、そして領民たちに支えられてるんだ。大事にさせて欲しい」
先ほどまで明るい笑顔を見せていたサイモン様が、いつの間にか立派なご当主の顔つきになっていた。
ガシャーーーーン
後ろの方で、何かが割れた音がする。
「すみません!!すみません!!」
「大丈夫か?」
店員と思われる女性の声と、聞き覚えのある低い声。気になってしまい、視線を向けるとそこには何とドミニク様がいらっしゃった。そして隣には服が濡れてしまっている女性が……。
ふたりのテーブルの横にいる女性店員が、ぺこぺこと頭を下げ、謝り続けている。おそらく運んでいる途中で、飲み物を女性にこぼしてしまったのだろう。ドミニク様は拭くものを女性に渡し、何か言うと、ふたりは仲良さそうに笑い合う。話している内容なんて頭に入ってこない。ただふたりが笑い合う姿が、そのまま脳裏に焼き付けられるようだった。
「ドミニクと……ドロテア?」
立ち上がったサイモン様がふたりに話しかける。ドロテア……ではこの女性が……ドミニク様の……。
女性に拭くものを渡すドミニク様の姿が、あの日の事を思い出させる。私がこの恋を自覚してしまったあの日。これ以上見ていると、あの日の大切な記憶が上書きされてしまいそうで、私はサイモン様に適当な言い訳をし、お店から逃げ出すように出ていった。




