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クラシックラブ

 墓参りへ向かうため乗った電車には客が少なく、私と他に男と女が一人ずついるだけ、三人みんな他人同士である中、男は女のことを強姦し、私は決してそっちに目を向けないよう膝の上のバッグに顔を伏せ、こんな状況のまま電車は走行を続けていた。女は他に助けを求められないから、私のことを必死に呼び続けるが、それを私がすべて無視するので、段々女の怒りは男に対してよりも私にぶつけられるようになった。

「ねえなんなの! 聞こえてるだろ! ちょっとマジでふざけんな! おい!」

 私は助けたかったが、助けたいと思えば思うほど、助ける必要のある状況に自ら介入するのが億劫になるので、仕方なく耳にイヤホンをねじ込んでみる。流しっぱなしだった渋谷系ラブソングの裏に停車駅のアナウンスが聞こえた。

 墓参りへ向かうとは、祖父の墓参りにである。祖父は私の幼い頃に亡くなっており、お参りをしたのもそのときキリのことだった。あれから自分が大人になるほどの長い時間が経っているというのに、私は今日でやっと祖父に二度目の挨拶をするに至るのである。駅に降りるなり、べたついた外気や強烈な日差しを浴びせられたが、暑さのピークに夏の折り返しを見るような、今日の私はとても呑気な気分だった。

 共同墓地のある近くまでやって来ると、そこには夏真っ盛りにも関わらず、フジの花がしおれることなくスッカリ咲いていた。確か初めて祖父の墓参りへ行った時、このフジは年中咲いているんですよ、枯れたところを誰も見たことがないんですよ、と母に教えられたのを思い出した。あの時にはまったく信用できた話ではなかったが、当時が年末へ向かう冬で、真夏の今にも咲いているこの事実を考えると、どうやら母の話は脅かしではなく本当のことだったらしい。フジの葉に空いた虫食いの跡の中に、何か素早く動いているのが見え、葉に顔を近づけて覗くと、その先にはどこかこの辺りでない一般道が走っていた。トラックの通り過ぎる熱気に、覗いている目の水分を奪われ、たちまち顔を離してしまうが、私のいるのは共同墓地の近くで変わらず、いつの間にか虫食いは葉の向こうへ視界を通すだけの単なる穴に戻っていたのだった。

 墓地に入って自分の家の名前を探し、いざ祖父の墓を前にしてみると、自分は未だに、こういう際に取るべき礼儀作法の一つも知らないのだと思い知らされた。とりあえずいつか見た映画のマネで、持ってきていた焼酎をバッグから取り出し、墓にかけてみるが、何だか汚してしまっただけのような気がして罪悪感があった。それに自分の飲む分も無くなった。一体私は何をしたかったのか、間に合わせ程度に合掌をし、もう帰ろうというとき、すっと姿を現した子供の幽霊が、薄らに手を振って私のことを見送っていた。

 暇つぶしに訪れてはみたものの、墓参りは暇つぶしにするものではないことが分かっただけだった。近所の家の縁側で、ポロシャツを着たおじさんが扇風機の中に頭から体を入れると羽に切り刻まれ、細かい泡になって空に消えていく。ああいう涼み方ができれば家に居たままでも楽しめるのに、能力もなく暇をすると持て余すと、どうしてもアグレッシブにならざるを得ないから困る。今回の墓参りだって一応、様々な暇つぶしを試し尽くしてのことで、この次はどこまで出かけることになるのか不安すら覚えた。

 向かいからセーラーの中学生が歩いてきた。その子の頬からは鶏の卵が生えていて、気になったが直視できずにむしろ彼女のいない方の空を向いて歩いた。お互いすれ違ったまま、両者には数歩分の距離が開いた。

「あ、あの。」

 上ずった声がした。振り返るとさっきのセーラーの子で、今度は無視できずに頬のところを凝視してしまう。再び見ても、彼女の頬からはやはり卵が生えていた。

「アタシのこと必死に見ないようにしてたのって、顔に生えてる卵のせいですよね。やっぱりまだあるんですよね。」

 そう言って彼女は、指さしついでに卵を軽く押すと皮膚の内側へ引っ込み、隠れた卵が反対の頬からまた顔を出した。彼女には卵の出てきた感触があるらしく、その出てきたところを押し込んで卵を元の位置に戻した。

「突然すみません。でも朝からずっと困ってるんです。これどうしたらいいかって、分かったりしませんよね?」

「えっと、分からないけど病院は行ったのかな?」

「すみません、病院はちょっと恥ずかしいから行ってなくて。できれば自力で何とかしたいんです。」

 話しながら卵を頬の左右で行ったり来たりさせるのが、彼女の手癖になっていた。片手の親指と人差し指で両頬を挟むかたちにして、さきほどから卵の往復は止まる瞬間がない。

「なるほど……じゃあ……そうだ。両側から押し込んでみるのはどうかな? 左右のほっぺ、頬……ほっぺから同時に。」

 何度も言い換えてしまったのは、どちらも自分には似合わない響きがして恥ずかしかったせいだが、特別これが会話に影響を及ぼすこともなかった。

「うーん、そうですよね。やっぱりそれ試してみなくちゃダメですよね。実はその方法、思いついてはいたんですけど、いざやろうとすると怖くって。顔の中で卵が破裂なんてしたら、アタシ死んじゃうかも。」

 さすがに手癖も止めて怖がっていた。

「確かにそうなったら最悪だけど、自力でできることだとこれくらいしか思いつかないな……。今なら僕がいるから、失敗したらすぐ病院にも連れて行けるしって、当人じゃないから簡単に言えるけど、きっと怖いよね。もう諦めて病院に行った方がいいんじゃないかな。」

「うー怖いけど絶対恥ずかしい……中学生って本当に、恥に振り回される不条理な成長過程なんですね……。」

 その聞き馴染みのない文章は、発言した彼女自身の口にも馴染んでおらず、この場にいる誰一人として理解できなかった。

「……アタシ決めました。やります。でもちゃんと見ててくださいね。危なかったら病院連れてってくださいね。約束ですよ。」

「やるんだ。分かったよ。見てるから思いきりやりなさい。」

 彼女は一呼吸置くと、左右の頬に思いきり両手を打ちつけた。一瞬、呼吸が止まって呻いたかと思うと、そのまま行き場を失った卵が口からスポーンと発射されて出てきた。

「おっとっと。良かった良かった。卵取れたみたいだよ。ほら。ナイスキャッチ。」

「はあ……、本当に死んじゃうかと思った。本当にありがとうございます! これでやっと学校行けます! お礼じゃないですけど、よかったらその卵あげます。」

「いやいいよ。記念に取っておきなよ。」

「いいえ、遠慮しないでください。それじゃあアタシ完全に遅刻なんで行きますね。今日は本当にありがとうございました。さよなら。」

 押し付けられた卵は、見た目だけなら普通の鶏卵に違いなかったが、不気味は不気味である。捨てるにも持ち帰るにも恐ろしいと考えた私には、一つだけ心当たりがあり、その後共同墓地へと戻った。祖父の墓にお供え物として卵を置いてみる。しかしこれでは祖父も食べにくいだろうと、卵を墓に打ち付け、入ったひびを割ってみると、殻の中身は、卵白にまみれて若いフジの花が咲いていた。

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