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僕は、社長。

作者: 唯月もみじ


「はるくーん! はるくん起きてー! 幼稚園、遅れちゃうよ!」

 うんん……これは、ママの声だ。もう時間なのか、起きなければ。

「おはよう、はるくん」

「おはよう、ママ」

 僕はまだ開けられない目を細めて笑顔を作った。

 それから朝ごはんを食べて、幼稚園に行く準備をする。ママに手伝ってもらったから、準備はすぐに終わった。

 あとはもう家を出るだけだ。でも一応、鏡で確認しておこう。我ながら、この制服は似合っているな。おっと、帽子が曲がってしまっていた。ピシッとしなければ。

 幼稚園にはバスで通う子も多いみたいだが、僕はいつもママの車で行く。

 さあ、もうすぐ到着するぞ。あの大きな建物が僕の幼稚園。でも、少し変わった幼稚園さ。

 車を降り、門のところでママとはしばらくの間お別れだ。僕はこの時、いつもママが寂しがっているのではないかと思う。僕も寂しいが、それを見せたらママが余計に寂しい思いをするだろう。だから、僕は笑顔で大きく手を振るんだ。

「よし!」

 気持ちを切り替えろ。シャキッと、ピシッと、僕は背筋を伸ばして堂々と門をくぐる。さあ、出社だ!

 広い庭ではお客さまが今日も朝から元気よく遊んでいる。良いことだ。だって、大人はみんな子どもは元気が一番だと言うからな。でも僕は、大人も子供もみんなで元気な方が良いと思う。僕も後でたくさん遊ぼう。

 あれ、あそこにいるのは園長先生だ。今日は園長先生がいる日なんだ。それだけでなんだか嬉しくなってしまうな。お世話されている花壇の花たちも嬉しいに違いない。

 建物の中に入ったところで、女の子に声をかけられた。

「はる社長、おはようございます」

「おはよう。すみれ秘書」

 彼女は僕の会社で秘書をしてくれている。とても優秀なのだ。

「あの、それで、えっと……」

 なんだか、言いにくそうにしているな。どうやら出社早々、問題が起こっているらしい。これは、みんなを集めて会議をしなければ。

 僕はすみれ秘書に社員たちを集めてもらった。

「おはよう、諸君!」

「おはようございます!」

 すみれ秘書を除き、我が社の社員は後三人いる。きょうや部長、らん課長、とうま社員だ。みんなそれぞれ元気に挨拶を返してくれた。

 そして会議はすみれ秘書の報告から始まった。

「先日、商品開発の決まったきょうや部長の赤い車の絵の件でご報告があります」

「おお! あれはもう先生が回収して、今日にでも企業の人が受け取る予定だよな」

「そうなのですが、手違いがありまして……」

 手違いとは、なんだろうか。僕はすみれ秘書から一枚の絵を受け取った。あれ、これはきょうや部長の絵だ。

「先生はまだ回収していないのか?」

「いえ、今日私が出社したとき、ちょうど回収していました……違う絵を」

 どういうことだ。商品化が決まったのは確かにきょうや部長の絵だ。まさか先生が回収する絵を間違えたのだろうか。

「ごめんなさい! 僕のせいなんです!」

「とうま社員? 一体、何があったんだ」

「……実は、回収したのは新人のしほ先生で……それで、別の先生に『赤い車の絵を回収しておいて』 と言われたらしくて、でも赤い車の絵は二つあったから、しほ先生が困っていたんです。だから僕が教えてあげたんですけど……僕、まだ眠くてよく見えていなくて……」

 なるほど。確かに、赤い車の絵は二つあった。きょうや部長の赤いスポーツカーの絵と、もう一つは消防車の絵だ。とうま社員は間違えて、消防車の絵をしほ先生に渡してしまったというわけか。

 困った。これは困ったぞ。商品開発は滅多にない機会だ。それに、あの消防車の絵はライバル会社の社員が描いたものではないか。ああ、すごく困ったな。

 焦るな、僕。パパが言っていたじゃないか。まずは、話を整理するんだ。

 僕の通う幼稚園は他とは違く、少し変わっている。さまざまな分野の、世間では大手企業と言われるいくつかの会社やお金持ちの人たちが、国と提携して作った幼稚園らしい。『子供のうちから社会に対しての意識を高めておくことで』 とか、『社会に出ても各々の個性を発揮しつつ』 とか、『子ども脳の柔軟さを最大限活かせる環境を』 とかとか……ママが幼稚園の説明をしてくれたが、大人の事情とやらは僕にはよく分からない。ただ、描いた風景画が美術館に展示されることもあるし、それが車や飛行機などの絵の場合、商品化されてお店で売られることもある。歌が上手であればミュージカルに出演することもある。運動能力の可能性を見込まれれば、プロのインストラクターの手厚いサポートを受けられる機会だってある。子どもながらにして、大人でも掴めないようなチャンスを手にしやすい環境が、この幼稚園なのだ。

 そしてこの幼稚園に通う僕はこの春から年中さんになり、社長に就任した。社長はとても大変だが、僕は優秀な社員たちに恵まれたから毎日がすごく楽しいのだ。

 その社員の一人である、きょうや部長の描いた赤いスポーツカーの絵が園内で高い評価を得たことにより、この幼稚園の出資元の一つである大手玩具製造会社での商品開発が決まった。すごく嬉しいことだ。

 でもそれが、とうま社員のミスでライバル会社の社員が描いた消防車の絵と間違って回収されてしまったらしい。このままだと、滅多にない商品化のチャンスを譲ってしまうことになる。

 何か作戦を考えなければならない。僕はこの会社の社長だから。社長は会社のため、部下の功績をないものとしないためにも、チャンスをみすみす逃すわけにはいかないのだ。そして、とうま社員のミスは社長である僕のミスも同然なのだから。

「諸君! よく聞いてくれたまえ! これより第一作戦を決行する! らん課長、とうま社員は先生たちの観察を行ってくれ。きょうや部長はライバル会社の人たちの観察だ。すみれ秘書は僕と一緒に職員室へ!」

「らじゃー!」

 みんなの元気な返事を聞いた僕は、すみれ秘書と一緒に職員室へ向かった。

 まずは、消防車の絵が職員室のどこにあるのかを確認しよう。見えるところにあれば、スポーツカーの絵と取り替えてしまえばいい。職員室には誰か一人は先生がいるはずだからな。

 しかし、そう上手くはいかないようだ。

「先生、あの絵、早く企業に送ってよ。すっごくかっこいいから、僕たち早くそれで遊びたいんだ。他のみんなもそう言ってたんだ」

 ライバル会社の社員たちだ。職員室の前で先生に詰め寄っている。

 やっぱり、あちらも黙っているわけないか。絵が取り替えられることもなくこのままいけば、自分たちの利益に繋がるからな。

「ライバル会社の人たちにはプライドがないのかしら。きょうや部長が認められた結果の商品開発なのよ?」

 すみれ秘書の言い分はすごく良くわかる。でもーー

「会社のため、チャンスがあれば掴みに行く。当然さ」

「うぅ……でも! こちらのミスとはいえ、そこに付け入るだなんて卑怯ですよ!」

 彼らところはそういう社風なのだからしょうがないさ。それに、彼らに都合よく、ことが進むとは限らないだろう。

「そうね、とっても素敵な絵だったものね。でもね、そんなに早くは遊べないかな。実物ができるまでは少し時間がかかってしまうの。それとね、あの絵は送るのではなくて、企業の人が受け取りに来るのよ?」

 ほら、先生もそう言っている。今のうちに送られてしまえばもう手出しはできなかったが、まだチャンスはあるということだ。

「何時に来るの!? 何時!?」

「うーん、みんながお昼寝してるときかなぁ……」

 俯いた彼らに苦笑いを浮かべた先生は続けた。

「そんなに落ち込むことないわ。また今度、会えるわよ」

 先生は彼らが企業の人に会えなくて落ち込んでいると思っているらしい。でも、違うな。あの顔……あれがゲス顔というやつなのか。なんだか嫌な顔だ。

「お昼寝はご飯を食べた後……時間はあまりないですね。どうしますか、はる社長」

「そうだな。ライバル会社も何かしら妨害してくるだろうし……そういえば、今日はこれから公園に散歩に行くんだったな。うん。とりあえず、散歩の時間までお絵描きでもしようか」

 それから僕はみんなとお話をしながらお絵描きを楽しんだ。



* * *



「はい、それじゃあ、さくら組のみんなも出発しましょう!」

「はーい!」

 よし。我ながら元気よく返事ができたぞ。みんなも僕に負けじと元気だ。

 今から行く公園は広くてたくさん走り回れるから好きだけど、幼稚園からそこまでの道も大好きだ。確か、桜並木というんだったかな。桜の木の下には黄色い花がたくさん咲いている。これは菜の花だとママが教えてくれた。花はママを笑顔にしてくれるから僕は好きだ。

 それにしても、今日は天気が良いな。太陽は眩しくて、風が気持ち良い。桜の木もなんだか嬉しそうだ。植物は水も大事だが、太陽がなければ息ができなくなってしまうらしいからな。苦しくないように、深呼吸をたくさんするんだぞ。僕もーー

「スー……ハー……」

 うん。花のいい香りがして気持ちが良い。

「は、はる社長……」

「うん? すみれ秘書、どうした?」

「……本当に、うまく行くのでしょうか。その……」

 なんだか元気がないな。きょうや部長の絵のことが心配なのは分かるが、僕の作戦は完璧なのだ。今頃は、とうま社員がうまくやってくれているはずだし、部下を信じるのが社長だ。

「大丈夫さ。それよりも、すみれ秘書も深呼吸してみなよ。ほら」

「……は、はい。スー……ハー……」

「どう? 気持ち良いだろう?」

「うん! とっても良い香りがして、なんだかスッキリしました!」

 良かった、良かった。花はママだけじゃなく、みんなを笑顔にするんだ。やっぱり、僕は花が好きだ。

 そうして、僕たちは公園に到着した。

 さて、今日はなにで遊ぼうか。吊り橋のついた大きなアスレチックに、恐竜の背中を滑る滑り台。これはパパの会社のビルくらい高く感じるから、少し怖いんだよな。うーん、他にも色々あるから迷ってしまうな。

「やーい! マヌケ会社のマヌケ社長! 社長がマヌケだから、社員もマヌケなんだよーだ!」

 ライバル会社の社員か。これから楽しく遊ぼうとしているのに、嫌な気分だ。でも、怒らない、怒らない。僕は社長だからな。

「ちょっと! はる社長はそんなんじゃないわ! あなたたちの社長の方がマヌケで卑怯で嫌なやつなんだから!」

「すみれ秘書、相手にしないで良いから。恐竜の滑り台へ遊びに行こう」

 僕はすみれ秘書の手を取って、ライバル会社の社員の叫び声を背中に、滑り台へと向かった。



* * *



 その後、僕たちは幼稚園に戻ってきていた。

 たくさん遊んだからお腹ぺこぺこだ。何せ、嫌な気分をなくすためには体を動かすのが一番なのだ。

「みんな、お弁当の用意は出来たかなー? いただきますのお歌を歌いますよー!」

 僕は先生の弾くピアノに合わせて歌う歌の中で、この歌は特に好きだ。食べ物に感謝する歌なのだが、食べる前のワクワク感が高まって笑顔になってしまう。しかも今日はママの作ったお弁当だから余計にワクワクする。

 いつもは幼稚園に併設された給食室でシェフの作った給食を食べる。これも、『味覚を鍛える』 などの僕にはよく分からない大人の事情らしい。シェフの作る給食はもちろん美味しいが、仕事で夜ご飯を外で食べることが多いパパが、ママのご飯が一番美味しいと言っていたんだ。パパが言うのだから間違いないし、僕もそう思う。

「いただきます!」

 お弁当の蓋を開け、僕は満面の笑みでタコさんウインナーを口に放り込んだ。向かい側ですみれ秘書が僕のその様子にクスッと笑ったようだが、仕方がない。僕は社長だからな。タコさんウインナーの美味しさに免じて許してあげよう。

 それからお弁当を食べ終えた僕たちは歯を磨き、昼寝前の少しの間、自由時間を過ごすこととなった。

「さて、諸君。経過報告を聞かせてくれたまえ」

 僕がそう言うと、らん課長が元気よく手を上げた。

「じゃあ、僕から。跳び箱の自己最高記録、十四段をクリアしましたー!」

「おおお!」

 僕はとうま社員と一緒に思わず拍手をしてしまった。それはすごい。僕には出来ないことだ。

「ウ、ウンッ!」

 大きめの咳払いが隣から聞こえた。すみれ秘書が怖い顔をしていた。

「ええと……各クラスの年長さんたちは午前中、遊戯室で跳び箱の練習をしていました」

 そう言ったきょうや部長に、すみれ秘書が訊いた。

「ライバル会社の社長と社員が二人ほど、きょうや部長とらん課長と同じ年長さんですよね? どんな様子でしたか?」

「朝、はる社長に言われた通り、観察していたのですが……」

「どうした? 何か問題があったのか?」

「それが……お前のとこの社長がマヌケで良かった。お礼を伝えておいてくれ、と言われまして……」

 きょうや部長の言葉を、らん課長が続けた。

「頭にきたので、跳び箱勝負でけちょんけちょんに負かしてやりました! あっちの社員たち、半べそかいてましたよ!」

「おおお……」

 どうしよう。僕は今、苦笑いという大人の妙な感情表現を習得してしまったのかもしれない。そしてそれを今、僕は使いこなしているのかもしれない。僕より年上であるきょうや部長とらん課長が、僕を慕ってくれていることを再認識できて嬉しい反面、僕の方が年上な対応を公園で出来てしまっていたことに、すごく戸惑っている。

「じゃ、じゃあ、とうま社員はどうだった?」

「ごめんなさい。僕のせいではる社長が悪く言われてしまって……でも、僕、かんばりました! 年少さんは午前中は自由時間だったので、突撃して、逃げて、また突撃して……! 僕、がんばりました!」

「うん。とうま社員が頑張ってくれたおかげで、ライバル会社にはまだ何も気付かれていないようだ。ありがとう」

 僕よりまだ少し幼いとうま社員の笑みにつられて僕の口角が上がる。これが余裕の笑みというやつか。笑顔にはたくさん種類があるものだ。今の時間だけでも、二つの笑顔を習得してしまったな。

 それにしても、僕の考えた作戦が密かに、もうすでに最終段階まで来ていることを、ライバル会社の人たちはこれっぽっちも気付いていないとはな。彼らが嫌なことを言ってくるのがその証拠だ。もし作戦に気付いているのであれば、もっと必死になっているだろうから、そんな強気な気持ちでいられるはずがないのだ。

「あと十分程度でお昼寝の時間だ。そしてそれは、僕たちの社運のかかった大事なときが近付いているということ。諸君、これより最終作戦を決行する! 準備はいいか!」

「おおー!」

 我が社の社員たちの掲げた拳と力強い瞳は熱い闘志に満ちていた。

 さて、お昼寝前の運動だ。よく寝れるように僕もいっちょ、暴れますか!

「かかれー! いけー! 突撃だー!」

 僕の掛け声を皮切りに、社員たちが職員室めがけて走っていく。腕にくるりと丸まった画用紙を抱いて、僕もドタバタと一直線にかけて行く。

 おっと、まずい。ライバル会社の社員たちに見つかってしまった。

「奴らが来たぞー! 逃げろ、逃げろー! 捕まってはだめだ! みんな、絵をとられるなー!」

 なんだか楽しくなってきたぞ。社員たちを見てみれば、みんな笑顔じゃないか。おいおい、その気持ちも分かるが遊びじゃないんだぞ。しっかり作戦成功へと導くのだ。

 そう思った矢先ーー

「イタッ! あっ! だめだよ、やめてよ!」

 とうま社員の大きな声が聞こえた。どうやら転んでしまったらしい。早速、絵をとられてしまったか。

「なんだ? これ、本物の絵じゃないぞ!? しゃ、社長ー!」

 画用紙を開いて中を見たライバル会社の社員は、そそくさとあちらの社長に報告へ行ったようだ。

「大丈夫か?」

 僕が声をかけると、とうま社員は涙目で頷いた。よく頑張ってくれたな。偉いぞ。

「おい! こっちも絵も本物じゃないぞ!」

「こっちも違う!」

 次々とライバル会社の人たちのそんな声が聞こえてくる。

 すみれ秘書ときょうや部長の絵までとられてしまったようだ。残る絵は二つ。僕が持っているものと、らん課長のもの。

「くうぅ! こしゃくな真似を! マヌケ社長か、運動ばかが持っている絵のどちらかが本物なんだ! 本物を奪ってしまえばこの勝負、我が社の勝ちだというのに……ええい! お前たち、どっちも奪うんだ!」

 マヌケ社長に運動ばかとは、僕とらん課長のことなのだろうか。すごく嫌な呼び方だ。しかし、ライバル会社の社長はやっぱりそう考えていたか。いや、僕がそういう風に考えさせたんだけどね。

 それからの攻防戦は、先生の呼びかけで終わりを迎えた。僕の持つ絵も、らん課長の持つ絵も奪われることなく終わったのだ。作戦は見事大成功なのである。

 そして僕たちはお昼寝ため、それぞれが布団に横になった。

 カーテンの閉まった部屋のちょうどいい暗さが、たくさん動き回った僕にいい夢を見させてくれそうだ。

 重い瞼が閉じかけるーーそんな時、僕の枕元でカサカサと物音がした。そこにはついさっきまで持っていた画用紙が置いてある。それをいじるのは、ライバル会社の人だろう。今頃、らん課長の画用紙も別の人が漁っているのだろうか。ああ、彼らの間抜け面を見たいところだが、この瞼はもう僕の言うことを聞いてくれそうにない。ざんねん、だ……

 


* * *



 それから数日が経った。僕は今日も元気に幼稚園へと出社する。

「おはようございます。はる社長」

 うん。すみれ秘書も元気そうだ。しかし、今日は一段と笑顔で出迎えてくれるな。きょうや部長もらん課長も、とうま社員にしてもいつもよりやけに笑顔だ。どうしてだろう。

「はる社長、見てください! 早速、お客さまが遊んでくれているんですよ! もう、すっごくすっごく嬉しいですね!」

「本当、ライバル会社と戦った甲斐があったものです!」

「僕のミスでどうなっちゃうのかすごく不安でしたが、はる社長の元で、みなさんと一緒に今日を迎えられて本当に良かったです!」

 ああ、そうだ。今日はきょうや部長の車の絵の、商品化された実物が届く日だ。決して、忘れていたわけではない。社長である僕が、そんな大事な日を忘れるわけがないだろう……忘れてないよ。本当さ。

「あの、はる社長……質問してもいいですか?」

「うむ。なんでも訊いてくれ、とうま社員」

「ずっと気になっていたのですが……僕たちは絵を取り替えられていないはず、ですよね? 僕は今日まで、てっきり作戦は失敗したのかと思っていました」

「え? 言っていなかったっけ?」

「はい……僕はあの日、はる社長に言われた通りに、みなさんがいない間ずっと偽の絵を持ってライバル会社の社員たちを追いかけっこをしていました。その後も、はる社長とらん課長の持ってる絵のどちらかが本物なのだとずっと思っていて……職員室の前はガラ空きで、突入できるチャンスの時もお二人はそっちに目もくれないので、どうしてなんだろうと不思議でした」

 おかしいな。僕はすみれ秘書にみんなに作戦内容を伝えておいてと言ったのにな。

 すみれ秘書を見ると、彼女はきょうや部長に視線を送っているようだ。そのきょうや部長は同じようにらん課長に。そしてらん課長は、というと……

「らん課長。あなたですか。目がキョロキョロ動いているのだから、バレバレです。ホウ、レン、ソウは、きっちりしていただかないと!」

 すみれ秘書に怒られて、らん課長は縮こまってしまった。

 とうま社員には悪いことをしたな。ちゃんと説明しておこう。

 僕の完璧な作戦の全容はこうだ。まず、先生に素直に言うという正攻法での絵の取り替え作戦について考えたみた。大勢の子供たちを相手にしているので先生たちはみんな忙しいのは当然だが、僕たちが『本物の絵はこれです』 と素直に言えば先生は必ず動いてくれるだろう。しかしその作戦の最大の難関は、『先生に言う』 ということなのだ。幼稚園児たちが話す順番を考えるだろうか。もちろん僕は社長なのでそれができる。でも、らん課長ととうま社員の報告によると彼らは違った。その上、ライバル会社が関わってくる以上、彼らの妨害は必然的についてまわるだろうと僕は考えた。ライバル会社の人たちが子どもたちに混ざって、一斉に先生に話しかけては、僕たちの声は届かない。子どもたちのいない間を狙おうにも、ライバル会社の人たちが、みすみす僕たちにその機会を与えるとは考えにくい。だから、この作戦はなしだ。

 次に僕は、ある人に協力してもらって職員室にある消防車の絵をスポーツカーの絵と取り替えるという作戦にでた。ある人とは園長先生だ。いつも幼稚園にいるとは限らない人なので、朝、庭の花壇の手入れをしていることろを見かけなければ、この作戦を思いつくことはなかっただろう。言い換えれば、園長先生があの日幼稚園にいなければ、我が社の社運は絶望的だったのだ。

 それで、僕は公園に行く前に何枚か絵を描いておいた。その描いた絵の一枚を散歩に出かける直前にとうま社員に渡し、『職員室の中に入りこの絵と消防車の絵を取り替えるつもりで動いてくれ。ライバル会社の人たちが邪魔しにくるだろうから、絶対にこの絵は見られてはいけない。危なくなったら、逃げろ』 と、伝えた。そしてきょうや部長とらん課長には、引き続きライバル会社の社長を観察しておいて欲しいとお願いしたのだ。それから、花壇にいた園長先生にはきょうや部長の絵をこっそりと渡した。すみれ秘書や花壇の花で僕と園長先生は隠れていたので、ライバル会社の人には見つからなかった。

 そう、この時点で、僕の作戦は成功していた。でも油断はできなかった。何せ相手は卑怯な会社だ。そこでバレたら、失敗に終わるかもしれないからな。彼らには最後まで隠しておく必要があったのだ。だから園長先生に頼らず、『僕たちだけで絵を取り替える作戦を行なっている』 という風に、ライバル会社の人たちに思ってもらえるように、行動を仕掛けていたのだ。

 僕がそう説明をすると、とうま社員は僕にキラキラ光線を浴びせてきた。ちょっと、少し……ううん。かなり、すごく得意げな気分になった。

 僕の考えた作戦が大成功したのはものすごく嬉しいけど、自分の描いた車の絵がお客さまの手によって実際に走っているところを見れるなんて、もっと嬉しいよね。僕の場合、それが自分の描いたものでなくともそうだ。我が社の社員が、大事な友達が描いたものだから、こんなに嬉しいんだ。

「ありがとう。みんな」

 僕と友達になってくれて。社長として慕ってくれて。僕は社長として、うまく出来たのだろうか。僕にはわからない。でも、みんなの笑顔がその答えなのかな。

 そしてこの日、僕は我が社の製品で遊ぶお客さま一人一人の笑顔を目に焼き付けて過ごした。これは、僕が大人になっても決して忘れることのない笑顔だろう。いつかこの笑顔に助けられる日が来ることだろう。何よりも、大事な仲間たちの笑顔はいつでもどこでも自然と浮かんで来ては、その度に勇気を貰い続けるだろう。だからこそ、僕からも最高の笑顔を贈りたい。貰うばかりではなく、与えるのが僕の仕事。僕は、社長。なのだから。

「はるくーん! お母さんがお迎えに来てくれたわよー!」

 先生のラッパのような明るい声が、嬉しい知らせを聞かせてくれた。そんな先生が僕は好きだ。

 僕は全速力で走った。そして、ジャンプ。温かいところに飛び込んだ。

「ママー!」

「社長さん、今日もお疲れ様です。会社のみんなと楽しく遊べましたか?」

「うん!」

 僕はママも、パパも、すみれ秘書も、きょうや部長も、らん課長も、とうま社員も、先生も、みんなみんな大好きだ。この幼稚園も、花も、歌も、ご飯も、運動も、動物も、お絵かきも、全部全部、好きだ。そしてそして、僕を、みんなを幸せにしてくれる笑顔が大好きだ!





僕の会社ごっこに付き合ってくれて、ありがとう!


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