2.異世界転生
優菜が目を開くと、辺りには人だかりができていた。
何で……生きているの?
彼女の頭の中にそんな言葉が浮かぶ。意味不明とはこのことだった。
そんな彼女は手を何度か開け閉めする。滑らかに動くその様子は、まさに生きている証だった。
「すみません。ここはどこですか?」
優菜は尋ねる。だが、誰一人として反応するものはいなかった。
「――」
その代わりに、多くの人がひそひそと耳打ちする。
よく見れば人間じゃない。あの尖った耳は何? あの毛むくじゃらで背の低いのは? 背中に羽のついた奴もいる。なに……これ……。
優菜は首を回し、辺りを眺める。まるでファンタジー映画のような光景がそこに広がっていた。
意味が分からない。どうなっているの?
優菜はそう思いながら立ちすくむ。彼女にできることはもはや何もなかった。
「――!」
そんな中、人だかりの奥から日本語ではない謎言葉で叫び声が上がる。それと同時に、一斉に人だかりが割れた。
馬車? でもなんか小さな恐竜みたいなのが引っ張っているんだけど……。
そう思い、あっけにとられている優菜の前に、一人の人物が荷台から降りてやってくる。その体は全身が鎧で覆われ、顔を窺うことはできない。正直不気味である。
「――――」
そんな人物が、よくわからない言葉で優菜に話しかけた。
この人、なんて言っているの? というか、その恰好は何? 鎧? もしかして騎士とか?
そんな思考が渦巻き、混乱気味の優菜は小さく口を開ける。そして、その人物をただただ眺めた。
「――」
その姿を見ていた鎧の人物は、何かに納得したようなそぶりを見せ、おもむろに優菜の方に向かって歩き出す。
――金属がかすれるような音が徐々に優菜に近づく。
鎧の人物が歩く様子は、はた目から見れば様になっているであろう。だが、今の優菜にとっては恐怖以外の何物でもなかった。
「えっ。何。――やだ、来ないで」
優菜は足を一歩後ろに引く。しかし、その後が続かない。よく見れば、全身が細かく震えていた。
体が……いうことを聞かないっ。
優菜は心の中で悲鳴を上げる。それに対する体の応答は、ほんの少しだけ口が動くだけだった。
そんな優菜を尻目に、鎧の人物は着実に距離を縮める。一歩、また一歩と……。
そして、手を伸ばせば届くという距離になったその時――。
「――ッ」
優菜の恐怖が限界を迎える。それが引き金となり、彼女の震えはピタリと止まった。
逃げないと――。
そう思うよりも早く、彼女の足は反転を選んでいた。しかし――。
「――」
鎧の人物の手刀が優菜の首を打つ。
あっ……。
それを最後に優菜の意識は途切れた。
◇◆◇
「ここは……?」
優菜は目覚めると辺りを見回す。
教科書で出てくるお城の一室みたい。あれ、大理石かな? あそこの絵画も高そう。
彼女は今いる空間をそう評すと、ある一点を見つめる。
でも、何よりあれだよね。魔法陣かな? よくわからないけど……。
そう思いながら見つめた先は、青白い光を淡く放っていた。二重丸の内側に六芒星。そして、円と円の間には文字と思わしきものが刻まれている。
今頃気付いたけど紐で縛られてる。……これ、絶対に男が縛ったでしょ。
彼女がそう思うのも無理はなかった。なぜなら、胸の上下を挟み込むようにして、柱に括りつけられているからだ。大きな胸が窮屈だと言わんばかりに強調されている。
確か、兄さんの友人が例の紐とか言っていたような気がする。違ったかな。
――そんなことを思い出している最中だった。
部屋の入り口と思わしき扉が音を立てて開く。そして、白髪に白い髭を伸ばした老人が、優菜の目の前まで歩いてきた。
「目が覚めたようじゃな」
あれ。なんで日本語で話してるの? さっきまで全然違う言葉だったのに。
優菜は首を傾げる。
「言葉は通じる。名を名乗ってみよ」
老人が髭を触りながら促す。
促された優菜は、警戒心をあらわにして口を開く。
「……水無月優菜です」
「うむ。どちらが姓で、どちらが名じゃ」
「水無月が姓で、優菜が名です」
「左様か。なら優菜よ。お主はどうやってこの世界にたどり着いた?」
老人の目が鋭く光る。その目に、優菜は明確な敵意を感じて言葉を詰まらせた。
この感じ、絶対良くない。どうしよう。どうすれば……そうだ!
この時、優菜は兄が口酸っぱく言っていた言葉を思い出し、ほんの少しだけ眉を上にあげる。
「その前に、名を名乗られたなら名乗り返してください」
「……失敬じゃった。ワシはカーネラ・サントラス。この国の宮廷魔法使いだ」
「――宮廷魔法使い」
優菜は目を見開く。
……とにかく、何が出てきても冷静に。優菜、冷静によ。カーネラは『この世界』と言った。わざわざそう言ったということは、ここは地球と異なる世界である可能性が高い。
僅かな間に、優菜は頭の中を目まぐるしく動かしていく。
「どうして言葉が通じるようになったの?」
「ワシの質問が先じゃ」
「どうせ私の話は必ず聞き出すのでしょう? なら、先に質問に答えてくれてもいいじゃない」
優菜は小さく身じろぎし、その肢体――主に胸を揺らす。
見てる見てる。よし。
優菜はうまく流れを誘導できたことに、心の中でガッツポーズした。
――コホン。
カーネラは手を丸めて口に当て、小さく咳ばらいをする。
「ワシが魔法を使ってこの国の言葉を話せるようにした。文字は読めんじゃろうがの」
「……ありがとうございます」
「ふん。ワシは質問に答えた。次はそちらじゃ」
カーネラが鼻を鳴らして答えを促す。
促された優菜はほんの少しだけ思案する。
……下手に嘘をつくのは却ってよくない気がする。言葉を操る魔法があるのだから、嘘を見抜く魔法とかあるかもしれないし。
そして、決断した。
「私は元いた世界――地球の日本という場所で自殺しました。そして、何故か目が開いたと思ったら、既にこの世界にいたのです」
「ほう……なるほど」
カーネラは納得気に頷くと、「これもアレの影響か……」と小さく呟く。
アレの影響? 何のことだろう。
純粋に疑問に思った優菜は現代の女子高生らしく、軽い感じで口を開く。
「アレって何ですか?」
「お主がそれを知る必要はない」
カーネラは優菜の言葉を一蹴する。そして、もう用は済んだというように、扉の方に歩いていく。
「ちょっと待ってください。私は、私はこれからどうなるのですか?」
その問いに、カーネラは鬱陶しそうな表情を作って振り向いた。
「決まっておる。処刑されるのじゃ。なにせ、この世界においてお主は異物でしかないからのう」
「処刑!?」
何で!?
優菜は目を見開いて驚愕する。しかし。
――冷静に考えてみれば、どうでもいいよね……。どうせここにも兄さんはいない。生きている理由なんかない。痛い思いをする回数が増えるだけ。自分で命を絶ったのだから当然の報いか。
その顔は、見る見るうちに無表情なものに変わっていった。
「……お主、処刑と聞いても騒がぬのだな」
その姿に興味を持ったのか、カーネラが声をかける。
「生きる意味がないから地球で自殺したんです。今更生きることに執着なんてありませんよ」
優菜は自嘲気味に笑った。
「そうか」
カーネラは短く答えると、再び扉の方に向かい歩き出す。
神様って陰険だよね。死者には鞭を打つように試練を与え、成功者にはとことん褒美を与える。ほんと、不条理だよね――。
そんなことを思いながら、優菜はカーネラの後ろ姿を見つめていた。
「では、大人しくしているのじゃぞ」
カーネラが扉を開ける。
言われるまでもないわ。
優菜は心の中でそう返答する。そして、カーネラが扉をくぐり、ゆっくりと扉を閉めていく様子を眺めていた。
――まさにその時だ。
「そういえば、水無月とかいう姓の男を少し前召喚したな。――」
扉が閉まり切る直前に、カーネラは優菜にとって聞き捨てならない言葉を発する。しかし、無情にも扉は閉まり切り、最後の方は何といっているか聞き取ることはできなかった。
「――!! 待って。その話の続きを聞かせて! もしかしたら兄さんかもしれないから!」
優菜の言葉がカーネラに届くことはなかった。その証拠に、部屋の中で声が反響する。
「兄さん――。……確かめないと」
――その目は生きることを渇望しているようだった。