8話:黒の華墨
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――“黒の華墨”
届いた、私の元にも。
“風”の噂でしかその存在は知らなかったが、実際に手にしてみれば存外、どうという事のない感覚。
寧ろ、華墨を渡しにきたダンファラス翁や居並ぶ族長達の方が緊張している、そんな様子。
封皮は丈夫な漆黒のなめし革。見知らぬ魔力が込められており、中を透かし見る事はできない。
封蝋には“魔術”を意味する真言が捺されており、虚ろに光る金字で『機構』と記されている。
宛名にある者しか封を解く事ができず、即ち、アンジュ以外、華墨を目にする事はできない。
中には黒皮の手紙と貴石が一つ、封入されている。
手紙には、封皮と同じくぼんやりと光る金字で文字が認められている。
『謹啓―― 浅春の候、皆様におかれましては、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、この度当会では新たな英霊の精選の時期を迎えます。つきましては、英霊候補の皆様へのお祝いと致しまして、次の盈月が昇る日より、国士無双制覇を開くはこびとなりました。
是非とも万障お繰り合わせの上、ご参加下さいますようお願い申し上げます。
尚、本書と共にお送り致しました幸運の石がご参加の御璽となりますので肌身離さずご所持の上、宜しくお願い申し上げます。 ――謹白』
交易語で記された文章は手短。
同封されていた貴石は瑠璃。青金石を主とした方ソーダ石、藍方石、黝方石等を含む藍色の美しい鉱物。
これを持つことが“国士無双制覇”への参加条件、という訳なのか?
抑々、『機構』がいったい何者達なのか、長老も賢者達も、誰一人として知らない。それどころか、精霊も神々すら答えてはくれない。
理想都市の論者共による組織とも、逃れた上のエルフ達とも、評議会や神智者、將亦、竜の御伽衆の生き残りとも云われているが、定かではない。
只一つ確かなのは、其奴らは実在する、という事。
善悪の概念では図れない超然的な存在。
そしてそれは、不確実ながら確定的に世界へ影響力を齎す一味である、という事。
――国士無双制覇。
こいつについて解説するには少々、私の持っている知識や情報では足りない。
だが、ニュアンスについてだけなら伝えられる。
何年毎に開催されるのか、どこで開催されるのか、なんの為に開催されるのか、具体的な事は一切不明だが、世界中から英傑達が集められ鎬を削る、それが国士無双制覇。
一つだけ明確なのは、競う、という事。つまり、戦い合う、事。
参加への選定や招来基準、それどころか、何を以て勝利と見なされるのかさえ分からない。
はっきりしているのは、国士無双制覇を生き残る事ができた者には、“不可能願望”が許される。
不可能願望とは、決して手の届かない、努力だけでは到達不能、不可逆性を可逆的に、あってはならない事象の具現化を意図する事のできる、恐らく唯一の方法。
一番有名な逸話であれば、大英雄アーカムによる服わぬ禍つ神討伐の為の英傑探求業であろう。
そんな夢物語のような話があるのかって?
それだけは間違いない。
神話の書き換えや歴史の改竄、大規模で恒久的な奇蹟の類は、不可能願望によって成し遂げられている。
そして、その不可能願望は、国士無双制覇の恩賞としてのみ、その存在が明らかになっている。
つまり、不可能願望と国士無双制覇は対。
恐らく、私にとって『嵐を呼ぶ者たちの探索行』の再現は、不可能願望の類なんだろう。
我が部族に探索行の再現者は未だかつて存在しない。
同じく、我が部族に国士無双制覇参加者は一人としていない。それどころか、ガナランド全部族にさえ存在しないし、勿論、再現者もいない。
しかし、ガナランド、フーバドーン、カナーシュ、アンクラインの四地方をまとめ上げたオルクレス王国初代国王オルクレイオスは国士無双制覇参加者の一人として知られる。
これだけでも十分、国士無双制覇への参加を断る理由はない。
即ち、私にとっても、部族にとっても、風の民にとっても、これはチャンス。
断る理由がない。
抑々、断ろうにも、どのように彼らと連絡を取れば良いかさえ、分からない。
国士無双制覇に選ばれた、その栄誉を胸に、私は勝ち残る。
そして、部族を救うのだ。
―――――
ヴァン・ヒュー族は勿論、グ・ヒュー全部族に加え、ガナランド中の風の部族から代表者が、祝福する者が、応援する者達が群れ集う。
国士無双制覇に選ばれた部族の英傑アンジュの為に。
大戦が始まる訳でもないのに、これ程多くの風の民達が集う事はない。
自由なる風の民が、誰かに厳命された訳もなく、自らの意思で自由参加。
アンジュの為に、アンジュの勝利の為に、部族の未来の為に。
祝福の風が舞う。
なんたる光景だろう。
いつ以来?
これ程多くの者達が、皆、笑顔でいる。
希望に満ちた笑みを浮かべ、私の旅路を祝福してくれている。
感謝しなければなるまい。
神に?
いや、この時だけは、国士無双制覇の存在に。
――私は、勝つ!
なに、に?
国士無双制覇の参加者達に?
月の民に?
敵に?
違う。
私自身に。
この期待の大きさに、応える為に、私は負けない。
私は負けない、敵に負けない、誰にも負けない。
勝つんだ、絶対に――
――さあ、行こう。
勝利するために。