7話:奇跡の遺跡
―――――
――風流定位。
敢えて、隙を作ろう。
並の相手、いや、極度に洗練された戦士の類であれば『風流定位』で探れる。そして、倒せる。
風の流れは目で見るより遙かに繊細。
その息遣い、筋肉の硬直、動き出しに至る迄、悉に見てとる事ができる。
しかし、今対峙している相手は、あの唯聖王。
国士無双制覇に選ばれた超一流の英傑。
一筋縄ではいかない、いく筈もない、多分。
風精達の騒めき。
風精達が救いを求めている、彼に支配されたくない、と。
祈祷師、いや、魔道士の類かも知れない。
信心や信頼とは無縁に、四大元素を強制する術、その傲慢な所業を為す者。
悍ましい利己主義者、だが、侮り難い高技術者。
恐らくは、西方の一神教徒か、將亦、理想都市の論者か。
どちらにせよ、度し難い不心得者。
同じく月の民に敵対する者ではあるが、決して相容れない輩。
<ひれ伏せ!>
――来た!
恐るべき言霊。
空気が震え、圧を増し、気は漫ろ。
唯聖王の発した言葉一つひとつに驚異の魔力が込められている。
語感に霊力が、語彙に魔力が、語義に理力が、奇蹟を織り成し、事象が追随する。
彼に定型の呪文など不要。
只、言葉を紡ぐ、それだけであらゆる魔術と化す。
正に、神の如き力、全ての詩人が羨む驚天動地の業。
もし、もしも、私が只、己の力だけに頼る戦士であったとしたら、跪かざるを得ない圧倒的なパワー。
絶対的服従――
私が仮に一人であったとしたら、間違いなく頭を垂れ、大地に屈していた事であろう。
だが、私には、友がいる、仲間がいる、信頼してくれている者達がいる、その想いが私を後押しする。
そして、ここには風精達が。
<風の子らよ!圧制者の言の葉の呪鎖に楔を打ち、今、衡より解き放つ>
心で言葉を紡ぎ、ひゅっと一息、吐く。
エイラーン神の祝福された吐息。
ビリビリと緊張に張り詰めた空気は一気に緩み、爽やかな風となり、アンジュを優しく包み込む。
言霊の呪詛は掻き消え、アンジュと風とに自由が許される。
もう、二度と奴の邪悪な言葉に絆される事はない。
「どこを向いておるのだ?」
――!?
背後から唯聖王の声。
言霊の呪縛に対峙していた一瞬の隙をついて、背後に回ったのか。
いや、――
――ない。断じて有り得ない。
仮に私の気を逸らしていたとしても、全ての風精達をも誤魔化す事はできやしない。
――それに…
見えているんだ、私には。
これで、決める。
掌を前に大きく翳し、右手に握る槍に渾身の力を注ぐ。
さあ、来い。
その驕慢さが招く侮りが、貴方の敗因と知れ。
「ふははははーっ!どうした小娘ッ!どこを向いておるのだぁ~?目を見開き、余の姿がどこにあるか、探してみよ」
四方八方からファラオの嘲笑がアンジュを取り囲む。
力に溺れ、奢るあまり、自ら幻術の類を駆使している様を露呈するとは、実に哀れ。
経験から、感性から、本能で、奴の居場所が手にとるように分かる。
恵まれた才故に、侮りが過ぎ、凡そ、戦いへの研鑽が足りていない。
偏に、才子才に倒れる。
恐るべき力、だが、恐るるに足らぬ敵。
父さんの力を使う迄もなかった。
だが、全力でいく。
それが名誉というものだ。
彼の名誉の為にも。
ファラオの豪奢な黄金の剣が迫り来る。
躱す必要はない。
槍を扱き、穂先に風を纏わせ、音速の突きを繰り出す。
衝撃波を伴った切っ先は、ファラオの腹をブチ抜き、血霧を舞わす。
大地に片膝を落とし、血塊を吐き出すファラオは何事が起きたのかを掴めず、その端正な顔を驚きと苦悶の表情に歪める。
「――!?ガッ、ガハッッッ!!な、なぜ、余の居場所を掴めたのだ…」
左手食指を天空に向け高々と掲げ、
「<群星環視>。天空の星々は私の目、名も無き星屑さえも私の瞳。星霊は隈無く見透かし、貴方の姿を、影を追う」
腹に大穴を毀つファラオの顔色は土気色に変色、瞳は虚ろ、大量に発汗、唇は青紫に、荒い息遣いは変則的。
並の者であれば既に絶命していもおかしくはない。
その溢れんばかりの魔力故か、彼の生命力は未だ尽きない。
だが、今やそれが仇となり、彼自身を苦痛に晒す。
――せめて、これ以上苦しまぬよう…
「異邦の圧制者よ、ここに散るが良い」
ファラオの眉間、丁度、紅縞瑪瑙の額飾り目掛け、槍を振るう。
速さも強さも、況して意気もいらない。
只、的確に狙った箇所を突く、それだけ。
それだけで彼を苦痛から救う事ができる。
無論、それは彼の人生の終焉を意味するのだが。
不意に穂先が抑制される。
どこからともなく飛来した日干し煉瓦が槍先を塞ぎ、盾となる。
まるでファラオを守るかのように。
瞬く間に無数の煉瓦が飛来し、壁をなす。
この男――
いまだ、これ程の念動力を使えるのか。
出血性ショック状態にありながら、尚もこれ程の魔力、妖力、霊力の類を誇るのか。
侮り難し存在。
――ならばっ!
煉瓦壁を砕き崩し、それごと貫く迄。
槍を握る腕に膂力を込める。
いくぞ――
「――!?」
咄嗟に飛び退く。
――違和感。
なんだ、この奇妙な感覚は。
なにか――
なにか、危険な感じ。
ふと、煉瓦に目をやる。
霞む?
煉瓦の造形が、微妙に崩壊しているかのよう。
まるで、それを構築している粒子が今にも霧散してしまいそうな、そんな感じ。
物体が、物質が、その形状を、性質を、保てていない?
なんなんだ、これは!?
「こ…小娘……や、やりおるわ……
ょ、余の<偉大なる聖王による大殺界>が…崩落しかけておる……」
「!?なにを云っているの?」
鮮血で染まる黄金の口紅ごと手で拭い、ファラオは立ち上がる。
腸をぞろりと垂らし、苦痛に唇を歪め、力を振り絞るように体を支える。
その神秘的だが今は虚ろな瞳を見開き、アンジュを凝視する。
「朽ち果てる前に小娘ッ!汝を取り込んで資力を回復してくれるわっ!」
辺りから轟々と地鳴りが響き渡る。
見知らぬ奇妙の異国の建物や彫像、それどころか石や砂、大地そのものが漣、アンジュを中心に据えるように動き、収束し始める。
「……こっ、これはッ!!?」
遠くに見えた金字塔の頂上、その四角錐を成す巨大なベンベン石が飛来、迫り来る。
鍍されたベンベン石はギラギラと光を反射させながら、速度を上げながら、アンジュ目掛けて襲い掛かる。
高速で飛来する巨石をすんでのところで躱し、大地に伏す。
避けたところに方尖柱が倒れてくる。
転がるように身を躱し、距離をとる。
地についた手と足が焼けるように熱い。
砂が、熱せられた懐炉のように、アンジュの手足を焦がす。
――どういう事だ?
躱しても躱しても、追い討ちされる。
見透かされているかのように、的確に、追い討ってくる。
――まさか……
「この周囲、地形、環境……いや、“遺跡”そのものがお前の資力なのかッ!!!?」
「気付いたところでどうにもならぬわ!余の世界の糧となれい!」