6話:愛戦士
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身籠もったジョシュカを批難したのは、司祭や長老、祈祷師他、氏族の重鎮達であった。
カナーシュとの決戦を控えた折、女傑としてその知勇をガナランドはおろか、敵陣営に迄広く知られた彼女が、体調不良を訴えた。
カナーシュとの戦は日に日に敗色が濃くなり、若き女傑の存在は日増しに存在感を増していた。
始め、度重なる戦いによる疲労や時節柄の病と心配されたが、それが懐妊による不調だと分かると、事態は一変した。
彼女は、独身。
風の民は自由を愛する者達、故に比較的性に関して開放的であり、婚前交渉を禁じられている訳ではない。
併し、彼女は立場が違う。
族長の娘であり、今や女傑として知られる剛の者。
その彼女が、婚姻を済ます事なく子を宿す、というのは流石に疑義が生じた。
しかも、子の父を問われた時、彼女は答えを拒んだ。
これは由々しき事態。
父である族長ゲランドムスは当初、怒りに震え、だが、間もなく口を噤んだ。
子の父を決して明かさぬジョシュカは、グ・ヒュー部族の賢人組織『七年寄』達によってヴァン・ヒュー族の次期族長としての継承権を奪われ、一番槍も追われた。
族長の娘ということで奴隷に落とされることはなかったが、七年寄達は子の父が何者かを明かさなければ、強制堕胎させる旨をジョシュカに通達した。
ジョシュカへの最後通告がなされた日の夜、彼女は自ら舌を切り落とした。
泪を流すどころか、血塗れの口許を固く噛み締め、力強く鋭い眼光で睨み付ける彼女に、それ以上、子の父を問う者はいなかった。
やがて、彼女は娘を産み落とした。
娘には、アンジュ、という異邦の言葉で名が付けられた。
時を遡る事十数年、ガナランドの首座にあるグリムガル部族の老王ガランドラスが予言の子を国中で探していた。
異教徒との間に生まれた子を新設した純血風属創出異魂共存寺院で保護する名目で幼児・子供狩りが各処で実施された。
決して評判の良いものではなかったが、戦争孤児や忌み子を匿う点において、名誉が示された行いであった。
ジョシュカは、ヴァン・ヒュー族の故郷『風の谷』で過ごしていた。
氏族から疎まれ、ジョシュカ母子は風の谷の北西にある痩せた土地でひっそりと暮らしていた。
奴隷ではないものの、その生活は奴隷のそれよりも貧しく、ジョシュカもアンジュも痩せ細っていた。
満足な食事はできず、父ゲランドムスからの届け物も浅ましい隣人達に奪われる始末。
ジョシュカもまた、自身の呪われた運命故、この苦しい環境を受け入れていた。
ジョシュカのかつての名声を聞き付けた天才司祭ダンファラスがここに訪れたのは、アンジュの首が据わった頃の事であった。
アンジュの眉に星々の祝福を見たダンファラスは一目見ただけで、アンジュの父が天宮神殿の、しかもかなり高位の信徒である事を見抜き、ジョシュカに問い糾した。
舌を失ったジョシュカは話せない、そもそも話すつもりもない。
だからこそ敢えて、天宮信徒が父であろう事をジョシュカに問うてみた。
口には出さずとも驚嘆したジョシュカに、ダンファラスは他言しない旨、その場でエイラーンに誓ってみせた。
頑なに疑っていたジョシュカは、ここにきてダンファラスを信用し、頷いてみせた。
ダンファラスは自身の問いに対して、イエスかノーで答えるように伝え、ジョシュカを刺激しないよう、注意深く、穏やかに、且つ、細かく慎重に訊ねた。
全てを悟った時、ダンファラスはジョシュカを真の女傑と見抜き、彼女の復権を提言する旨を約束した。
併し、彼女はそれを断固として拒否し、代わりに、純血風属創出異魂共存寺院において手厚い保護を求めた。
ダンファラスは一瞬辟易ろいだものの、その様を彼女に悟らせず、全てを引き受けた。
この時、ダンファラス翁は泪した、と後にアンジュに語っている。
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純血風属創出異魂共存寺院で共同生活を送る子達は、親との面会は叶わない。
例外は一切ない。
親や近親者、親類との遣り取りは、手紙のみ。
その手紙も月に一度のみ。
寺院といえば聞こえはいいが、謂わば、収容施設。
何せ、異教徒、特に敵対する異教徒との間に生まれた忌み子を匿うのだから、その体裁を保つ為には必然、厳しい環境になる。
アンジュの下には、必ずダンファラス本人が外部からの手紙を届けていた。
手紙の差出人はゲランドムス、ヴァン・ヒュー族族長の名。
だが、その手紙に綴られている文字は、女性のものと分かる繊細な文章。
内容は、山より高く、海より深い“愛”に満ち溢れている。
成長してゆく様を見る事の出来ない切ない想い、強く逞しく、何よりも優しく育って貰いたいその想い、この世で最も誇らしい大切な我が子への胸いっぱいの愛、それが文字一つひとつから滲み出ている。
アンジュ自身が手紙の意味を理解できる迄かなりの時を要したが、元より大切な宝物として、アンジュは手紙を大事に保管していた。
アンジュも自ら筆を取り、祖父であるゲランドムス宛に手紙を書いた。
尤もその内容は、“お母さんに会いたい”が殆どだった。
その日、手紙を届けにきたダンファラス翁は伏し目がちだった。
10歳になっていたアンジュは、いつもと様子の違うダンファラス翁に気付きはしたものの、特段何か疑念を抱く事はなかった。
併し、渡された手紙を見た瞬間、表情が曇った。
そこに記されていた文字は、いつものそれとは全く異なっていた。
差出人はいつも通り、祖父ゲランドムス。だが、そこに書かれた文字は、荒々しく雄々しい文字、そして、現実。
ゲランドムス当人からの手紙の内容で、アンジュは母の死を知った。
決して深刻とはいえない流行病に冒された母は、薬代や治療代を払えぬ儘、一人淋しく逝った。
立場上、ゲランドムスは娘を救ってやれなかった、とアンジュに詫びていた。
手紙から祖父の悲しみや自身への怒りも伝わってくる。
云いようのない感情が高まり、手紙を読み終える前にアンジュは泣いた。三日三晩。
目の周りを赤く腫らし、再び祖父からの手紙の続きを見た時、アンジュは驚く。
私の、私の父の名が、そこには書いてある。
<“極星の”オルガ・ベキ。それが其方の父の名だ>
母さんは、祖父には話していたのだ。
私の父が誰かを、その正体を。
そして、祖父はそれを知って、口を閉ざした。
祖父の手紙には、母さんが話した父との事が綴られていた。
父との出会いは、ザンジムの丘での戦い。
何度も矛を交え、互いに認め合い、互いを尊重していた、と。
いざ、決戦となる前、名誉ある選択を母さんは執り、一人食糧を届けにザンジムに向かった。
ザンジムにあった遊牧民は皆、餓えていた。
それは食にだけではない。
性、にもだ。
一人で丘に訪れた母さんを、慰み者とすべく遊牧民達は襲い掛かった。
それを止めに入り、仲間であり部下である遊牧民を討ち棄てたのが、父オルガ。
オルガは母さんにこう云った。
「餓えているとは云え、慈悲を示し勇気ある行動を取った英雄に対し、このような不名誉な報い。俺がいるにも関わらず、我が者共のこの不始末、謝罪の言葉も見当たらん。
不釣り合いなのは重々承知はしているが、俺の首を持って行ってくれい!」
オルガは、母さんに自らの命で謝罪をする、その心算だった、と。
母さんは、オルガに命を奪うつもりがない旨を伝え、その代わりに、両氏族の永遠の絆を提案した。
オルガはこれを承諾し、自身の信じる神“極星”にこれを誓った。
母さんはオルガを、オルガは母さんを信じ、愛に落ちた。
たった、六日間。
母さんと父さんは、僅か六日間だけ、真実の愛を育んだ。
母さんは、その生涯の全てを、父さんを愛する事を誓い、私を授かった。
人々は口々に、私を忌み子と云う。
呪われた子、淫売の子だ、と。
父親も分からぬ禍々しい子、と。
でも、真実は違う。
私は、母さんにも、父さんにも愛され生まれた子。
祝福された子!
母さんは手紙にいつもこう書いていた。
「生まれたばかりの時から、あなたの眉に潜む星々の光は、あなたに対するお父さんの愛のしるし。
アンジュ、わたしのことは恨んでちょうだい。でも、お父さんを恨みはしないでね、決して」
私の名は、アンジュ。
アンジュ、という名の意味は、遊牧民の言葉で“誉れ高き”の意。
父がいずれ生まれるであろう自分の子の為に贈った名。
私は、アンジュ!
“極星の”オルガ・ベキと“不朽の愛”ジョシュカ・ゲランドムスス・ヴァン・ヒューの娘。
慈愛の女戦士、愛を以て全てを糾する者。
――愛こそ全て!