4話:風立ちぬ、星々のきらめき
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風流定位、か――
蝙蝠や一部の水棲哺乳類にみられるエコーロケーションの“風バージョン”。気流を読み、掴み探り把握する術、その闘技。
よくよく――下らん。
余の“言霊”が風の力を付与しているものと看破したにも関わらず、風そのものを操り、風読みを狂わす可能性に気付かん、とは。
地・水・火・風の四大元素など、蛮族共に見られる俗習の力を借りる迄もない。
それでは、言霊にて風精共を使役し、彼奴の“感性の目”を惑わしてやるとするか。
「蛮族の黴臭い風習なぞ、余の力の前では無力、児戯に等しい。真の支配者は、言葉を紡ぐだけで力を成す。<大地にひれ伏せ>下郎!」
ビリッ、ビリリッ――
空気が震える、地鳴りを帯びて。
風が、気流が、目に見えない大気を構成するその小さな一粒一粒が、彼女を縛り、唯聖王の言の通り、作用する。
――かのように思われたのだが。
「っ!?なにっ!!」
しゅるしゅると、まるで風の帯が独りでに解かれるように、微動だにせず、アンジュは言霊の力を霧散させる。
嬉々――
もし、風そのものに感情があったのだとしたら、そう、それは嬉々として彼女の自由を賞賛しているかのよう。
無邪気で気まぐれな風精達は、いっそ彼女を優しいヴェールで包む。
「――ほう…」
――見事。
流石に嵐の蛮族の女傑だけはある。
知性の有無どころか、生命の有無さえ無関係に、無造作に、無慈悲に、余の思うが儘、あらゆる事象を隷属させる事のできる資力『聖王の言質』を打ち破るとは。
見事、ではあるが――
「汝はいつ迄、在らぬ方向を向いてナニと対峙しておるつもりだ?目を閉ざしておるのだから、分からぬとは思うがな」
アンジュの背後から、そのやけに艶っぽい高低つかぬファラオ独特の声が聞こえる。
アンジュは顎を引き、肩越しに後ろ方向に首を動かす、耳を澄ますように。
例の言霊を発したと同時に動いた、か。
体を入れ替える程の隙はなかった筈。
併し、はっきりと分かる、ファラオの声は背後方向にある、と。
「どうしたのだ小娘?目より利くであろうその風読みは、はったりか?聾唖の方が余程、今の汝より増しではないか」
ファラオは静かにアンジュを中心に弧を描くように歩を進める。
足音は皆無。
砂を踏み締める音は一切しない。
併し、その声は移動している。
右後方から左後方へ。
アンジュが左方向に体を捻れば、再び右後方へ、ファラオの声は移動する。
常に背後を取る、そういった位置取り。
「ふっ、ふふっ、ふははははーっ!
風よりも音が気になって仕方ないようだな、小娘?
同じ空気の波動であっても触覚と聴覚では、後者がより直感的に優先されよう。肌を晒し、如何に敏感にそれを感じようとしても所詮、児戯。下等種とは実に哀れ」
アンジュは左掌を前方に突き出し掲げ、槍を握る腕に力を込める。
まるで狙った獲物に渾身の一撃を加えようと機会を窺うかのように、ビタリと止まって動かない。
耳を欹てる仕草さえ微塵もない。
「――…なんの心算か知らんが小娘、目を開けるつもりがないのであれば、汝を一つ、ギョッとさせてやるまいか」
――ふははははーっ!
聞きようによっては心地好ささえ感じる、そのファラオの笑い声が1つ、また1つ、と増える。
背後にあったファラオの声は、いまや四方八方から谺し、アンジュを包み込む。
明らかな幻聴。
風の流れに淀みなく、しかし、その声は周囲から無数に聞こえる。
風はいっそ、ファラオにこそ祝福を与えているかの如く、アンジュを惑わし、拐かす。
ファラオの姿は、目を閉ざしたアンジュにとって最早、捉えることのできない幻、怪異の如し。
だが、動かない、辟易ろがない。
アンジュ、微動だにせず。
――小娘…
いまだ、目を開けぬとは。
一度、瞼を上げれば、太陽の力を封じた余の資力『黄金の玉体』にて瞳を焦がす。
目を開け、余の居場所を確認しようとは思わんのか。
なかなかの胆力。
併し、恐れ知らずというだけの話。
動かないのではない、動けないだけのこと。
それだけのこと、だ。
「この期に及んで未だ瞳を閉ざした儘とは天晴れ。
その意気に免じて、苦痛なく屠ってくれよう!」
様々な宝飾品に彩られた黄金の剣を抜き、ファラオは忍び寄る。
息を潜め、ゆっくりと、彼女を真っ二つに、袈裟に斬り捨てようと、大上段に刃を掲げ、今一歩。
――ドヒュン!
風鳴り一閃。
ガボンッ!――
――穿つ!!
向こうが見える程の大穴、風穴が土手っ腹に。
――なにごと!?
痛烈な熱気が喉元を上がってくる。
黄金のリップで塗りたくられた唇を、込み上げる鮮血で濡らし、染める。
カハッ!――
一息、大きく呼気を吐くと続け様、黒褐色の血液の塊が吹き出す。
なんだ、この異物感は。
こ、これはッ!?
「ばっ、馬鹿な……」
槍。
蛮族の薄汚い槍が、余の、お、俺の体を貫いている、だと!?
いつの間に…どうやって?
この俺の、この神聖なる体に、選りにも選って汚らしい下等種の拠り所に過ぎん野蛮な精霊の棒切れで劈くとは…
「な…なぜ……?」
片膝を大地につき、苦しむファラオの前に立つアンジュは、瞳を閉じた儘、左手を高々と掲げ、満天の星空を指差す。
星々の瞬きが鼓動の高鳴りに共鳴し、一層輝きを増す。
「秘奥義<群星環視>。無数の星々が私の目となり、貴方の居場所を教えてくれた。人々を惑わすことはできようとも、星々の輝きまでは誤魔化せやしない」
名も知らぬ星屑一つひとつが彼奴の“感性の目”の代わりをしていた、と云うのか。
全ては、見られていた、か。
「――…なぜ、嵐の蛮族が天宮の力を…」
「知る必要はない!異邦の圧制者よ、この地で散るがいい!」
神槍をファラオの腹から引き抜き、手許で回転。
切っ先をファラオの顔に向け、槍を扱く。
星々の光を浴び、槍の穂先は一層輝く。
――勝利を我が部族に!