1話:眉に星持つ者
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「――近くに居る」
首飾りの美しい瑠璃が仄かに光り、闇夜を微かに照らす。
見た事もない聞いた事もないこの遺跡。
奇っ怪な異国の建造物の中に入るのは返って危険。
身を隠すものが少なく発見され易いものの、寧ろ、屋外の庭園で迎え討つのが得策だろう。
外であれば、いっそ祝福の風と星々の煌めきが私を守ってくれる。
我が神が悪しき天空から奪い取った稲妻の子ら“電童子”を宿した神槍ベラ・ズ・フェンティルは、千の大群を焼き、1マイル先の狙った小蝿を漏らさず突き、黒王の堅牢な城壁さえ毀つだろう。
――さあ、来い!
誰であろうと、このアンジュを倒すことなどできはすまい。
不意に、光が指し、真夜中の大地に影を落とす。
それ程遠くではない右手方向に建つ方尖柱に目を向ける。
見知らぬ記念碑の上に立つ人影、いや、それが光源か。
奇妙な異邦の装束を纏った男。その全身から光りが溢れ出ている。
巨大な紅縞瑪瑙の嵌め込まれた額飾りのような蛇形記章を付けた神秘的な顔立ちの男が仁王立ちしている。
――間違いない、敵、だ。
輝く神槍を男に向け、
「名を聞こうか」
「――女性よ」
高いとも低いともつかない、しかし、よく通る独特な声質。
男はアンジュに向け、掌を翳し、続ける。
「頭が高い、女性よ。<跪け>」
「!?」
突如、アンジュの体を押し潰さんばかりの圧が掛かる。
重力変化、いや、違う。
脳からの指令ではなく、条件反射のそれに似た、機能としての働きにも似た無意識の行動が誘発され、両手両膝を大地につき、その額を下げる。
力で諍うことがまるでできない。
全身の筋肉が痙攣し、深々と、頭を下げる。
「こ、これは…」
――言霊。
巫山戯た真似を。
風の民である私を、風の力を込めた息吹、言霊で縛るなど。
アンジュは口を窄め、ひゅっと息を吐く。
呼気が一陣の風を巻き上げ、体中を駆け巡る。
纏わり付く言霊を風が吹き飛ばし、体に自由が戻る。
風は、自由。
本来、縛るものではない。
自由の民である私を、その力で縛るなど、許せない。
力強く立ち上がり、切っ先を再び男に向け、
「名乗る名さえ持ち合わせぬ愚か者めが、“国士無双制覇”に挑むとは。後悔だけでは済まされない」
「凡俗に名乗る御名など、端から持ち合わせはおらぬ。併し、余を唯聖王と呼ぶことは赦そう」
――唯聖王、だと。
そうか、《こいつが一代であの黄金郷タイ・カを作り上げた伝説の大王か。
成る程、国士無双制覇に出場されるだけの資格は十分ある、と云う訳か。
面白い――
ファラオ、と呼ばれる者が、どれ程の資力を持っているのか、試してやろう。
「そうか、貴方があのタイ・カ国の王ファラオか。確かに言葉遣いと態度に失礼がありました。
私は、風の部族連合首座グ・ヒュー族の筆頭戦士“眉に星持つ者”アンジュ。アンジュ・スターブロウ。
我が部族の代表として国士無双制覇に選ばれた闘士です。初の手合わせが陛下であれば光栄です」
男は顎先に指を当てがい、
「ほう、汝が嵐の蛮族共の予言に示された女傑アンジュ・スターブロウか。
無論、その名は聞いておる。嵐の大神に選ばれた伝説の小娘と云うのは汝であったか。
手合わせするのは構わんが、余に挑む愚行の末路を悔いるでないぞ」
「果たして、悔いるのはどちらでしょうか、陛下?」
「参るが良い」
「いきますっ!」
ふっと息を吹き、刹那に風の精霊を召喚、その見えざる体に飛び移り、一気に方尖柱の頂上目掛け、飛翔する。
猛禽類のそれを思わす、滑るような飛行で一気に接敵、2秒とかからない。
秒速100メートルを超える飛行速度から神槍ベラ・ズ・フェンティルをファラオに突き入れる。
その切っ先の速度は音速を超え、衝撃波と共にファラオを襲う。
「終わりです!」
ファラオに接敵する直前、地面に埋もれるようにして方尖柱が急に高度を下げる。
大地に飲み込まれるようにして柱は失われ、ファラオは地に降り立つ。
目標から大きく座標の狂ったアンジュの槍は、空しく空を劈く。
「幻影か!?しかし、逃しはしない」
上空から一気に滑降。
ファラオの頭上から槍を繰り出す。
だが、アンジュは脇腹に激痛を感じ、大きく軌道を逸れ、10メートルも離れた地に着地。
――何事?
遺跡の建造物を成す岩が飛来し、アンジュを襲ったのだ。
大規模な念動力の類か。
口の中が鉄臭い。
なんてこと――
どこか内蔵を痛めたかも知れない。
成る程。
広範囲に影響を及ぼす幻術と強大な念動力を繰り出す資力を持っているのか。
確かにこれは厄介だ。
肉弾戦を主とする戦士である自分とは極端に相性が悪い。
しかし、私には風の神々の祝福がある。
この程度の不利など、造作も無い。
「離鎧!」
アンジュはそう叫ぶと、体各処を覆う防具は風の力で四方に弾け飛ぶ。
今や、身に纏う衣はセパレートのアンダーウェアのみ。
細身ではあるが鍛え抜かれた筋肉が顕わになる。
「なんの心算だ?
素肌を晒して色香で惑わす腹積もりであれば無駄。蛮族の薄汚い小娘に欲情する余ではない」
「そんな気は毛頭ない!
祝福の風を全身で感じる為にこそ、肌を晒した迄。奥義<風流定位>にて、お相手しましょう」
両の瞳を閉ざす、アンジュ。
上下の歯の隙間からシッと高音を発し、その反射を捉える。
耳ではなく、その振動を肌で捉えるのだ。
視覚と聴覚を閉ざし、風で空間把握。
風の眷属にあって無敵の構え。
その使い手においてアンジュを超える者などいない。
更に意識を集中し、魔力対抗に備える。
光学的な幻と潜在意識に刷り込んでくる幻術、共に封じる。
風の囁きを、風の囀りを、風の意思を感じる。
集中力の高まりに風が応え、胸が高鳴る。
こうなれば、最早、無敵。
何人であっても私を倒すことはできやしない。
国士無双制覇に選ばれ、応援し、送り出して貰った部族の皆の篤い期待に応える。
――部族を救う為に。