マジウケない
設定やストーリーの改変があるため、お手数ですが、編集版の一話から読むことをお勧めします
久々の登校。
夏休みも早終わり、忌まわしき登校日がやってきてしまった。
夏休みが終わろうとも夏自体は終わってくれないようで、眩しくも暑い日差しが顔に射す。
名前順の席は嫌いだ。
いつも窓際の席になるのだ。
「えー、これやばーい! マジウケるんですけどー」
昼休みの中、右斜め後ろから馬鹿っぽい喋り方の笑い声が聞こえた。
お前の頭の中の方が超絶やばくてウケるんですけどー、としょうもないことを考えつつも、やはりクラスで最も活発的なグループだからか俺は耳を傾けた。
「見てみー、宏子。これ、ドージンシとか言うエロ漫画の表紙らしーんだけどさぁ」
これでもオタクの端くれ、にわかオタクとは言え、耳を傾けていた俺は同人誌イコールエロ漫画と言う横暴な方程式に一瞬怒りを覚えたが、悪友の持っている同人誌コレクションに、唯一つとしてR18のマークが付いていない本がなかったことを思い出し、怒りを鎮めることになった。
だが、何故オタクでもない彼女達が同人誌と言うキーワードを使うのか、或いは知っているのか、疑問が生じた。
しかしながら、その疑問は考えるまもなく氷解する羽目となる。
「カイトから澤田の裏垢にヤバイ画像載ってるらしいって聞いて見てみたんだけどー」
そう言って、瀬川綾子はスマートフォンの画面を清水宏子に突きつけた。
「うわー、これはヤバイねー。引くわー」
「それなー」
どうやら、澤田が使っている裏アカウントに同人誌の画像が載っかっていたらしい。
そう言えば、夏休み中にコミックマーケットが開催されていたかと思い出すと、澤田の裏アカウントに同人誌の画像があったこととともに彼女等が同人誌の存在を認識した理由に納得がいった。
彼女等が楽しそうにゲラゲラ笑っている中、俺は澤田の席に目を移した。
そこには彼の姿はない。
なるほど、アイツは買い弁勢だったか。
我らが東山田高等学校には食堂とされるものが付属していない。
だからか、救済措置として業者が弁当販売に来ているのだ。
弁当販売を利用する奴等は大抵近くのベンチでそれを食べる。
そして、どうやら澤田は弁当を買って、それをベンチで食べているようだ。
そんな訳で幸か不幸か澤田は今この教室に居なかった。
「だろー、そのつぶやきヤバ過ぎっしょ」
情報提供者である長瀬海斗がアホっぽい会話に加わる。
噂では清水の彼氏らしい。
確かにチャラ男と想定ビッチ、お似合いだ。
「それな、ヤバ過ぎー」
それにしても彼等の会話は不可解極まりなく、何よりも不快だ。
現代語らしき言葉を羅列させるだけならば、なんとか聴いていられるが、その内容は常に誰かを小馬鹿にするようなもので聞くに耐えない。
「澤田ってオタクだったんだー、マジキモ〜」
語尾を伸ばす瀬川に苛立ちを覚えるが、ここでキレてしまっては俺までが連中の標的になってしまう。
俺たちが特別立場が弱いわけでもないが、そんなことをすれば、隠れオタクとして慎重に過ごしてきた日々が台無しだ。
ここは長い物には巻かれろの精神でやり過ごすしかなかった。
そうしているうちにも、連中にいつものメンバーが加わり、一段と騒がしくなる。
連中のリーダー的な存在の塚越光輝は曖昧に笑って誤魔化す。
奴はこの手の話では余り盛り上がらないのだ。
だからといって悪口やイジメを止めることはしない。
悪口を言わないことは美徳だが、見て見ぬふりをする奴はイジメてる連中と然程変わらない。
俺もだが。
罪悪感に苛まれ始めた俺が仕方ない、昼休みが終わるまでイヤホンで耳を塞いで知らぬ振りを決めるか、そう思った瞬間だった。
教室の扉が控え目に開き、渦中の人物、澤田俊博が教室に何食わぬ顔で入ってきたのだ。
教室が静まった。
教室中の視線が澤田に向かう。
斯く言う俺の視線もそのうちの一つであった。
そして、いつもの少し騒がしいクラスメイト達はそこに居なかった。
「え……?」
澤田は突然のクラスメイトの反応に戸惑う。
それもそうだろう。
彼はまだ自分が今まさに話題の人物だと言うことを知らない。
休み時間終了を告げるチャイムの金が鳴る。
夏休みどころか澤田の平穏な高校ライフが終わってしまったのは言うまでもなかった。
授業前の五分間、澤田は仲の良かったクラスメイト達に事情を聞いていたが、彼等は火の粉が飛んでくることを恐れてか曖昧に笑って誤魔化していた。
教員が教室に入り、やがて授業が始まる。
そう思われた時だった。
《喋るな、動くな、では始めようか》
少年の声、或いは少女の声。
どちらかと言えば少年の声らしき中性的な声が教室のスピーカーから聞こえた時には誰も動くことも話すことも叶わなかった。
《こんにちは諸君、僕は神だ。そして、君達は選ばれた。ある者は死ぬべくして、ある者は生きるべくして、数ある生命体から、数ある集団の中から、全ては運命のままに、選ばれるべくして選ばれた。言わばエリートだ》
何を言っているのだろうか、口以外ではあるが首から上だけは動くようで、見渡すと周りも困惑している様子が伺えた。
《さて、選ばれし諸君には選ばれし者の責務を全うしてもらいたい》
選ばれし者? きな臭いフレーズだ。こんな常套句小学生でも引っかかるまい。
神というのもどうも胡散臭い。
スピーカー越しにマジシャンから集団催眠にでも掛けられていると言われた方が幾分か納得がいく。
《そうか、何となく、薄々と理解している者達がいるようだ。そう、君達には勇者になってもらう》
勇者? 何を巫山戯ているのだろうか、そう思う自分ともし本当であればそれ程楽しいことはないと歓喜する自分がいた。
退屈な日常からの開放。
そんな甘い魅惑の言葉に魅入られた。
こういうことは信じる者が救われるらしいからな、そう自分には言い訳する。
思えば催眠術だって、神と並んで疑わしいものではないか。
ふむ、そうなるとここではどう振る舞うのが正解か。
考えた末に俺はオタクの知識の中でも飛び切り痛いと言われている漆黒の歴史書、俗に言う元中二病の黒歴史に遺されし知識を総動員した。
《何も手ぶらで向こうに送るわけじゃないからそこの所は安心してくれて構わない》
どうやら、何かしらスキルを与えたり、パラメータを上げたりというお決まりの処置が在るらしい。
こういう時は……ステータス。
◇
八重樫 廉太郎
考古学者
日本
――
男
年齢:16歳
HP:1050
MP:36/36
STR:21
DEX:15
INT:173
LUK:72
スキル
「鑑定 LV1」
「解析 LV1」
「目星 LV10」
「暗視 LV3」
◆
こ、考古学者……?
言葉も出なかった。
いや、声は封じられていたか。
しかし、考古学者って言うとあれか? 古代の言葉を解読して、世界歴史を紐解き、過去を暴く学者のことか?
少し恰好つけて言ってみれば、どことなく壮大なイメージが湧いたものの、異世界、はたまた剣と魔法の世界と結びつけるには些か違和感を感じる。
他の欄を見ればMP、STR、DEX、INT、LUKとRPG用語が並んでいる。
それぞれが表すのは上から魔法を操る力(魔力)、筋肉量、器用さ、知性、運を表すはずだ。
基準が分からないために判断のしようがないが、勇者やら大仰なことを言う割には低い気がした。
スキルも戦闘スキルがないし。
そもそものところ、勇者にしてもらえる手筈ではなかったのだろうか?
《ああ、何人かは実践しているようだけど、ステータスと頭の中で唱えるとRPGゲームでお馴染みのステータス画面が出てくるよ。……それと、勇者は職業じゃないので表示されないから。これだけは教えといてやる》
俺を含め何名かをチラリと見ると自称神はそう告げる。
ステータス画面を表示させたのは俺だけではないらしい。
そう、正に俺の脳裏にはステータス画面らしきものが映っていた。
どう表現すればいいのだろうか。
スマートフォンを弄りながらテレビを見ていると言うのが的を射ているかもしれない。
つまり、この場合はスマートフォンがステータス画面でテレビが現実の視界だ。
ステータス画面に気を向ければ重点的にステータス画面を見ることができ、現実の視界に目を向ければ教室を重点的に見ることができる。
そして、現実に目を向ければ異世界に行くのにも関わらず、剣士や魔法使い等の戦闘職ですらない考古学者と職業が決められた俺……。
ああ、駄目だ。
どうしてもネガティブ思考にしかならない。
初手で詰んだ気がするのは勘違いかなにかだろうか。
こうなったら文句を言ってやる! 俺は怒ったぞ! ヤイ神様! どうせ心の声も聴こえてるだろうから言うが、これはないんじゃないか!?
《あ、そうだ。一応僕、神様だから気安く頼み事しないでね》
いや、神だからこそ頼み事を聴かなきゃならんだろうと思ったのは俺だけではあるまい。
今の状況を何となく理解していそうなクラスメイトは忌々しげな目、或いは疑るような目つきで神を睨んだ。
《はあ、君達は分かってない、何もわかっちゃいない。能力をランダムとはいえ与えたのはこの神である僕だよ? それに逆らうなんて、天罰が下っても文句は言えないとは思わないのかい?》
ここは食い下がっておくことに越したことは無い。
下手に出て、なにか貰えれば僥倖と言う形が無難だろう。
普通はそう思う。
たけど、俺は普通なんて御免だ。
普通コンプレックスなのだ。
なら、狂気を演じてやろうじゃないか。
こんなチャンスは一度きりだ、そう大見得でも切って。
なんて言ったって、相手は万物を統べる神ときた。
これ以上の好敵手、他にいない。
ならば、挑む他あるまい。
俺は再び心で訴えかける。
おい神様、俺と取引しろ。
《……いいだろう。君達には森か孤島、選ばしてあげるよ。二つに一つ、二択だ。身体も自由にした。存分に話し合い給え》
その言葉と同時にクラスがざわめいた。
悲壮感に駆られる者はいない。
状況を理解しているらしいオタク連中は口に笑みを浮かべており、状況が分かっていない堅気の連中はただ困惑していた。
神の言った事を疑う奴は居なかった。
スピーカーからの声、金縛り、ステータス画面、現実では有り得ないようなことをやってのけたのだ。
教師の柴村は頼りなく頭を抱えており、始めから生徒達からもあてにされていない。
神の言葉を思い出す。
いいだろう、神はそう言った。
話の前置きに装いつつ俺をコンマ数秒見て、許可を出したのだ。
この神、話せる。
そんな風に思いに耽っていると、後ろから肩をつつかれる感触がした。
「なあ、レンタローはどっちにする?」
後ろを振り向けば結城啓太がこんな状況でも律儀に椅子に座りながら聴いてきた。
神との取引は後になるだろう。
そうと決まれば、一先ずこちらの話を考え始めるべきか。
そんな考えを頭の中で二秒ほど巡らせると振り向いた上半身をそのままに、下半身も後ろを振り向かせ、椅子を逆向きに座る形で振り向き直った。
「……そうだな、森が無難そうだが、あの神のことだ。何か仕掛けがあるに違いない」
「ああ、確かにそうだね。でも、それには同感だけど、そうなると孤島ってことかな? 森は近くに村や町があるかもしれないけど、孤島ってなるとなぁ」
「まっ、その村や町が味方であれば、そっちの方がいいかもな」
「……物騒だね」
「そりゃ、物騒にもなるさ。勇者を必要とするような世界なんだからな。それに、偉い人は言ったもんだぜ、何よりも怖いものは人だってな」
「縁起でもないこと事言わないでよ……」
「ハッハッハ」
「笑い事じゃないって、マジで」
そんな他愛のない会話を楽し……真面目な話をしている時だった。
桶に貯まった水を一気に床に出したような音が、後ろを向いてる俺からして左より聴こえた。
「おお」
感嘆の声も聞こえる。
どうやら水筒を逆さまにした訳では無いようだ。
さっきまでは理不尽な状況に混乱し騒いでいたクラスメイトも静まり返っていた。
誰がこの空気を作ったのか、俺はその張本人を見て、軽い頭痛を覚えた。
「澤田……」
普段なら何ら問題はない。
笑って誤魔化せばいいだけだ。
だが、クラスメイトである彼等が今、澤田をどう見ているか、それは火を見るよりも明らかなのだ。
「ああ、ごめんごめん。すぐ掃除するから、それよりも――」
「ロリコンの癖に目立ちたがり屋乙ー」
「それなー」
「キモッ」
長瀬が案の定突っかかりに行った。
瀬川と清水も同調し、周りからは密やかに笑う声が漏れていた。
澤田はというと何でバレたと言わんばかりに驚愕の表情を浮かべている。
オタクイコールロリコンという横暴な方程式にまたもや怒りを覚えたが、ここで飛び込む威勢も勇気もない俺はオタクに寛容でないクラスメイトを横目に思考を切り替えた。
澤田の手には水筒どころかペットボトルさえない。
にも関わらず彼の足元には割かし大きな水たまりができている。
水筒を持っていない澤田、小さくはない水たまり、スピーカーから聞こえる神の声、呼び出すと現れるステータス画面、これらの状況から導き出される結論は……。
鑑定
澤田俊博
暴かれし隠れオタク、二次元での特殊性癖はペトフェディアコンプレックス。
「なあ、どうしたんだよ、レンタロー」
余りにも酷い澤田の性癖にトリップしていた俺をケータが現実に呼び戻した。
「ああ、なんでもない」
皆が異世界にトリップする前にある意味トリップしてしまった俺は鑑定スキルの認識を改めた。
漫画やラノベで出てくる鑑定スキルと言えば相手のステータスを見ることで、そうだと勝手な勘違いをしていたが、どうやらこの鑑定スキルはRPGで出てくるようなゲームを進める上では関係ないような説明を表示させるスキルであるようだった。
そして、今スキルが使えるとなると先程の澤田の騒ぎに納得がいく。
多分だが、澤田は水に関するスキルを使ったのだろう。
それで床に水が零れてしまったと、その後そのことを伝えようとしたが罵られてタイミングを失ったという所か。
「それにしても、さっきのは何だったんだろうねぇ。そのせいで澤田もああなっちゃったし……」
「まあ、水を零したってのはキッカケに過ぎないだろ。あいつらがそういう性格なのと、澤田がオタクだったってのがね」
澤田の方を見ると澤田は他から避けられ、話しかけてもあしらわれていた。
クラスメイトにも俺と同じように隠れオタクがいるはずだが、彼等は全員口を閉ざしていた。関わりたくないのだろう。
あんな性癖をしている澤田だが罪悪感を感じる。
だが斯く言う俺も、そんな罪悪感に囚われながらも澤田から目を逸らしていた。
『そろそろ決めてくれるかな?』
神が俺達を急かしてきた。
チンタラしている余裕はないようだ。
不意にスマートフォンのバイブが鳴った。
俺だけではない。
クラス中のだ。
どうやら長瀬からメッセージが来ているようで、通知を示すランプが点滅していた。
メッセージを確認するべく、暗証番号を入力し、SNSのアプリを開いた。
そこにはこう書かれていた。
《全員で孤島行くってことにして森に行こうぜ! ただし、澤田は除く(笑)》
ああ、それは不味いだろうと思う俺だったが、しかしながら澤田にこのことを伝えてやろうという自己犠牲精神や勇気を持ち合わせているわけでもなかった。