カストリアの戦い
ーーーーーーーーー1301年7月25日・早朝
ーーーーーーカストリアの戦い
ーーー東ローマ軍20000、十字軍110000(大部分が休養中、警備5000)
それは突然の事であった。
「おい…おい!」
「東ローマ軍だ!」
「山から駆け下りてきている!」
「うわあああ!」
山から勢い良く駆け下りて来た東ローマ軍を見るだけで警備の部隊は混乱した。
しかも銃兵が数少ない指揮官級を狙い狙撃を繰り返し、そのため警備の部隊は統制が取れなくなった。
カストリア市街へ東ローマ軍が侵入を始め、休養している十字軍戦士を次々と捕虜にしていく。
十字軍戦士の殆どが捕虜となった。捕虜の総数は十万人を超えるとまで言われ、東ローマ帝国は捕虜の釈放と引き換えに莫大な身代金を手にした。
また、講和の条件は
1.ヴェネツィアが保有していたクレタ島などの島々を東ローマ帝国に割譲する。
2.アテネ公国・アカイア公国の東ローマ帝国による併合を認める。
3.東ローマ帝国はポーランドの小さな町・ホジュフを租借する。
の3つである。
こうして第10回十字軍は完璧な失敗に終わり、教皇庁の権威は失墜した。
また、第10回十字軍が遠因となり、翌年アナーニ事件が発生する事となった。
あっさり(というか薄っぺらい)描写ですが、もっといいのが考え付いたら改訂します。