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帝国の繁栄と、アンドロニコスの死

しばらく時間を進め、1335年

「ハーッハッハッハ!笑いが止まらぬぞ!」

イルハン朝ハンであるアブー・サイードは大笑いしていた。

東ローマ帝国をもう少しで打倒出来るからだ。


「大変です!ジョチ・ウルスのウズベク・ハンが侵攻してきました!」


「小癪な…直ちに出陣する」


しかし、陣中でハンのアブー・サイードが、バグダード・ハトゥンに暗殺され、フレグ王統は断絶、イルハン朝は分裂した。


アンドロニコスはその隙を突いて東アナトリア・メソポタミアを占領すると、マムルーク朝領に侵攻し、アンティオキアなど北シリアの主要都市を占領し、そして…


ーーーーーーーーー1335年12月5日

ーーーーーーザルカ川の戦い


戦闘はこのように進んだ。

まずマムルーク朝軍がザルカ川を渡河、東ローマ軍の陣を奇襲した。


奇襲により東ローマ軍は壊滅寸前にまで追い込まれたが、

皇帝アンドロニコス2世率いる別働隊がマムルーク朝軍の中央を奇襲、王のナースィル・ムハンマドを戦死させ、その後はマムルーク朝軍を圧倒し、ザルカ川に追い込んだ。


その後はマムルーク朝との戦いを優位に進め、1336年にマムルーク朝は滅亡した。


その後…


1341年2月28日、アンドロニコスは高熱に倒れたが、「毎日の祈りだけは続けさせてほしい」と言い張ったという。


死を迎える数日前、アンドロニコスが息子ニケフォロスに宛てた手紙には、その半世紀以上にわたる長い治世に対する満足がつづられていた。

6月15日明朝、アンドロニコスは朝の祈りをささげるために寝室を出たときに意識を失った。そしてそのまま回復することもなく、その日の夕方に死亡した。

この英雄の死を誰もが悲しんだという。


拙作だったかもしれませんが、ここまで読んでくれた読者の方に感謝。

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