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ハンガリー遠征
唐突だが、1331年4月、アンドロニコスはテッサロニキを出陣し、皇帝親征の大軍(といっても17,000)を以てハンガリーへの北上を開始した。
迎え撃つハンガリー軍は国王カーロイ1世率いる26,000人の軍勢、そして34,000人の援軍からなっていた。
ーーーーーーーーー1331年8月29日
ーーーーーーモハーチの戦い
東ローマ帝国軍がドナウ川のほとりモハーチに姿を現すと、ハンガリー軍は援軍を待たずに戦いを挑んだ。
「奇襲だ!奇襲!」
「うろたえるな!体制を立て直せ!武器はこちらが有利だ!」
やがて東ローマ軍が体制を立て直すと、騎士からなるハンガリー軍は一網打尽にされ、崩壊。
国王カーロイ1世が戦死する惨状であった。
9月にアンドロニコスはハンガリーの首都ブダ(ブダペストの一部)を包囲したが陥とせず、帰国した。




