山田さんと、届いたメール
山田猫子さん
突然のメール。ごめん。
単刀直入に言うと,君に一目ぼれしたんだ。
ただ僕は自分の容姿に自身がない。
もしよければ,メールでお話だけでもしてくれないかな。
お返事待ってます。
「――これ、ラブレターよね?」
アゲハさんが顔を上げ、困惑した表情を見せる。
「今どき、珍しいと言えば珍しいのかしら……せめて名乗りなさいとは思うけれど」
アゲハさんの言う通り、相手の名前は一切書かれておらず、送信元のアドレスは、誰でも作れるフリーメールのものだった。
名前のないラブレター。山田さんのような可愛い子に対して届いたそれに、下世話な興味は沸くけれど、それとは別にぱっと見で気になったことが二つあった。
「えっと……ネコ子って、山田さんの名前?」
「あれ、水神君、知らなかったっけ……うん、本名だよ。自分でも変わってると思うし、ちょっと恥ずかしいから、自己紹介のときには名乗らないんだけど……」
「そうなんだ、って、まあ、僕もそうだけど」
九十九と書いてツクモ。説明が面倒くさいので、僕も大概の場合は名乗らない。
「ネコ子……可愛いと思うけれど」
アゲハさんはぽつりとそんなことを呟いてから。
「それと、誤字ね」
そう言った。
「ごじ?」
「うん。僕も気になってた。『自身がない』じゃあ、自分探しをしなきゃいけない」
もちろん正しくは自信。よくある変換間違いだと説明すると。
「あれ、ホントだ」
山田さんはメールを読み直し、初めてそれに気が付いた様子を見せた。
「それで、山田さん――まさか、私に恋愛相談にのって欲しいわけではないのよね?」
「あ、いえ、違います。実は……このメールで終わりじゃないんです」
山田さんは再びスマートフォンを操作しながら話す。
「このメールが届いた日時は四月二十日なんですけど、私、このメールをずっと読まずに放置してたんです。ほら、大学のメールってあまり見ないじゃないですか」
山田さんの言う大学のメールとは、この大学の学生が使うことのできるメールアカウントのこと。学内連絡や就活に使いなさいと説明されてはいるが、今のところ使う機会がなく、山田さんと同様、僕も届いたメールをわざわざ確認してはいなかった。
「でも昨日、スマホで大学のメールが見れるって知って試してみたんです。そのとき初めて、このメールが届いてたことを知って……それで、ちょうど昨日の日付で、同じ人からこんなメールが届いてたんです――」
山田猫子さん
どうして返事をくれないのかな。一目ぼれというのが気持ち悪いのかな。でも初めて君を見たときに思ってしまったんだ。こんな可愛らしい子は今まで見たことがないって。他の子が揃って派手な恰好をしている中,着飾る様子もないその姿はまさに純粋という言葉が似合う子だと。
自分の中にこんな気持ちがあるなんて知らなかった。ただ思っているだけなのは切ないと,ついメールをしてしまった。生まれて初めての気持ちで制御できていないのかも知れない。返事をくれないなら,今度会ったときに声をかけてしまうかも知れない。その時はどうか逃げないで欲しい。
「……ふむ」
アゲハさんが座ったまま姿勢を正した。
「なんか、ちょっとストーカー入ってるように感じるな……これ」
「……でしょ?」
僕の言葉に、山田さんが不安そうな面持ちで頷いた。
先のメールは文面が簡潔すぎて、強い思いを感じられなかったのに対し、このメールは、それこそ思ったことをそのまま書いてしまったように感情的なものだった。
横書きで改行が少なく、詰まった感じのするその文章は、スマートフォンの小さな画面全体を黒く染めているようで、妙な不気味さを醸し出している。それはもちろん、見た目から受ける印象というだけで、実のところはわからない。ただ――
「着飾る様子もなく、純粋という言葉が似合う子、か」
改めて山田さんの姿を見る。ブラウンのショートヘア。太ももを露わにした服装。
色気はともかく、まあ元気そうだという印象で、僕以外の多くの男子に聞いたとしても、純粋という感想は恐らく出てこない。しかし入学直後の山田さんの姿であれば、確かに純粋というか、素朴というか、そんな言葉が似合っていた感じもした。
二通目のメールは昨日の日付で届いている。
だから恐らく、このメールの送り主は、以前の山田さんを見て一目ぼれした後、山田さんの姿を見ていないのだろう。ストーカーのような印象を受けるその送り主。もし彼が今の山田さんの姿を見たら、彼の中に一体どんな感情が生まれるのか……
「私、なんか怖くなっちゃって……友達に相談したら、警察か大学に言った方が良いって……それで、とりあえず大学に来てみたんだけど、誰にどうやって相談すれば良いかわからなくて、そしたら偶然アゲハさんの姿を見かけて……」
何となく後を追って屋上までやってきたのだという。確かに今のところは、ただ名前のないラブレターが届いたと、それだけのことであり、大ごとにするのは気が引ける。
まずは相手が誰なのかを特定したい、それこそ探偵に頼めるのであれば、と。
そういうことなのだろう。
「――話を、整理しましょうか」
アゲハさんは普段通りの冷静な声で言う。ただその声色には、山田さんの不安を思い気遣っているような温かさが、確かにあった。
「あなたに一目ぼれしたという彼は、とても内気な性格で自分に自信がない。だから何らかの方法であなたの学籍番号を調べた。これはさほど難しくないでしょう。彼がこの大学の学生であってもなくてもね」
学籍番号は学生証に書かれている学生の識別番号。出席を取る授業で読み上げることもあるし、大学の掲示板に名前と一緒に貼り出されることもあるので、確かに調べようと思えばいくらでも方法はあるだろう。
「大学のメールアドレスは、その学籍番号をユーザー名としてそのまま使っている。だから、学籍番号さえわかればメールを送ることはできる」
「そうですね……」
山田さんが相槌を入れる。
「そして恐らく、その彼は、今のあなたがそんな風にお洒落な格好をしていることを知らない――念のため確認するけれど、山田さん、相手に心当たりはないの?」
「……わからないです」
「まあ、そうよね」
僕と山田さんはプレゼミを同じクラスで受けている。ホームルーム的な少人数の授業なので、クラス内に山田さんの外見の変化を知らない者はいない。ただもう大学を辞めてしまったのか、四月半ば頃から見ない顔もいるので、その連中が怪しい、と。
僕はまずそう思ったのだけど、それを言い始めると、山田さんが履修している他の授業において、山田さんが途中からサボり始めたために会えなくなった者もいるわけで。
そもそも一目ぼれと言うのだから、キャンパス内で山田さんの姿を見ただけの相手かも知れない。全学年の学生数が五千人を超えるこの大学で――いやこの大学の学生ではないのかも知れないのだから、心当たりと言われても答えるのは難しいだろう。
僕がそんなことを考えていると。
「――ところで、山田さん」
アゲハさんが優しい口調で訊く。
「もし最初のメールが届いたとき、それをすぐに読んでいたとしたら――あなたは返事を出したと思う?」
「え」
「素直な気持ちで答えてもらって結構よ」
「そうですね……何かしらの返事はしたかもです。一目ぼれしたなんて言われたら、やっぱり嬉しいですし。でもどうなんだろ……メールがシンプルすぎるし、誰かもわからないし……返事に困るというか、どう返していいのか……うーん」
本気で考えているのか、しかめ面を見せる山田さん。
「そうね、普通の感覚の持ち主なら、このメールに答えるのは難しいと思うわよ。せめてもう少し、時間をかけて丁寧に書いてくれれば、名無しさんでも印象は違ったのでしょうけれど」
「でも、もしかしたら、この短さは時間をかけた結果かも知れませんよ」
僕は思わず口を挟む。
「え?」
「いや、勝手な想像ですけど……ほら、ラブレターじゃなくても何かしらの気持ちを込めた文章って、書くの難しいじゃないですか。もちろん最初はじっくり丁寧に書いてみるんですが、読み返したら恥ずかしくなって……あーでもない、こーでもないって、言い回しを変えたり、削ったりして……って、二人はそんな経験はないんですか?」
「ないわね」「ないよ」
女性陣はあっさりと否定した。まあ、アゲハさんがラブレターを書くとしたら、僕とは語彙力や文章力が根本的に違うだろうから表現に苦労しなさそうだし、山田さんはラブレターを書くくらいなら、面と向かって告白しそうな感じではある。
そんな勝手な決めつけはさておいて、僕は続ける。
「それで、いくら悩んでもキリがないから、最後は勢いで送信ボタン押しちゃって。結局、妙に淡白な文章を送ってたりするんですが、読み返すのも恥ずかしいから送信履歴も消しちゃって、後はじっと返事を待つ――ってまあ、このメールもそんな感じで結果的に短くなっちゃったのかなって」
「ふーん」
話を終えた僕を見ながら、山田さんがニヤニヤと実にいやらしい顔を浮かべていた。
「それ、水神君の経験談だよね。うまくいったの?」
まあ図星。結果は説明する気にもならない。
「そっか振られちゃったんだ。可哀想に……水神君、モテそうなのに。苦労してるんだねえ……」
「こら、勝手に決めつけて、勝手に憐れまないでくれ」
僕たちがそんな他愛もない会話をしている間、アゲハさんは一人、鋭い目付きで何かを考えている様子だった。
「――山田さん、今のメール。もう一度見せてもらえるかしら?」
「あ、はい」
アゲハさんは受け取ったスマートフォンを操作し、二通のメールを読み直した後。
「なるほど――」
目を閉じて。
まるで難しい問題を解き終えたかのような充足感に満ちた声で、そう呟いた。
「え、アゲハさん。何かわかったんですか!」
山田さんが驚いた声で訊く。
「いえ、メールの送り主を特定できたというわけではないの。でも――」
アゲハさんは、自分の口元に手を当てながら、首を傾げ、何かを考えている仕草を見せる。やがて顔を上げ、山田さんの目を見ながら。
「少し調べれば送り主はすぐに見つかるわ。乗りかかった船。私が責任を持って見つけてあげる。そして恐らく」
間をあけて。
「その送り主があなたを困らせること、ましてや危害を与えるなんてことは、決してないと思うの。だから山田さん、あなたは普段通りの生活を送ってもらって大丈夫よ」
「……はい! ありがとうございます!」
アゲハさんの言葉は、山田さんの不安を取り除こうと誇張した風もあったけれど、山田さんは素直に受け入れたのか、ニコッと、満面の笑みを見せる。
つられたようにアゲハさんもわずかに笑みを浮かべていた。
「それで山田さん、あなたが今季に履修している科目をすべて教えて欲しいの。その出席状況もね。それに――ええと、ツクモ君にもお願いがあるのだけれど」
「はい、何ですか?」
「プレゼミで一緒のクラスの学生に、簡単な聞き込みをして欲しいのよ」
「聞き込み……ですか?」
「ええ。と言っても形式張ったものではなく、普通の会話をしながら聞き出して欲しいの。その相手の『好きな異性のタイプ』をね。あくまで参考程度の調査だから、可能な限りだけで良いのだけれど」
「はあ」
「あ、水神君、それならプレゼミのグループトーク入る? 確か入ってないよね?」
山田さんの言うグループトークとは、スマートフォン用チャットアプリの一機能のこと。有名なアプリなので僕も使っているけれど、相手は主に高校のときの友達だった。
返事に困っていると、山田さんは「ほら、スマホ出して、出して」と僕をせかす。そしてなすがままに、僕のスマートフォンには山田さんの連絡先が登録され、プレゼミのグループトークに、僕のアカウントが登録されていた。
『はーい注目。水神君が参加したよー』という山田さんのメッセージの後、すぐに『おー!』『よろしくー』と、そんなメッセージで画面は埋め尽くされた。
僕は挨拶を返すも、どう続けて良いか悩んでいる間に、山田さんがアゲハさんに履修している科目と出席状況を伝えていた。なぜか苦笑いを浮かべる山田さんに、アゲハさんが呆れた目を向けている。サボっている授業が多かったのだろうか。
「――まあ良いわ。では、調べてくるわね」
アゲハさんはさっきまで読んでいた本を左手に持ち、すっと立ち上がると、屋上の出口へと足を向けた。
「え、もう行っちゃうんですか? あ、そ、その、私に何かお手伝いできることはありませんかっ!?」
青空の下、背を向けたまま、本を持った手を掲げると。
「特にないわ。あなたはゆっくりと週末を過ごして――と、忘れていたわ」
くるりと振り返り。
「山田さん。この調査についての報酬はもちろん頂くから、ね?」
「え……あ、はい! もちろんです! 何千万円でも頑張って払います!」
「……モグリの医者じゃないんだから」
呆れたように目を細めてから。
「大丈夫。私が望む対価はお金ではないから」
「え、じゃあ……」
「――魂よ。あなたのね」
ふふ、と、アゲハさんは腕を組み、僕たちを見下すような冷笑を浮かべた。
「……へ?」
唖然とする山田さんと、思わず苦笑する僕をおいて。
アゲハさんは再び背を向けると、妙に楽しげな足取りで屋上を出て行った。