ワンルームマンションの悪霊
八月四日。島根県のどこかの街。その街に建設されたマンションに一人の男がやってきた。
後ろ髪が寝ぐせによって立っている二十六歳の男。彼の名前は谷森竜。都内にある物流会社の島根県支部に左遷してきたサラリーマンである。
谷森はネット上の動画サイトで生放送を行っている。その放送の視聴者は千人を超えており、ネット上では有名である。
谷森はマンションの管理人に挨拶すると、予め受け取っていた部屋の鍵で新たなる住居のドアの鍵を開ける。
谷森竜の新しい住居は掃除が行き届いている。
「住めば都か」
その部屋はありふれたマンションの一室と同じ。ワンルームマンションで敷金なし。家賃は一万円。都内のマンションより安いのは明らかだ。
時間が過ぎていく。
午後十一時四十五分分。谷森は夕食であるコンビニ弁当を食べ、ノートパソコンを開く。
そして彼は動画サイトにログインして生放送の準備を開始する。まずパソコンに内蔵されたカメラが映るのかを確認する。それから音声が聞こえるのかを確認。
最後は放送スタートをブログやSNSに書き込み、視聴者たちに放送を見るようにと促す。
午前零時。日付が代わり八月五日。谷森竜による生放送番組が始まった。あなたは衝撃の三十分間を目撃する。そして谷森竜によるインターネットラジオ番組の果てに恐怖するだろう。
「どうも。谷森竜です。私ごとで恐縮ですが、私は昨日某マンションに引っ越してきました。このマンションは格安物件です。家賃が一万円。しかもこの部屋は心霊スポットとして有名。引っ越しの挨拶に出かけたら、気味悪がられましたよ。あの部屋に引っ越してきたのかって」
他愛無い会話で始まったインターネットラジオ番組。視聴者は午前零時にも関わらず百人を超えている。
動画にコメントが流れていく。
『引っ越しですか』
『生放送中に心霊現象が起きるかな』
『今回は心霊話か。夏らしい』
谷森竜はそのコメントを拾い番組を進行していく。
「皆さん。コメントありがとうございます。今晩は引っ越し初日記念として、緊急生放送を行います。三十分以内に心霊現象が発生するのかも気になりますが、皆さん一緒に差し支えない会話を楽しみましょう」
番組開始から一分後、視聴者たちは一気に千人を超えた。その理由は流れてきたコメントに書かれている。
『SNSを駆使して宣伝しましたよ』
『心霊スポット最高』
「視聴者が一気に増えましたね。これは恐ろしい。たった三分で歴代最高記録を更新するとは。霊の力は恐ろしいですな。そろそろ始めます」
すると一つのコメントが画面上に流れた。
『ところでなぜ心霊マンションに引っ越してきたの』
「仕方ないですね。経緯をお話しましょう。私は心霊現象が大好きなんですよ。そんな中で島根県に転勤することが決まって、色々と調べたら、この心霊マンションに辿り着いたというわけですよ。この部屋は悪霊が住み着いていることで有名で、誰も住もうとしないそうです」
『そういえば島根県には心霊スポットがあったような』
『悪霊が住み着くマンション。最高だ』
谷森は物凄いスピードで流れていくコメントを見ながら喜ぶ。
「そうです。日御碕にはカモメ荘という心霊スポットがあるそうです。今度の土曜日にでも行ってもようかな」
放送開始から十分後、四十九号室の机の上に置かれた書類が突然風に舞った。部屋は完全な密室。クーラーや扇風機のような冷房器具も使用していない。
「おっと。風も吹いていないのに、書類が風に舞いましたよ。簡単なポルターガイストだったら面白いのにね」
谷森はそれが心霊現象の予兆だとは思わなかった。視聴者たちも谷森の発言が冗談だとしか受け取らなかった。その趣旨のコメントが流れていく。
放送が開始されて十五分後には、視聴者が二千人を超えていた。
「視聴者が二千人を超えましたか。うれしいですね。残り十五分ですか。皆さんは心霊話が聞きたいのでしょうか」
『聞きたい』
『聞いてみたいですね』
『聞きたい。聞きたい』
「そうですか。皆さん。聞きたいですか。それではお話します。僕が初めて霊と出会ったのは……」
谷森は言いかけた時、彼の耳に声が届いた。
『あなたが新しい住人だね。仲良くしようよ。二人だけで永遠に』
それは子供の声。谷森はその声が空耳だと思った。
「えっと、僕が初めて霊と出会ったのは数年前のこと。都内にある心霊スポットに行ったら出会えましたよ。あれは結構凄かったですね。失神するかと思いましたから」
突然パソコンのモニターが揺れ始める。その揺れは五分間継続した。
「今度はポルターガイストかな。それともただの地震かな」
『地震じゃないよ』
『地震速報が届かなかった』
『何かこっちの画面も揺れたような』
『本物のポルターガイストかもしれない』
そのコメントが拡散していき、視聴者は一気に一万人を超える。
『Hallo』
「おやおや。外国の方まで見られているようですね。これはうれしい限りです。外国の皆さんが見られるとは思いませんでしたよ」
谷森はパソコンを操作して画面上に英語の字幕を表示させる。
「これで外国人の方にも僕が言っていることが分かるでしょう。システムの都合上音声と字幕の表示が少し遅れますがご了承ください。そして字幕が邪魔だという方もご了承ください。改めまして。谷森竜です。先ほどパソコンの画面が揺れました。地震が発生したわけではなかったので、ポルターガイストが発生したかも……」
多くのコメントが流れる。
『どうした。音声が遅れて聞こえるが』
「不具合でしょうか。放送終了まで残り五分です……」
突然谷森の声が途切れ、パソコンの画面が暗くなる。
『みんな私のことが大好きなんだね。じゃあ一緒に遊ぼうよ』
その子供の声が谷森の耳に届く。谷森の体は金縛りにあったかのように硬直する。
五秒間の沈黙の後パソコンの画面が突然明るくなり、画面上に谷森竜の姿が映された。
「みんな私のことが大好きなんだね。じゃあ一緒に遊ぼうよ」
その声は谷森の意思に反している。まるで何者かが谷森の体を乗っ取ったかのようだった。
「そうだね。すぐに皆のところに行くから待っていてね」
悪霊に憑依された谷森は、パソコンから離れる。谷森は自分の意思で動くことができない。
「やっと見つけた」
谷森は引っ越しの荷物を纏めるために買った紐を手にする。そして適当な長さで引きちぎると、再びパソコンの前に座った。
「じゃあね。バイバイ」
谷森は紐を自分の首に巻き、自分の首を絞める。紐を思い切り引っ張る手を谷森は止めることができない。
次第に谷森の気道が絞められていく。その動画を見た視聴者は不謹慎なコメントを投稿する。
『凄い演出だな』
『まるで悪霊に憑依されたみたい』
『初めて見たよ。本当に憑依されるということがありえるとは』
『この三十分は有意義だった』
不謹慎なコメントは谷森が絞殺されていく様子が隠れるほど大量に流れる。
それから三分後、谷森の呼吸が絶たれ、彼は絶命した。そしてパソコンが突然ログアウトされ、三万人の目撃者を生んだ心霊生放送は終わりを迎えた。
悪霊が現れたことで有名になったインターネットラジオ番組は波紋を呼ぶ。
『昨日未明島根県のマンションで男性の遺体が発見されました。死亡したのは谷森竜さん。二十六歳。遺体を発見したのは谷森さんの会社の同僚。出社しない谷森さんを心配して、マンションを訪れたところ、谷森さんの遺体を発見したとのことです。島根県警は遺体に不自然な状況が見られないことから、谷森さんが自殺したとみて調べています。また警察庁は谷森さんが亡くなった同時刻に三万人以上の人々が死亡する事件が多発したと発表しました。その被害は海外にまで及んでおり、警察は三万人以上の人々が集団自殺を図ったとみて捜査しています』
その日谷森竜のインターネットラジオ番組を見ていた視聴者三万人以上の人間が自ら命を絶った。
その日悪霊はマンションの一室を飛び出しネット上で彷徨い始めた。
悪霊はあなたの近くに住み着いているかもしれない。