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032

 翌朝。鳥たちのさえずり声が優しく聞こえてくる中、ヒデオはぱちりと目を覚ました。腕時計の針が、ちょうど5時を指している。この規則正しい生活習慣は、20年間のサラリーマン生活を経て、身体に染み着いたものだ。

 ヒデオがベッドから起き上がると同時に、部屋の扉が開いて、昨日の少女が入ってきた。手にはヒデオの服を持っている。


「おはようございます。あなたも、起きるのが早いですね」


 ヒデオに声をかけられて、少女はお辞儀をした。丁寧に着込んだドレスに、さらさらにとかされた茶色い髪。早朝にも関わらず、少女の身だしなみは完璧だった。机の上に服を置いたとき、リンゴの芯だらけになったカゴの中身を見て、目を丸くする。


「ははは…、お腹が空いていましてね…」


 恥ずかしそうにヒデオが言う。

 少女はくすりと笑いながらカーテンを縛り、部屋の中へ朝日を呼び込んだ。そして、リンゴのカゴを手に持ち、一旦部屋を出ると、大きな金属製の水瓶を両手で重そうに抱えて戻ってきた。

 机の上に置かれる水瓶を不思議そうに見ていたヒデオだが、おそらくこうするのだろうと解釈し、その水で顔を洗った。隣から少女が、顔を拭くための布を差し出してくる。

 ここまでしなくてもいいのに…。ヒデオはそんな言葉が口から出そうになって、寸のところでぐっと堪えた。これが彼女の仕事なのだ。私が、とやかく言えることではない。

 すると今度は、ヒデオの目の前に立ち、ヒデオの服のボタンを外し始めた。上着、ズボンと、慣れた手つきで脱がしていく。とうとう、少女が下着に手をかけたとき、ヒデオはとっさにその手をつかんだ。

 顔を火照らせた少女が、潤むような目つきでヒデオを見上げる。


「ありがとうございます。あとは、自分でできますので」


 そう言って、少女が持ってきてくれた自分の服に素早く着替えた。ネクタイを締め、スーツの上着に腕を通し、鞄を手に持つと、いつものサラリーマン姿に戻る。やはり、この格好が一番落ち着く。

 少女は、気まずそうな面もちでその場に立ち尽くしていた。

 ヒデオは少女に向き直ると、優しく微笑みかけた。


「私はヒデオと言います。あなたの名前は?」


 少女は驚くように口を開けたまま、身体の動きを止めた。しばらくして、視線を床に落とし、恥ずかしそうに口を開く。


「アトニーです…」

「よろしく、アトニーさん。ところで、私はこれから朝のジョギング…、いえ、散歩に行こうと思っているのですが、外出をしても大丈夫でしょうか?」


 アトニーは、はっとして顔を上げた。


「し、しかし、このあと朝食を用意してございます。クラウス様が、是非、また皆様とご一緒したいとおっしゃっておりますので、恐縮ですが、ここでお待ちいただけないでしょうか」


 懇願するようにアトニーが言う。

 ヒデオは腕を組んでふーむと考えた。外出するのは大丈夫のようだ。で、朝食の時間だが、全員で一緒に食べると言うのだから、いくらなんでも6時以降だろう。今はまだ5時過ぎだ。軽く走るぐらいの時間はある。


「心配はいりません。必ず、朝食までには戻ります」


 ヒデオのきっぱりとした言葉に、アトニーは思わず頷いてしまう。


「……かしこまりました。それでは、気をつけて行ってらっしゃいませ」

 

 アトニーに見送られたあと、ヒデオは1階の広間から外に出て、眠そうに立っている番兵の横を通り、早朝の町をゆっくりと走り出した。

 柔らかな朝日を全身に受けながら、いくつかの小道を抜けて、大通りへと足を踏み入れる。まだ人の姿はまばらだろうと思っていたが、仕入れに走る商人や、支度に追われる店員など、多くの人の営みが見て取れた。

 軽く足に力を込めて、跳躍--。とある建物の屋根の上に降り立つ。楽しさのあまり、つい調子に乗ってしまった。

 ヒデオは、朝日に照らされた聖都の町並みを眺めた。そこそこの時間が経過した頃、ふと思い出したように腕時計を確認し、大学へと戻り始める。



 朝食も、昨晩と同じ迎賓室で取ることになった。クラウス、ヒデオ、ジーグが椅子に座って待つ中、頭をぼさぼさにしたターシャが、目をこすりながらやってくる。


「みんふぁー…、おっふぁよーん…」


 ターシャは、あくびと言葉が混じったような変な声を出した。


「ターシャ君、早く座りなさい」

「ふぁーい…」


 クラウスに急かされて、怠そうにターシャが椅子に座ると、侍女たちが朝食を運んできた。様々な種類のパンに、チーズ、卵料理、そして色とりどりの果物。例によって豪華な食事だ。

 とてもありがたいことだが、この食事に慣れてしまわないよう、気をつけなければならないな。ヒデオは、少々複雑な思いで、食事に手をつけた。


「みなさん、今日のご予定は?」


 クラウスが、またしてもワインを開けながらたずねる。

 昨晩もかなりの量を空けていたが、二日酔いの素振りは全く見せていない。クラウスはかなりの酒豪だった。


「うーん、そうねぇ…。特に何もないし、私は大学でごろごろしてよっかなぁ」

「おい! 金! 金をもらいに行くんだろうが!」


 ジーグがすかさずつっこむ。

 ターシャは、舌をぺろっと出して笑ってごまかした。


「ネルタ鉱山の件ですね。ならば、私の方から、城の守衛長に話を通しておきましょう。通常の方法で入城しようとすると、なにかと時間がかかり、面倒ですから」


 クラウスはにこやかな表情で言った。クラウスが持つ強大な発言力を垣間見せるような言葉だった。


「それで、報奨金を受け取られたあとはどうなさるおつもりですか? 私としては、このまま大学に常駐していただき、妖精捕獲の際に、手助けをお願いしたいと思っているのですが」


 言葉を続けたクラウスは、ヒデオとジーグに向かってたずねた。


「わるいが、まだ何も言えねぇな。金が手に入ったら考える」


 ジーグはぶっきらぼうに答えた。

 クラウスは残念そうに唸ってから、ヒデオを見た。

 他のところに行く当てもない。元の世界に関する手がかりもない。それならば、少しでも情報が多く集まる場所に、身を置いた方が良いだろう。ヒデオは、しばし考えた後、口を開いた。


「…私は、もうしばらくこの大学のお世話になろうかと思います」


 それを聞いて、クラウスの表情が明るくなった。


「すばらしい! これからもよろしくお願いいたします!」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします。…ちなみに、私がこの大学にある図書館を使うことは可能でしょうか?」

「もちろんですとも。どうぞ、ご自由に閲覧なさってください。必要であれば、閉架書庫も開けさせましょう」


 上機嫌な様子で話すクラウスに、ヒデオは頭を下げて礼を述べた。

 ターシャは、にやにやと笑いながら、そのやり取りを眺めていた。

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